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ベッキーさんのヌード広告


「違和感」を大事にして生きております。


何故かといえば、違和感を丁寧に辿っていくと、

自分にとってびっくりするほど的確なメッセージに辿り着くから。

そして、自分自身に落ち着いてくつろぐ感覚へ着地することが出来る可能性があるから。

です。


私が、セッションでやってるのもほぼコレです。


生きていると、朝から晩まで、いろんな「違和感」と出っくわします。

ちょっと前だけど、この広告もその一つ。


だけど、私、辿らなかった。

「もういいよ」って気になってしまった。

「痛々しい」

目を背けて、思考停止。というか、「思考中止」。


いや、もっと正確に言えば、

「思考禁止」?

してしまったんだ。


そして、この記事に出会って、

自分の違和感が、言語化された気がしました。

坂之上洋子さん、ありがとう。


特に、最後のところ。


(記事本文より引用)

女が生き残るのに「裸」を使わないと戻れないのか、という違和感が。

そこまでやって初めてよくやった「覚悟できたんだな」と言われておるような違和感が。


これを拝読し、

私は、


あの時自分の中に、違和感が起こったんだと考え直し、


その違和感の中身が、


そうだよね~、

「オンナは、ここまでやらんといかんのだよね」って気持ちがある。のに気づいて、

「そういう「伝統芸」を踏襲すれば済むと思ってる人がいるんだ」って言葉がある。のに気づいて、

「ちょうどいい素材(ベッキー)あるじゃん。かよ!」「人(見る側)をバカにすんな(企画した人に対して)」

その一方で、

「ポーズが中途半端で伝統芸を踏襲までに至ってない!それ風で、再起への覚悟?笑わせないでよ!」

「此の期に及んでまだ誤魔化すんだ、あなたは」


こんな言葉が出てくるのに気づいています。

この言葉たちの背景には、いくつかの種類の感情が混じって存在している。

そして、その感情は、私自身の過去の体験が出所になっていることに気づく。


私は、私自身の中にある、ある種の感情を膨らませそうだと想像して、

それは今は持ちきれないと想像して、

私は、あのとき違和感を辿るのを避けたんだと、わかってきます。


ベッキーを避けたように一見見えますが、

実際避けているのは、自分自身に起こってくるだろう「感情」

です。


無意識のなせる技です。

トリッキーなんです。


だけれども、

こうやって時間的にも感情的にも、

余裕のあるときだったら。

そして、こんなふうにご自身の違和感を開示して

くださる人がいたら尚更、

自分自身の違和感を辿っていくことが可能です。


環境さえ整えれば。


そうです。違和感を辿るには、

安全な環境と、ゆったりした時間も含めた

スペースが必要なんです。


日本中で、こんなことが行われたらいいなと

思います。


もちろん、人それぞれ違うものになる。

その一方で、

どこかそこにじわっと通底しているもの、

また、共有出来るものが見えてくるかもしれない。


で、実際、いま、見えていると思う。


あまり、この広告が受け入れられてないという現実が何より表してる。

だけど、それが、ベッキーへの制裁のように翻訳されて、

そこだけに落ち着いてしまってはせっかくの違和感がもったいない。

違和感の誤用だ。って気がする。


で、何より、もし、ベッキー本人が違和感をもし感じていたのなら、

自分自身で、優しくゆっくり辿っていくことがされたらいいなと、

願う。そして、その表現がいつか何かの形になって伝わってきたらいいなと、

心から思う。


そのとき本当に、この人は、

あたらしい服を身につけ、(裸じゃなくてね)、

歩き出すんだろうなと想像する。

賛同か、共感の拍手と共に。オンナたちからの。


で、こう書き終えると、

私自身の観点が変化してきたことに気づく。


ベッキーの切ったばかりのような短い髪に目がいく。

そして、よく見れば、彼女の二の腕は、細い鳥の骨みたいだ。

今、生々しく感じられて、呼吸まで伝わってくるかのよう。


私の座っている位置(心理的な)が変わっているのに気づく。


この人を、ねぎらい、抱きしめたいという気持ちにまで

今なってることに気づいています。


ここまでのプロセスを経て、

この広告と初めてコンタクトできた

ような気がします。


そして、実は、私は私自身と今

コンタクトしたワケです。


私自身の内側と触れ、そして、自分自身をちょっと理解した。

抱きしめたいのは、自分自身というワケです。

とっても、ミニでプチだけれども、

ある種の統合へのプロセス。


無意識の防衛機制というアラートシステムが

発動していたことに気づくことで、

純粋な、純正な、ニュートラルな、bareな気づき、

(手垢のついてないと言おうか)

へ戻ることが出来ます。


この広告が媒介してくれました。


ベッキーご自身が、どんな意図で、どんな気持ちでいるか。

ましてやこの広告に違和感を持ってるかどうか?なんて

まったくわかりません。その上で、それを承知で、それを前提に、

何か同じ女として同志のような共感を覚えているのも確かです。

それを、身体感覚でも感じています。


「共感を覚える」という体験が私の中で起こっているだけで、

この場合の私にとっては十分です。


そして、その共感が私の全てではないことにも気づいています。

多観点でいて、自分自身でいます。落ち着いています。

これは、楽な感覚です。


そして、おもしろいのは、

このプロセスを経て、

同じ対象を前にして、

違和感から共感までもが存在していることに

気づくこと。


併存してていい。


日常目にする気になるものや、違和感。

それは、自己理解、自己肯定感を導いてくれる

入り口になり得る宝と信じています。



いつも読んでくださり、ありがとうございます。
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by masumihug | 2016-10-07 15:26 | 個人セッション

わたしを知って、わたしを生きる。神奈川県藤沢市にて、心理セラピーを行っています。ホームページこちらです。 https://kiku-therapy.jimdo.com/


by masumihug