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カテゴリ:私のこと( 26 )

近影

ブログの プロフィール写真を変えました。
アップデートしました。と、言う方が正確な感じがします。

以前の写真は、3年ほど前の私。

見た目で大きな違いは、頭髪です。

15年以上かそこら、定期的に染めてきました。
染めなければ、かなりの部分が白髪だと
わかっていました。

昨年の秋で、髪を染めるのを
終了しました。

もっと前から、
染めない選択をしたかったのだけど
自然な決断は秋になりました。

グレーヘア が 
ちょっと流行ってしまっていて
流行りに乗ろうとしてるって
思われるんだろうなぁと思うと、
恥ずかしいので、つい下を向いてしまうことがあります。笑

自分なりのプロセスを経ているのです。
と、言いたくなります。が、
どの方も、そうですよね。笑

そして、
結構気に入っています。

内側と、外側が一致したような
清々しさを感じています。

見た目 の変化 というのは
やはり 見た目だけではない です。よね。

『成熟化』をテーマに
ゲシュタルトを研究・実践 しようと
しております私としては、
その延長上にある と 思っています。
(控え目な姿勢で言っています)
そうだったらいいなと 思っています。
(さらに精進してまいります)

以前のプロフィール写真とは
随分と、印象が違うということになり、
初めてお会いする方は
もしかしたら、実物を見て
びっくりするかもしれないなぁと
最近気づきました。

ので、
急ぎで変えることにいたしました。

こんな いまの 私です。

お会い出来たら
嬉しいです。


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by masumihug | 2019-05-15 22:57 | 私のこと

富士山だってときどき


戻りました。

セッションで、ワークショップで、
道端で、
あなたさまと、お会いできたら
嬉しいです。


ここ数年、
年に2回、富士山の足元で行われる
合宿に参加してきました。

もちろん、ゲシュタルトのアプローチを
深める学びです。

私自身を実験台に、
私自身の体験をつぶさに見つめてきました。

それは、
私を正確に映し返してくれる場でもあります。

自分自身をあるがままに見る、体験するって言うのは
多くの場合恐ろしいもんです。

通常の人たちは、恐ろしすぎて、
そんなことが起こるずっとずっと手前で
回避します。

それで、思うような生活があれば
全然問題ないです。それは、幸せです。

私は、そこに好奇心がありました。
「知りたい!」がありました。

自分と向き合うことで、果実を得る。
という仕組みを知りました。

喜びがありました。

私と同じような好奇心のある人、
または、その必要のある人がいるのを知っていましたし、
誰かとこの喜びを分かち合いたいとも思いました。

でも、難しさがありました。

自分自身の最奥部へ、触れていく為に、
どんな構造を作ればいいのか?

私みたいなマニアックな人じゃなくて、
もっと、普通の人にもこの喜びを共有するには
どうしたらいいのか?

そんなでっかい課題がありました。

それを、ここ数年かけて作っています。
そして、提供しています。

少しは、それを提供出来るようになったかなと
思い始めています。

さらに精進していきます。

富士山でさえ、ときどき、ひっそりと
この精進湖に己の姿を映して自分自身を
確かめているんだなぁ
なんて思うのです。

富士山に比べれば、なんともちっさい私ですが、
不肖わたしも、こうやって、自分がやっていることが
大丈夫かどうか、信頼できる鏡に映してみる
必要があります。

健全さを保つ為に。

信頼できる鏡がある、そんな場がこの世界にある、と、
思えていること自体が幸いだと思っています。

今年も、ゲシュタルトの気づきの場で
起こることを
楽しみにしています。




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by masumihug | 2019-02-15 23:00 | 私のこと

