成長とか変化とか

成長だとか、
変化だとか、

というのがあるとするならば、

わたしの好きなゲシュタルトのせんせーの表現によれば、

それが起こる場所は、

「何か」との向き合い方や、
向き合う質、
気づく時のその質。

と、聴いて、

あぁ、まさにそうだと、腑に落ちました。

「それ」と、
いま、わたしは、
どんなふうに、向き合ってるか?

「それ」に気づく時、
どんな質で気づいているか?

「それ」自体は、実際のところ一切変わりはないワケで。。

だけど、

「それ」と「わたし」の
(心理的/物理的)距離や、

「それ」に気づいた時の
わたしの姿勢や、
わたしの表情や、

その時の、
感情や、

興味、好奇心、

体の感覚や、呼吸の仕方。

が、変化していたとしたら、

プロセスしているね。と、言える。

そのプロセスを、
「成長」とか「変化」と、
表現したくなるかもしれません。

「それ」の中には、
何か、過去の、「思い出すのもおぞましい」と思っていたエピソード。
だとか、
人物の名前が入ってくるかもしれない。
何か、概念かもしれない。

もしかたら、自分自身のある特定の「状態」かもしれない。

ともすると、
「それ」自体をなくそうとすることや、
「それ」をどうやって避けるか、やっつけるか、
のHOW TO本を読んで、
「それ」自体にいたずらに力を持たせる努力をしてしまう。

そんなことで、誰か知らない人が一儲けするのを助けている。

誰か知らないライターさんの生活を援助している。

かもしれない。ってことに気づきが拡がっている自分に気づくかもしれない。

これも、また、変化。と、言える。

人生の中に、いろんな「それ」があって、
「それ」の方を出っくわす度にやっつけなくてはならないのは
とても疲労する。

実は、「それ」には、一つ一つ個性がある。

一つ一つの「それ」の顔を見てみる。
コンタクトしてみる。
そんな実験が出来るのが、ゲシュタルトのセッションの場。
と、言えると思います。

そして、そんな時を迎えている方が
セッションにいらしてくださるのだなぁと思うときがあります。

人生を重ねなければ、向き合えない「それ」もあります。

言い換えたら、
人生を重ねたから、いま、向き合えている。と、言えることがあります。

クライアントさんのお顔を見ていて、
個人的なわたしの想像が勝手に走り出していて、
勝手に感動している瞬間に気づくことがあります。

そんな時は、勿論、クライアントさんのプロセスを邪魔しないことを最優先にします。

だけど、時々、控えめに、
自分の目に水が込み上げていることに気づきます。

そして、
その「向き合い方」というのは、
そこで止まるワケではなく、
やっぱり、プロセスし続けるものなのだと思います。

で、それに気づく時、
今までも、「プロセスし続けていた」少なくとも「プロセスしようとしていた」
或いは、「プロセスを止めていた」
と、気づくのだと想像します。

世の中で変化しないものなど多分なく、
もし「止まっている」のなら、
誰かが「止めて」います。

だけど、「止める」にも、理由があります。
その必要がある時があります。

プロセスが動き出すとき、
サポートが必要です。
安全を確認出来る環境が必要です。

「成長」って、居心地が悪いものなんです。
不安定なんです。
あえて、不安定を作り出すようなもんです。

だから、支えが必要です。
人のカラダはそれを知っています。

「支え」が見つかると、自ずと、
「止める」を止めるが始まるんですね。

そういうメカニズムは、自然なんですね。

そう信じています。

わたし自身の経験からも、そう信じています。

すべての、大人になってからの自分自身の成長を許す人に
その勇気に、幸あれ!と、心から言いたいです。

ありがとう。





〜個人セッションでお会いしたいです〜

120分間、自分自身に最大の興味と関心を向ける
あなたのための時間です。
あなたがあなたと出会っていく時間になります。

     




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# by masumihug | 2018-02-18 01:53 | 個人セッション