使命?

「生きる(ことに)意味」などないんだ。
と、はたと気づいた時がありました。

それは、2007年ごろでした。

そんなに前でもないし、
最近でもないですね。

そうです、それまで、私は、
私が生きる「意味」とか「使命」があると
思ってて。。

それこそ、中2病なんて今は言うけど、
(それにしても、この表現絶妙!ですね 笑)
そんな多感な頃には、
生きる意味が解らないのに、どうやって生きろと言うんだ!と、
怒っていた。

つまり、この言葉から分かるように
誰かによって「生きろ」と言われたり、
誰かによって「意味」や「使命」が与えられている
という、感覚を無意識に前提していたのだと想像します。

主体性が、ないワケですね。

社会人になっても、
問い方は「意味があるはずだ」
「私だけの意味が!」
へ、変わり、
「その与えられた使命」を
見つけるんだ!というような、
感じがあったように、
今となっては、うっすらとした記憶。なのだけど。
思い出す。

その時には、結構強烈にありました。


2003年頃が私自身の生き方や
考え方を意識してシフトした時期に当たり、
正確に言えば、シフトしようとしていた時期だけど、
自分探求を、頑張っていた。

その探求の目的は、
「生きる意味」「私の使命」を見つける。
だったように思う。

何か、それが書かれた、私の名前入りの、私の為だけの、
アカシックレコードのようなもの、見つけられると信じていた。

とてもロマンチックだ。

そして、

同時に、虚しさを抱えていました。

「人生というのは、自作自演の田舎芝居」
「死ぬまで暇つぶし」
こんな言葉が、頭の中にありました。

そんな、期待と絶望を繰り返すうち、

「自分が生きることに意味などないんだ!」と、
という言葉が、急にやってきた。というか、
気づいた。

同時に、
「意味は、(もし欲しいなら)自分で作るんだ」
「生きるっていうのは、自分で作る(創る)ものなんだ」
「(勝手に)作っていいんだ!」

と、言葉がやってきて、
とても自由な感覚になったのを覚えています。

とても解放されたような感覚でした。

そして、
「生きることに(予め)意味などない」ということを
前提にしてみると、その方が、
体験している事実と辻褄が合ってくることを感じました。

すごく、楽になりました。

その中には、
もう自分に嘘をつかなくていい。
過度な期待をしなくていい。
今の自分でいい。

そんな安堵感も含まれていました。

そして、自分の好きなように描けばいい。

とても、広いスペースが現れたような感覚になりました。
うれしかった。

『強烈なメッセージ』へ、
つづきます。



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by masumihug | 2016-04-24 06:00 | 私のこと

わたしを知って、わたしを生きる。神奈川県藤沢市にて、心理セラピーを行っています。ホームページこちらです。 https://kiku-therapy.jimdo.com/


by masumihug