Aging Gracefully


新聞広告 

印象に残った

「40代と50代の女性合わせて1700万人のマジョリティ」

だって。。

わたしもその「マジョリティ」の中の一人。
ということになります。

マジョリティになったことなどついぞない
と思っているわたしがマジョリティを構成している。
という変な感覚。

何処にも属せず、属さず、
属することに憧れるばかりで叶わずに
今までよく生きてきたなぁと思う。

けど、
これを見て、

あぁ、こんなふうに可視化すると、
こんな感じで共に歩いていた女性たちが
いたんだよね〜、たぶん、と思う。

例えば、
最近連日メディアを賑わせているセクハラとか、そんな言葉もない時代、
何と戦ってるんだかもわからず、
悔しさに挙げた拳は行き先なく、
涙とともに自分に返し戻すしかないようなことをしてたのは、
多分、わたしだけじゃなかったんだろうね〜と、
振り返るくらいの時間が経てば、
わたしもまた大きな時代の気分の河の中で
こんなふうにゆっくり流れてたんだなぁと知ります。誰かと。


ゲシュタルトのおかげで、
いま隣に
目の前に、
誰と居るか、よく見るということを学びました。

そうすることで、
今ここに戻ることが出来る、
コンタクトが生まれる、
現実的な一歩が始まる可能性があると
知りました。

これは、幸いなことでした。

いま日本はかつてない程に平和ないい時代だなぁとつくづく思う。
けど、同時に、
わたしの人生でいまが平和ないい時代でもあるんだろうと思います

Aging Gracefully

「大人になる」とはちょっと違う。
それだけじゃ、ちと物足りないな。

歳を重ねる
成熟する
とは?

を、ゲシュタルトを知ったことによって
欲張っていけるかもしれないと思っています。



『Aging Gracefullyプロジェクト』ウェブサイトはコチラ↓↓
女性のふつうの表情っていいなと思いました。
なぜか涙が出ました。笑








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by masumihug | 2018-04-24 23:49 | 私のこと

江ノ電

*インスタグラムから


えーと、江ノ電に久しぶり乗りましたよ。

高校時代の通学電車でした。

毎朝遅刻をしていました。笑

小さな電車が、
三つの高校の生徒で破裂しそうにぱんぱんになるので
それが終わってから乗るとどうしてもそうなるのです。

だから、私が乗るのは、
いつもがらがらの電車でした。

で、そうすると、
だいたい同じ顔ぶれがいらっしゃいました。

で、別に、
だからといって、
交流するわけでもなく。。

で、学校へ行ったら行ったで、
授業を聴くでもなく、
上の空で、
だいたい寝ており。。

海へ行ってしまうことも
よくありました。

念のため書いておきますが、
他の同級生の名誉の為にも、書いておきますが、

学校は、がらの悪い学校ではないです。
お勉強的には、学区の中には全国的にもとても優秀な高校もあったので、
それからしたら偏差値的は下がるけれど、
決して悪くないです。
生徒さんたちはわりと品の良い感じ。
そして、自由な校風でありました。

毎日遅刻していました。と、言いましたけれど、
私自身は不良少女というわけじゃないですよ。

ただ、自由な校風をいいことに、自堕落に過ごしていました。

よっぽど不良少女のレッテルを貼られるくらいだったら、
私は、誰かのケアを受けられたのかもしれませんね。

毎日遅刻をしているのに、
授業を受ける態度も酷いのに、
テストの点も悪いのに、

なんで卒業できたんだろう?

と、
最近思ったんです。

今頃。笑
随分時間差がありますね。

卒業させるな!

と、ツッコミたくなりましたよ。

もっといかにもーな格好して、
不純異性交遊でもしてたら、
「どうしたの?」って聞いてもらえたんでしょうかね?

