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「JOKER」という作品は、大掛かりに見せてくれているものは、
本当に私たちに身近な、身に覚えのあることだった。

一方で、私は、予告を観て涙が込み上げてしまったのだけれど、
実は、映画館で本編を観た時にはまったくそれはなかった。
そこにどんな違いがあるのか、何が起こっていたのか?
いま、探っています。

それを探りながら、
思いつくところを書いてみます。

映画を観て、思うのは、
アーサーは、自分自身を取り戻すプロセスの
途中にあると過程してみました。

つまり、
人が、自分自身を取り戻していく過程にあるとき、
自分自身の中のありとあらゆる側面・質に触れていく可能性があって、

逆に言ったら、その体験が、あなたにあなたを取り戻させることになる。

その時、この映画のジョーカーのような質に出っくわすこともある。
恐らく避けては通れない。

今までただ飲み込んでいたあらゆる欲求に気づきだす。
その中には、当然人が持っていて然るべき欲求もあれば、
世間においては常識的ではないとされている欲求もある。

不当な扱いに異議をとなえる。
頭に来てると言う。
それは悲しいと言う。
止めろ!と言う。

そして、
本当にハラワタが煮えくり返っていたら
殺す。

なんてことは、実際には出来ない。

出来ないことは、ないけれど、
払う代償は大きい。

だからと言って、自分自身の真実を
捻じ曲げるには、相当の努力が要る。
それは、今までの人生で散々してきた。

それは確かに存在しているんだ。

ゲシュタルトのワークで試してみるのは、
まさに、こんなこと。

普段は、日常を優先して、それらをないことにしている。
自分自身の真実に触れること。
それに、存在する機会を与えること。
それに、言葉や動作を与えること。
それに、自分の身体を差し出して、身体ごとなってみる機会。

安全な構造を作って、試してみることが出来る。

それをするには、安全な構造が必須なんだ。それに、
もう一つ、目撃者も必要です。

それを見届けてくれる人。
グループでのワークなら、複数の人が
見守ってくれている。

批判の声も、アドバイスもなく、
分析も、憐れみも、解釈もなく、
ただ、しかと目撃していてくれる。

しかも、
もっといいことには、
あなたの自己表現を見て、
自分自身の身体に響かせて、
自分自身の真実に共鳴させている人も居る。

実は、これが「聴く」ということ。
「聴かれる」ということ。

この機会は、人の健全さを後押しする。

映画のJOKERを地で行くか、
自分を大切に扱うか、
は、自分自身で選択することではあるけれど、
少なくとも、選択肢はあると
知っていたい。

と、私は思う。

だから、この映画を観て、
私は、ゲシュタルトを知っていて良かったと思った。し、
その機会を提供する側のことをしていることを
とても肯定できた。

そして、最近起こる事件の主人公を
単純に断罪出来ない私の思いと
この映画が描く世界の重なりを感じている。

多くの人が、この映画に共感を送っている。
それを見れば、明らかだ。
多くの人が、自分自身の内側にアーサーの存在を感じている。
ともすれば、JOKERへと育ててしまいそうだと
自分自身の内側に恐怖さえ感じるだろう。

自分自身と向き合うことへの
漠然とした怖さは、
この辺りにあると思う。

だけど、ゲシュタルトのアプローチは
それを、つまり自分自身の内側との出会いと対話を、
自然に誘ってくれる一つの
機会の提供になると思っています。

それは、人が成熟していく過程の中で辿るプロセスを
勇気づけてくれる。

自分らしいユニークな発想を、信頼の中で選択出来る可能性を
気づかせてくれる。
生きることを意義深く、すこし優しくしてくれる。
と、信じています。

あらゆることを支配下に入れなくてよくなる。
あらゆる人を牛耳る必要もない。

この世界で起こるあらゆる無数のことと共に居る。
と言う事実があるだけ。

それは、ただ起こってくるから。

避ける予防をするよりも
起こると分かっている方が、自然。

そうすることで、
むしろ、人生を意義深く、人生を逃さずに
生きることの助けになる。

ハプニングは、招くべき友になる。
あらゆる経験は、学びとなって、
自分自身の血や肉になる。

多分、それは、人類にデザインされているんだろうと
私は思っています。

これは、チャレンジでもあるけれど
投資すべき相手かなと思う。

それをギャンブルにしない為、
人間に備わった気づくという力を鍛えていこうと思っています。

それを、縁あって出会った人たちと
やっていくのは、楽しいです。

ここまで書いて、
私が本編で涙にならなかったことに疑問を持った
ことに対する答えは、やっぱり出てこない。

でも、過度に感情を揺さぶられていない自分に
やっと今ここまできて
肯定を出せた気がしている。

私は、今は、もう 「Just the way you are 祭り 」
じゃないということなのだとしたら、
それは、ちょっとは成熟の片鱗なのかな?と、
思って良いのかもしれないと思えてきました。
遠慮がちに。
すこし、ほっとしています。

ありがとう。








個人セッションでお会いできたらうれしいです。



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# by masumihug | 2019-10-09 10:24 | 所感

わたしを知って、わたしを生きる。神奈川県藤沢市にて、心理セラピーを行っています。ホームページこちらです。 https://kiku-therapy.jimdo.com/


by masumihug