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2015年 11月 14日 ( 1 )

共生球 その2

『共生球 その1』からの続きです。。


わたしは、預けられた子供達の中で、
一番ぎゃんぎゃん泣いていた女の子の担当になった。

というか、あんまりにも泣いているので、
どうしたんだろう?と近づいていったら、
多分、きっと、他のシッター役の人達、多分、これ幸いと、
別の子たちに関わったんだろう。

わたしと、その子がその場に残った。

で、わたしの最初の仕事。。

おしめを替えた。
初体験だった。

で、それから、
ともかく、抱っこしてみた。
これは、多分、記憶を掘り起こした。

母が、妹を育てていた時のこと、
思い出していたような気がする。

そしたら、何をすればいいか、
何だか段々、
アイデアが湧いてきた。

その子を抱っこして、そこは小さな体育館のような
会場だったのだけど、彼女に、その場所を案内して周った。

カーテンを触らせたり、
木の壁を触らせたり、
彼女は、確か1歳くらいだったと思う、
だから、わたしが抱っこすると、
彼女から見える景色は、
いつもよりかなり高い場所。

大人の視線を経験させてあげようと思った。

彼女の、体のこわばりが、徐々に
解けていく感覚があった。
手応えが、うれしかった。

だんだん、彼女のぎゃん泣きが収まってきた。

聞けば、前回のイベントでは、
預かっていた時間中ずっとぎゃん泣きだったって。。。

だから、皆さん、さっと潮が引くように。。。笑

だけど、そんなに泣いたら、そりゃ疲れるよね。
だんだん、彼女は、眠り始めたんだ。

わたしの胸の前、腕の中で。
へ〜って思った。

そして、わたしは、
壁に寄りかかり、足を伸ばして
床に座った。

眠っている彼女を太ももの上に座らせて、
向かい合わせに。

温かい、というより、熱い。
体温がこちらに
伝わってきた。

そして、眠りの感じも伝わってきた。

そう、同調してきた。

二人して、微妙に揺れているような、
いや、揺れているのは、錯覚だろう。

揺れているような、漂っているような、
二人して、揺りかごに乗っているような、
そんな感覚に包まれた。

大きな透明の球の中、
生温かい空気に包まれているような。

宇宙にたった二人しかいないような。

そんな感覚。

呼吸は、もはや、自分と彼女との区別が
つかないような。。共有しているような。

いや、むしろ、この、大きな球の中では、
呼吸ではなく、エラ呼吸?のような感覚とでも
言うような。

わたしも、眠っているような、覚醒しているような。

夢うつつだった。

そんな状態に浸っている時、
「わたしは、⚪️⚪️を抱いている。
⚪️⚪️のお母さんだ。」

という言葉が浮かんできた。

涙と共に。

その前年に別れた男性の名前が、不意に浮かんできた。

⚪️⚪️は、実母との関係は複雑な方であった。

あぁ、⚪️⚪️も、こんな時期が確かにあったろう、
そして、この記憶も、確かにあるはず。そして、
それを思い出せたら、どんなに良かっただろう。
どんなに、助けになったろう。
そんなことを、思った。

そして、
これが、共生球という状態だ。と、分かった。

母子一体の、理窟なく、なんの遠慮もなく、
ただ漂い、母子一体であることになんの疑いもなく、
その中に浸って、この上ない安心感。

期待が絶対に裏切られない時間帯。
期待も、それに対する応答も、そもそも
一体なので、起こり得ない。

完全な、一体感。

この後の、母子の分離、心理的な、
を、予感もしていないかのような。
だけど、
心理的分離があるからこその、
この瞬間をじゅーぶんに味わう。

味わう必要がある。

出産したことで、実際には、
子供は、母から分離されてはいる。けれども、
この、別の肉体を持ちながら、
と言うか、
別の肉体を持った後で、一体を味わうという経験が、
この世に出てきて自分の肉体を得てから、体感することが
とっても大事なんだ。
この安心感。

この後の人生を、やり易くしてくれる。

この感覚。

そして、
母親の方も、こんな幸せを享受していたのだと、
この時に知った。

わたしの母親が同じように感じたかどうかは
わからない。

そして、他の母親も、実際には、
その子育ての時の環境に大きく左右されると
想像する。

潜在的に親の方にその能力はあったとしても。

そして、その母親自体の心理的、精神的状況が
必ずしも、こんな感覚を十分に味わえる状況かどうかは
わからない。

子供が育つ時に、必ずしも
すべての状況、環境が整っているとは限らない。

そして、往々にして、それは、
そうじゃなかったりする。

だけど、子供は、そんな親の状況なんて
知ってか知らずか、
或いは、おかまいなしに
どんどん育ってしまう。

生きるってことに疑いがない存在。
生命力のかたまり。

その生命力のかたまりは、
母親の方を助けている。

もっと言うと、
抱っこしているのが、
母親だろうと、誰だろうと、
わたしだろうと、
それは、伝わってくる。

もしかしたら、
応えてくれているのかもしれない。

もしかしたら、
応えてくれているのだったら、

実際に子供を産んだことのある女だけが、
この境地を経験できる訳じゃないのかもしれない。

子どもに、安心を与えることができたとき、
子どもは、鏡のように応えてくれるのかもしれない。

それは、愛っていう状態かもしれない。

わたしは、その子どもによって、その幸せな状態が引き出されたし、
その子どもは、それによって安心して、更にわたしを
愛の状態にしてくれた。

相互に、循環する、時間帯だった。
それは、時間の長さの感じはなくて、
空間は狭いようで、宇宙のように広かった。

わたしは、この時思った。

実際に産んだ経験は、
もしかしたら関係ないかもしれない。
だから、大丈夫。
わたしに、その、愛の状態になる能力が欠落している
訳ではないのだ。
と、確信めいた感覚が浮上した。

うれしかった。

産んでない女性の方々。
わたしと同世代の女性で、口惜しい気持ちを
抱いている方がいらっしゃるかもしれない。

だけど、あなたに愛がないわけじゃない。

あなたは、愛で、愛の状態になることはできる。

そして、それは、我が子を抱いた時だけじゃない。
どうぞ、それを、もっといろんな場面で発揮してあげて!

それを待っている対象が、この世にたくさんいるはずです。

実際の親からもらえてない子かもしれないし、
動物たちかもしれないし、
男性のパートナーかもしれない。

もっと言うと、同僚や、上司や、後輩たち
同性の仲間たち、かもしれない。

出し惜しみなく!

この世は、
おんなの抱擁を、必要としている。





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by masumihug | 2015-11-14 06:00 | 個人セッション

わたしを知って、わたしを生きる。神奈川県藤沢市にて、心理セラピーを行っています。ホームページこちらです。 https://kiku-therapy.jimdo.com/


by masumihug