「暴走族」「不良少女」
などなど、
そういった、分かり易い看板を掲げていたらね。

そんなコスプレも、
ちょっと、、ね〜。。
恥ずかしいじゃないですか。
「実は、助けてください」みたいな、あからさまで。笑

だけど、
本当に本当にサポートを求めていました。

そして、それを、まったく認識できていませんでした。
まったく、自分が何を必要としているのか、
わかっていませんでした。

そして、
これだけはありましたね〜
「誰かと話したい」

すごく。

話せたら、
何を自分が今最も求めているのか、
気づいたのかもしれません。

誰かが教えてくれる
のじゃなく、
鏡が必要だったんですね。

鏡を、欲していましたね。

それを、身体の中ではわかっていたのでしょうね〜。

よくよく正確に写し返してくれる、
鏡です。

鏡を、探していましたね〜。


そんなことを、
今、思ったのでここでシェアしますね。

そんな、高校生でした。
わたし。

みなさんは、どう?









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by masumihug | 2017-09-23 12:34 | 私のこと

自分の席に座る

a0205246_12350653.jpg
一日に何度か、
「自分の席に座る」という
ことをします。

それをして初めて、
何かを始められる自分で
あるように感じます。

「瞑想」を習慣にされている方も多いと思います。
少し似ているかもしれないです。

私にとっては、
自分自身の三つの領域(*)が、
ひとまとまりになっていくのを感じられる
ルーティンみたいな感覚があります。

一番の恩恵は、
空の空間が空くこと。

空という字が三つ並びましたが。笑

それは、感覚的なものではありますが、
身体の中に、アタマの中に、
カラダの周囲に、スペースが空く感覚があります。

自分の胸の前辺りに作業スペースが空くような
感じでもあります。

「さあ、何が入ってきてもいいよ」というような。

それは、地に足つく感じでもあります。
頼もしさ、でもあります。

そして、ここまでのプロセスは、
文字通りルーティン化しているようで、

その空間が空くと即座に、
そこへポンと何かが入ってくることもあります。

なので、
終わった時に、「あぁ、そうか〜。。」というような
発見がやってきたり、
「大事な忘れていたこと」を思い出すこともよくあります。

そんなことが、起こります。
フレッシュに、何かに取り掛かかろうとしている自分にも気づきます。

(*)三つの領域とは、
ゲシュタルトの用語で言うところの
内部領域(身体感覚)、外部領域(五感)
そして、中間領域(思考)です。

ほんの5分。
長くても15分ほどです。

私が、ゲシュタルトにおいて自分の先生と勝手に
定めている方の言葉を借りると、
それは、スノードームに例えられます。

雪や塵のようにカラダの内外に浮遊している断片が、
静かに静かに、地面へ降りていく様です。

それは、思考の領域の断片であることが多い
かもしれません。(思考を悪く言うつもりはありません。)

パラパラ、チラチラしたものがすべて地面に降りると、
クリアな空間が出来上がっています。あの感じですね。

自分の席に座るとき、
ツールにしているものが
いくつかあります。

坐骨がマットや座布団、床に接する感覚などの身体感覚。
そして、ある特定の砂浜、私の大好きな場所であって
私の土台であることを思い出させてくれる象徴風景なのですが、
そのイメージ。
そして、呼吸です。

これら、自分の席にふわっと降りる為のハンディーな道具は、
これからも増えていくかもしれません。
(身体の部位や呼吸は、いつも持ってるワケだから
文字通りハンディーですよね。笑 
イメージだっていつもアタマの中に格納されています。)

いくつか道具があれば、
環境を問わず、条件を問わずに、
「自分の席」に座ることで得られる境地を
自分自身に招くことが容易になります。

その恩恵、
具体的に言うならば、
私にとっては、

日常における休憩場所、または一時避難場所になり得ます。
野生動物の巣のような、安心して毛づくろいができる場所。でもあります。

私が、私を思い出す。
私が、私にくつろぐ場所。
安心して、呼吸ができる場所。
とも言えます。

誤解を恐れず言えば、
「重力と空気があるという恩恵」を心から感じる時もあります。

私は、クライアントさんには「ホームポジション」と言ったりします。
戻る場所です。
(セッションの中で、こんな瞬間がクライアントさんに訪れることが
あります。
体感で知ることは、本当に宝だと思います。)

