人気ブログランキング |

せめぎ合いに道を譲ること

の記事の続き を 書きます。


今回は、殺人をして自らも自分を殺した人に対しての
世の中の論調に変化を感じています。

激しい断罪ばかりではない ように見えます。

私は、それを見て 人々が 自分の想像を使っているように感じます。
想像を使って、感覚を感じることを許しているように思います。

自分自身の中にも かすかに痛む部分がある人が
それを無視しないで 表現出来る世の中になってきている兆しを
感じています。

もちろん、人の命を奪う行為は 罪であることに間違いはないです。

命を差し出すことになった お二人の優しさには
ただただ圧倒されます。

ご冥福をお祈りします なんて言葉は 私の分際では
とても言えないほどに 高潔さを感じています。
これは、私の勝手な 想像ではありますが。
 

そして、私に出来ることはないか?
ゲシュタルトの文脈で、この領域で
私に何か出来ることがありそうに思います。

そんな感覚が 自分にあるのに気づく ことから
書いてみたいことがあります。



脳内のせめぎ合い についてです。

信頼出来る他者との関わり合いのない環境で、
つまり、正確な映し返しのない あるいは 
どんな映し返しも絶った状態の中では

自分だけで自分自身の尊厳を守り切ることは 難しい時があると思う。
本当に、ここに 己のこの身体に 守るものがあるのか? 
自分にそんな価値があるのか?
手応えがなくなってきます。

ここまで、前の記事に書きました。

自分自身の尊厳、
自分自身への信頼、
自分が信じている自分の価値、

ほんとうに 見失い易い。です。
本当に 簡単に 手放します。

そのうち、証拠を見せろ!と 自分が自分を脅迫し始める かもしれません。

自分への信頼 を 持ち続けることが 危うくなってくる時です

だけど、一方で 確かにある(はずだ)! の声も聞こえている。
か弱く。

その二つの声 が 自分の頭の中でせめぎ合う
疲弊する。

このせめぎ合いを、止めるには
自らの命を絶つこと以外にない という
考えが 出てくることが あるかもしれない と 想像します。

なんで想像するか と 言えば
私自身 しょっちゅう そうでありました。

私に起こる ということは
他の 少なくない人々にも 起こることだ
と 考えます。


その時に まったく見逃していることがある
と 言ってみたいんです。

せめぎ合いに 道を譲る ってことです。


どうしても起こってしまうことなのなら、それに場所を与えることが出来る

プロセスの邪魔をしない という 姿勢が ゲシュタルトの文脈にあります。

それを、なくすことや 止めることに 躍起になって 疲労困憊し
一向に 好ましい変化がないのだったら。

その「疲労」が、検証する時 を教えてくれている
と言えるかもしれないです。


そして、
疲労は 人の判断力をさらにさらに削いでいく

疲労は 休みの時であって 判断の時じゃない わけです。

そんな状態で、一世一代の判断をするべきじゃない


せめぎ合い なんて もう 十分にやり尽くした って
言うかもしれない

けれど
あなたの頭の中でやっていたのなら
実は、それは、やり尽くしてはいない
まだ出来ることがある

一人二役では 不十分なのだ

せめぎ合いの 両方に その一方一方に 十分な表現の時間と場所を与えたか?
ということなんです。

ゲシュタルトのアプローチでは
ここにやり方を持っています。

どうせ一世一代の決断をするのなら、
これをやってからにするのはどうか
と 招待を出したいんです。

あなたの そのせめぎ合いには 意味がある 
それを 尊重してみる それに出会ってみる 
それが起こっていることは 間違っていない
だから、繰り返し繰り返し起こるのだ

あなたは、それを 長年 脳内でやっていたのかもしれない

脳内で、そのせめぎ合う勢力を 一人二役で お互いに打ち消しあっていたとしたら?
他の可能性があるよってことです

そのそれぞれの言い分を 十分に表現させる機会を持つこと
それぞれの持っている感覚を 十分に体験すること
そして、出来たら その両者が対話をすることです

40年もの間、打ち消しあって いたのなら、その会合は
一足飛びには 難しいかもしれない 

40年間夫婦喧嘩をしてきた二人 って感じかもしれない

相手を突破することを目的とせずに
ともに座れるか
それぞれが、「私」という主語で 表現出来るか

それぞれの一方が モノローグで語り始めるかもしれない
それに十分に時間を取ることが出来ると思う

たくさんのエピソードが 語られる かもしれない

「私」が 生き延びる為の工夫と努力 
「私」が 局面局面で払ったリスク 判断の経緯 
それは、まさにあなたの歴史 でもある

そして、もしかしたら 
参考にした 誰かの 言葉 があったかもしれないし
折に触れて サポートとしていたものの存在があったことにも触れるかもしれない

自分自身の中に、よすがとなるような
島を築いていくことが出来る


外の世界と関わることは
ものすごい刺激なんです。

その刺激を受けて、自分自身の中で大きな反応が起こる
自分自身の中なのに 相反する意見が 鳴り始める 
めちゃくちゃに同時に ピアノの鍵盤が押されるように

その反応に 当の自分が耐えきれない ことは よくあること

でも、その鍵盤一つ一つ に 居場所と言い分 が ある はず
一つ一つ に 近寄り 出会ってみる ことが出来る

少し練習が要る でも
自分自身とのコンタクトの仕方を練習することは 助けになる
自分が 生きていく時の 自分が自分に出来る助けです

これは、どんな人にとっても
練習が必要な場所だと思います。

最初から出来る人はいないわけです。
生れながらの部分じゃないとこなんです。
人生をやっていきながら 習得していく領域なんだと思います。
人類は、そのように出来ている ようです。

私にとっては、練習可能な場所なのだ と 知れたのは
朗報でした。

ゲシュタルトを作った フリッツ・パールズが言う
「成熟化」 の道筋 です。

私は、この今回のこの出来事は
今の日本の社会が学べること、深められることを
教えてくれると感じています。
同時に、人々の意見や振る舞いを見るにつけ
そんな成熟へ向かう社会の兆しを感じています。

私の信じるゲシュタルトを通じて 私もまた
社会と関わっていきたいと
思いを新たにしています。

ふぅ〜
呼吸 を します。

ありがとう




更新を通知する



個人セッションでお会いできたらうれしいです。



いつも読んでくださり、ありがとうございます。
よかったらぽちっと↓ お願いします。
ありがとうございます。


にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ
にほんブログ村







by masumihug | 2019-06-02 13:01 | 個人セッション

わたしを知って、わたしを生きる。神奈川県藤沢市にて、心理セラピーを行っています。ホームページこちらです。 https://kiku-therapy.jimdo.com/


by masumihug