ちょうど柳の木に似ています。
柳はしなやかでものすごく揺れます。そして折れることなく復元します。

「戻る場所を知っている」しかも、体験的に。
実は、ものすごく大事なことだと思っています。

人生で少しの冒険へダイブするということが選択肢に入ることを
許すことにもつながるとも言えるでしょうか。

人生をやっていくって、予期せぬことの連続で、
そんなことは分かっているけど、やっぱりその度びっくりします。笑

そんな、衝撃の瞬間でも、呼吸くらいは出来ると思い出すことができます。

呼吸ができれば、そこに物理的に座る場所がないとしても、徐々に、
自分自身が自分の席に座っていくのを感じます。

一旦自分の席に座ってから、
その状況を眺めて見ると、さっきまで見えていたものとは、
もうちょっと違う景色に見えてくることがあります。

「ふんふん、それで、ここはどうなっているのかな?」
より具体的に、よりリアリティに近寄ります。

よく見てみたら、
自分に、新しい色を加えるような、それが意外と似合う色だって
発見するようなよろこびだったりします。

その逆を発見して、それを止める選択へつながっていくこともあります。

「自分の席に座る」
こんなに小さな一手間なのだけれど、
奥深いものがあります。
恩恵は、大きいのです。

臆病なくせに、同時に、人生を逃さずに生きたいと願う、
欲張りな私には。

「自分の席に座る」ご興味ありますか?
ご一緒にいかがですか?


*写真は、うちの猫のコタくん。
私が自分の席に座るをやっている時、
時々やってきます。足の間にちょうど良く
収まっていますね。笑



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by masumihug | 2017-05-20 22:49 | 私のこと
2012年秋〜2013年まで
フォーカシングのワークショップを
よくやっていました。

古いブログ記事を見直しておりまして、
そのフォーカシングを、
ワークショップとして提供したいなぁと、私が
思うに至った経緯と、それにまつわる私自身のこと
について書いた記事に会いました。

少し手直しして、
ここに再度アップいたします。

よかったらご覧いただけましたら
うれしいです。

*****

「感じることが難しい人へ」

2013年2月9日の記事を少し手直しして再掲します。



感じることが難しい人。

それ、かつての私。

どう感じますか?という質問をされると、
イラっとするほどだった。

今はと言えば、その質問が大好き。
感じる質を使うことを自分の生業にしている。
だから、もっと磨かなきゃいけない。

でも、こうなるには、人生は私にちょっと苦労をさせた。

2003年、突然左脚膝から下が炎症を起こし、
しばらく入院し、仕事を休み、病院のベッドで一日中
点滴で抗生剤を身体に流しながら、一日中夢を見ていました。

毎日毎日一日中夢うつつで過ごしました。
病棟の廊下の突き当たりに大きな窓があって、
そこから毎朝朝日が昇るのを見ました。
車椅子に座って。左足だけ、前に突き出したまま。

こんなにゆっくり一日を過ごしたのは、人生初だったかも。

会社へは、でもやっぱり心配だったり、自分の存在を知らせたかったり
もあったかもしれない、しょっちゅうメールで経過を知らせていました。

笑っちゃう。

ぼーっとしながら、自分のやり方、生き方を変えた方がいいのだろうと
分かっていました。

退院し、それからしばらく経って、
あまり大きな声で好きとは言い難かった世界へ恐る恐る
入って行きました。

瞑想なんかを始めてみました。
いわゆるスピ系の人達との交流がありました。

でもね、私は、感じることができなかった。
頭では理解してるよ。
理論はバッチリ。

でもね、実は、感じていないの。
瞑想なんて、絶対ムリだ!

それは、強烈な劣等感だった。
この世界に答えがあるかもしれないと来てみたけれど、
「感じられない」のは致命的だった。

会社もダメ、こっちの世界でもダメ。
私、居場所ないじゃん。

最後の最後、あるセミナーに参加した。
もう、これでダメだったら、私は、またあの物質至上主義の世界
へ戻りますという覚悟で。

そこでやったのは、来る日も来る日も、「感じる」の練習。
真夏の屋外で、ひたすら、木、道端の石、野良猫、花、雲、ビルの窓、
それと向き合った。

泣きそうだった。
落伍者だ。私。

会社では、一定の評価をもらっていた、つもり。
そのために、脚が痛くても、痛さも感じずに、がんばった。
「男なんかに負けるもんか。」
実際、私、男よりデキるし。と内心思っていた。

そして、同時に、
人として、女として、自分がなんの価値も、厚みも、ないの
分かってた。そしてそれを認めてしまうのが、うすうす分かってて、恐かった。

セミナーの、最後の方で、指導してくれる人が私に言った。

「あのね、今手を置いている机、触れてる手が、固いとか冷たいとか、
感じてるでしょ。それが、感じるってことだよ。分かる?
深刻ぶらないで、真剣にやって!」

私、その言葉で、何かが落ちた。

正確には、感じている身体の部分とそれを受け取る心がつながった。
のが分かった。
カチっと音が鳴ったような気もする。

そうか、今、既に、ここにあるんだ。

それでも、感じることは、相変わらず苦手ではあったけど、
徐々に受け取る回路が、流れが良くなっているのが分かる。

日常に戻る。
オフィスにいて、私の中でいろんな声がしている。
それに気づいた。
驚いた。

だって、私は、仕事をしたがってない。
絵が描きたい。ピアノが弾きたい。
今、外へ散歩に行きたい。
太陽を浴びたい。と言っている。

はっきりとした欲求があった。

もっと正確にいうと、
何か、モヤっと、自分の中や周りに存在しているらしいことを、
一つ一つ捕まえて、言語化することが出来るようになった。

「モヤ」のままにしておくことや、
それを無視することにしていたことを、
捕まえて言葉にすることを、
自分に、許可をした。のだ。

そして、
「これが生きているということか!」
と知った。

許可をするとか、しないとか、
自分のカラダで、自分の人生なのに。。。
許可なんかホントはいらないのにね。

この後、このセミナーの続きを受けるため、
要はもっと感じるために、
本家のある米国へ2回も行った。

それが、2007年のこと。
私は、「感じる」を取り戻すのに、ものすごい時間とお金を使いました。
私の場合にはそれが必要でした。

そして、
やっと人間になった。と、本当に思いました。

だから、私、
「感じる」には、人一倍、思い入れがあります。

「感じる」のレッスンができないかなと、ずっと頭の片隅にありました。

私のように苦しんで、答えの見えない人がいるはずだから。
そんな所でスタックしなくたっていいと。

同時に、これを伝えるのは難しいと感じていました。

そして、スキルとしてのフォーカシングに出会いました。
うれしかった。

フォーカシングは、その辺りを知らぬ間に越えさせてくれると思いました。
やさしく、穏やかに。
身体のどこか、を入り口に、ゆっくり丁寧に辿っていくことで、
いつの間にか、「感じる」をやっている。
と、思いました。
これなら、安全に伝えられるし、私みたいに大金を払わなくていい。

「感じる」ことに困難を感じる人に、サポートができたらと思っています。
そのために、このワークショップをもっと育てていきたいと思っています。

なぜなら、人間は、感じていないわけがないということ。
そして、感じるとは、ここに肉体をもって生きているということだから。

今の私は、感覚の中にいるときが大好き。
それを使うのが大好き。
そして、もっとこの感覚を磨こうと、磨かなくちゃいけないと思っています。
そして、描写するための言葉、ぴったりのコトバをもっと持ちたいと思っています。
感じたことを、言葉にして、最高の贈り物にしたいと思っています。

大の苦手だったモノが、今私の一番頼れるモノになっています。

フォーカシングワークショップが、参加してくださる方々の
何かのきっかけになったらと願います。

次回のフォーカシングワークショップは、
2/24日曜日
3/16土曜日
です。

****

**注:この記事は、2013年2月9日のものです。

元のブログ記事はこちらです。↓

フォーカシングだけのワークショップは
現在は行ってないんです。
だけど、

フォーカシングとゲシュタルトのアプローチは
途中までとても似ています。

セッションの中では、それが自然に起こるように
ファシリテートしています。









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by masumihug | 2017-03-07 01:57 | 私のこと
前回の記事から
またちょっと付け足します。

もう一度、意味について。

だから、「生きるに意味はない」で、
自由になった私ですが。。。

じゃあ、本当に意味がないの?と問われたら、

そうじゃない気がします。

意味はないし、そして、意味はある。

恐らく、その生きているということ自体に
意味があると、感じるんです。

「よりよく生きたい」と、一応願って
工夫したり、紆余曲折したりします。
するかもしれません。

そして、事実、主観として、いい時も悪い時もまあまあの時もあって、
そして、そのどのフェーズを切り取っても、その時、その体験している
こと自体が、「生きている(こと自体に)意味(がある)」と、
今は、感じています。

長い、連続物の記事になりました。

私のことを知っていただく手がかりになったとしたら
うれしいです。

お会いする機会があったら、
ぜひ、あなたの感じを聴かせてください。

お聴きしたいです。

読んでくださりありがとうございます。







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by masumihug | 2016-04-25 06:50 | 私のこと

強烈なメッセージ

前回の記事の続きのお話し
になると思います。

「生きるに意味などない」
という言葉自体
何か、読みようによっては諦めみたいに響くかも
しれませんが、逆です。

地に足がついて、
そして、同時に、
もっともっと神秘を感じていました。

『わからない』を、受け入れていました。

先に言っておきますが、
私は、特段信仰している宗教などはありません。
また、いわゆる「スピ系」とは、距離を置きたいというスタンスです。

そして、続けます。

ここに生きていることを、
事実として、
とても実感しました。

この地球がものすごいスピードで自転していること。(約時速1700kmとか)
それでも、振り落とされることがないこと。
事実として。
ちょうどよく重力が働いていること。
ちょうど都合よく大気圏があってそこに酸素があること。
ちょうどよく太陽の周りを回って、公転して、四季があること。
しかも、極端すぎない温度の範囲で変化する。

これらの、ちょうどいい事実は、書き連ねたらキリがない。

だけど、これらが誰かがデザインしたとしか考えられないほど
絶妙なバランスで維持されている。

それが、誰であっても、誰でなくてもいいです。

だけど、これ以上に「だから、生きろ!」という強烈なメッセージが
あるだろうか。と、感じるんです。

なんだか、皮肉だし、矛盾かもしれないけれども、
これだけ強烈に、生きるお膳立てがされている舞台なのだ。と、
感じるワケです。

「生きるに意味」はないけど、
「生きることが大前提」になってるという事実に、
気づきました。

これだけ懇切丁寧に人が生きられるようになっている。

さっき書いた、地球の自転や公転や重力や酸素や温度や
すべてのことがぴったりのところで維持されていて、
それがほんのすこしでもずれたら、今生きている人たちの
命は、ひとたまりもなく消えてしまう。

ものすごいバランスの上に、
私たちの命は預けられている。そして、私たちは、預けている。

そして、あろうことか、このバランスには
何の保証もないんです。

この世界自体何の保証もないのです。

そして、保証のないところを私たちは信じて、命を預けちゃっています。
すべての人間が。

預けちゃってよくて、
誰も、理由など必要としていない。という事実。

驚きです。

科学も、時々「これはそういうもの」として、
理論を積み上げていくことがあると思います。

科学者は、突き詰めれば突き詰めるほど神秘に
出会っていったはず。

科学者は、最も科学的で、
そして、実は最も「わからない」を
受け入れている人たちなんだろうな、と、想像するんです。

この地球(或いは宇宙)と人間の関係性自体が、
こうなんです。

だから、それを、自分に当てはめると、
もう、存在しちゃってる。

それが、事実。

そして、その土台の上でどう過ごすのかは、
まったくあなたに委ねられているんです。

すごい仕組みです。
壮大で、神秘的で、合理的で、
愛があって、責任があります。

いちいちびっくりです。

というのが、
私の考えの土台にあります。





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by masumihug | 2016-04-25 06:26 | 私のこと

使命?

「生きる(ことに)意味」などないんだ。
と、はたと気づいた時がありました。

それは、2007年ごろでした。

そんなに前でもないし、
最近でもないですね。

そうです、それまで、私は、
私が生きる「意味」とか「使命」があると
思ってて。。

それこそ、中2病なんて今は言うけど、
(それにしても、この表現絶妙!ですね 笑)
そんな多感な頃には、
生きる意味が解らないのに、どうやって生きろと言うんだ!と、
怒っていた。

つまり、この言葉から分かるように
誰かによって「生きろ」と言われたり、
誰かによって「意味」や「使命」が与えられている
という、感覚を無意識に前提していたのだと想像します。

主体性が、ないワケですね。

社会人になっても、
問い方は「意味があるはずだ」
「私だけの意味が!」
へ、変わり、
「その与えられた使命」を
見つけるんだ!というような、
感じがあったように、
今となっては、うっすらとした記憶。なのだけど。
思い出す。

その時には、結構強烈にありました。


2003年頃が私自身の生き方や
考え方を意識してシフトした時期に当たり、
正確に言えば、シフトしようとしていた時期だけど、
自分探求を、頑張っていた。

その探求の目的は、
「生きる意味」「私の使命」を見つける。
だったように思う。

何か、それが書かれた、私の名前入りの、私の為だけの、
アカシックレコードのようなもの、見つけられると信じていた。

とてもロマンチックだ。

そして、

同時に、虚しさを抱えていました。

「人生というのは、自作自演の田舎芝居」
「死ぬまで暇つぶし」
こんな言葉が、頭の中にありました。

そんな、期待と絶望を繰り返すうち、

「自分が生きることに意味などないんだ!」と、
という言葉が、急にやってきた。というか、
気づいた。

同時に、
「意味は、(もし欲しいなら)自分で作るんだ」
「生きるっていうのは、自分で作る(創る)ものなんだ」
「(勝手に)作っていいんだ!」

と、言葉がやってきて、
とても自由な感覚になったのを覚えています。

とても解放されたような感覚でした。

そして、
「生きることに(予め)意味などない」ということを
前提にしてみると、その方が、
体験している事実と辻褄が合ってくることを感じました。

すごく、楽になりました。

その中には、
もう自分に嘘をつかなくていい。
過度な期待をしなくていい。
今の自分でいい。

そんな安堵感も含まれていました。

そして、自分の好きなように描けばいい。

とても、広いスペースが現れたような感覚になりました。
うれしかった。

『強烈なメッセージ』へ、
つづきます。



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by masumihug | 2016-04-24 06:00 | 私のこと
先日、必要ないものを購入した体験は?
という問いから、そこに何かの可能性を見出せるということで、
質問される機会があり、思い出していたら、コレだった。



2005年に私はコレを2万6千円で買ったんだ。
おまけに付いてるTシャツが眩しかった!(着ることはなかった、幸い)。

厳密に言えば、必要ないものじゃない。
本当に、欲しかったんです。

だって、当時、wowowの土曜日深夜の放送を毎週楽しみにして、
VHSのテープに録画して、何度も何度も観ては涙したのだ。

それからだいぶ経って、このDVDが発売されて、
その頃を思い出し、
これは、絶対に手元に置いておくべき!と。

ところがね、結果的に、観なかったんだ。
実を言うと、放映中も、最後の2シーズンくらい(?)は観てないの。

私が一番好きなのは、キャリーがビッグと出会っていく、
そして、恋をして、やがて、付かず離れずの関係が続く。悶々とする。

キャリーは自分のキャリアを積み上げながらも、
女性としての典型的な幸せに安住することへの欲求と抵抗の葛藤を、
ビッグという対象を常に持ちながら、むしろ持つことで、
悶々と、相変わらず、悶々と、やっている。

それが、好きだった。

私は、キャリーにそうしていてもらいたかった。ずっと。

そして、ドラマも展開し、
キャリーがエイダンに出会う頃、私の人生も流れていって、
土曜日のその時間に私は家には居なくなり、(つまりパートナーの家で
過ごしていた)自然とドラマを観なくなった。

いつの間にか、キャリーはエイダンみたいな、やさしい大きな、
だけど、典型的な幸せをくれそうな男性を、やっぱり振り払うように、失っていた。
私も、一個恋愛を失っていた。
ドラマは、優しく私を泣かしてくれた。

それからは、もうこのドラマを観るという努力をしなくなってた。
ドラマと自分の現実がどんどん乖離していったように感じたし、
もっと言うと、世の中とドラマがちょっと、多分、合わなくなってたかもしれない。

アメリカで、911が発生して、世の中は随分と変わったし、
それにつれて、私っていう個人も多分思いがけず、影響を受けていたんだなぁと、想像する。

ドラマよりも、自分自身が体験している現実世界に自然と注意が向いていった。
そっちへ夢中になった。
自分に起きていることの方が、ドラマよりももっともっと大切になった。のだな。

そして、ここまで書いて、あれから、随分と年月が経ったもんだと、感心する。

世の中も、自分自身も、
そりゃあ目まぐるしく、変化したもんだ。だから、自分に目が離せなくなったんだなぁ。

そして、話を戻すと、
私は、このドラマに限らず、ドラマ自体あんまり観ないのだけれど、
だからこそ、観ている場合は相当気に入っている。
そして、何故か、最終回を見逃している。だいたい。

これは、偶然ではないと踏んでいる。

そして、推測する。
私は、そのドラマが巡航速度に居る時間帯に一緒に居るのが好きなのだなと、解ってくる。

その雰囲気にずっと浸っていたい。
登場人物達に囲まれて、生きている感じを味わっている。

だから、終わりを告げられたくない。
そんな想いが、あるのかもしれないと、今、想像している。仮説を立ててみる。

そして、そんな中、先日それを、ちょっと変えてみた。

「ちかえもん」というNHK木曜時代劇を
大好きで毎回すごくすごく楽しみに見ていたのだけど、
案の定最終回を見逃していた。

それに気づいて、「またか。。」と、思ったが、
ちょっとパターンを変えてやろうと思った。

そして、youtubeで探したところ、あった。
観た。
ちょっとだけ、勇気が必要だった。(←ここにハードルがあったこと確認 笑)

涙と共に、私はその終わりに満足した。

最終回自体にも満足したし、
浸っている自分を終わりにする、ことができた自分にも、ちょっと満足した。

そして、また、今、そこからも離れている今の自分に、
今気づいている。

うんうん、大丈夫みたいだ。と、確認している。

そんなこと、今、思い出した。

「巡航速度」の中に浸りたい。
と言うと、心からカラダから頷く私がいるのが解る。
あ〜、そうなんだね。

そして、この世は状況は、常に変化し続けている。
自分もまた。
自分から、自然に離れてしまうことだってある。それも良し。

ある種の「終わり」は常にやってくるし、
その中に、見えない「始まり」の芽もあるんだろう。

「終わっていく」「終わりにする」「離れていく」
ここに、何かの感情があることに、今、気づいている。

ゲシュタルトのワークで探求してみること、おもしろそうだな。

私にとって、これから生きていく上で、
何か大事なこと、出てきそう。

その領域のアウェアネスを拡大する、その時期なのかな。

そんなこと、感じている、今の私です。



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by masumihug | 2016-03-27 16:33 | 私のこと

わたしを知って、わたしを生きる。神奈川県藤沢市にて、心理セラピーを行っています。ホームページこちらです。 https://kiku-therapy.jimdo.com/


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