人気ブログランキング |

カテゴリ:読んでほしい記事( 4 )

これは、2月に書いた記事なのだけど、
もう一度、投稿したくなりました。

よかったらご覧くださいませ。



成長だとか、
変化だとか、

というのがあるとするならば、、

と、書き進めようとしつつ、「成長」という言葉で引っかかることが
あるので、書きます。

世の中で使われている「成長」という言葉は、
なにかここで私が使う時に適切な好ましい感じがないのです。

「成長」って言葉が、悪いのではなく、
「成長」という言葉に、何か人々の「考え方」がくっついている、
ように思うので。

くっついている手垢のようなものが、ここで使う時に好ましくないと、感じるのです。

だけど、他に良い言葉が見つからないので、手垢なしのただの「成長」という意味で
捉えて頂けたらと思います。或いは、単に「変化」でも良いのかもしれません。

少し、落ち着きました。

戻りますね。

「成長」「変化」っていうのがあるとするならば、

わたしの好きなゲシュタルトのせんせーの表現によれば、

それが起こる場所は、

「何か」との向き合い方や、
向き合う質、
「何か」に気づく時のその質です。

と、聞きました。

あぁ、まさにそうだと、腑に落ちました。

「それ(気づいている対象)」と、
いま、わたしは、
どんなふうに、向き合ってるか?
或いは、つき合っているか?

「それ」に気づく時、
どんな質で気づいているか?

「それ」自体は、実際のところ一切変わりはないワケで。。

だけど、

「それ」と「わたし」の
(心理的/物理的)距離や、

「それ」に気づいた時の
わたしの姿勢や、
わたしの表情や、

その時の、
感情や、

興味、好奇心、

体の感覚や、呼吸の仕方。

が、(いつかの時点と今で)変化していたとしたら、

プロセスしています。何かが起こっています。

そのプロセスを、
「成長」とか「変化」と、
表現したくなるかもしれません。
あるいは、「成熟」と呼ばれるものです。

「それ」とは、

あなたにとっての、
何か過去の、「思い出すのもおぞましい」と思っていたエピソード。
だとか、
ある特定の人物の名前が入ってくるかもしれない。
何か、概念かもしれない。

或いは
もしかたら、自分自身のある特定の「状態」かもしれない。

そして、
「それ」自体をなくそうとすることや、
「それ」をどうやって避けるか、やっつけるか、
勝つか?
手なづけるか?
に、長年腐心してきたかもしれません。

世の中にそういったHOW TO本が、ごまんとあります。
「それ」と戦おうと、する系ですね。

「それ」に働きかけるやり方。「それ」の方を変えようとするやり方。

もしかすると、
知らず知らずに「それ」自体に、
いたずらに力を持たせる努力になっていたかもしれません。

それによって、
誰か知らない本を書いた人が一儲けするのを助けている。
誰か知らないライターさんの生活を援助している。
かもしれない。
ってことに気づきが拡がっている自分に気づくとしたら、
これも、また、変化。と、言える。

人生の中に、いろんな「それ」があって、
「それ」の方を出っくわす度にやっつけなくてはならないのは
とても疲労する。

実は、「それ」には、一つ一つ個性がある。

「それ」を変えるんじゃなしに、

一つ一つの「それ」の顔を見てみる。
自分の「目」を使って見てみる。
自分自身の体験を使って、出会ってみる。

想像の中で「それ」について考えていることから
出て。

コンタクトしてみる。

ただ、目を開けて、
ただ、対象を見る。

それが、起こっているのに気づくかもしれません。

それを許していると、
身体に衝動が起こっていることにも気づいてくるかもしれません。

もう、止めていない自分に気づくかもしれません。
その衝動をどうするか、も、選択ですが、
その衝動とも一緒に居ることが出来る自分にも気づくかもしれません。


「想像」の中で「それ」について考えている
「それ」と直接会う

そんな実験が出来るのが、ゲシュタルトのセッションの場。
と、言えると思います。

そして、そんな時を迎えている方が
セッションにいらしてくださるのだなぁと思うときがあります。

人生を重ねなければ、向き合えない「それ」もあります。

言い換えたら、
人生を重ねたから、いま、向き合えている。と、言えることがあります。

そして、
その「向き合い方」というのは、
どこかで止まるワケではなく、
やっぱり、プロセスし続けるものなのだと思います。

で、それに気づく時、
今までも、「プロセスし続けていた」少なくとも「プロセスしようとしていた」
或いは、「プロセスを止めていた」
と、気づくのだと想像します。

世の中で変化しないものなど多分なく、
もし「止まっている」のなら、
誰かが「止めて」います。

だけど、「止める」にも、理由があります。
その必要がある時があります。
そのようにして、自分自身の身の安全を守っています。
何より身体は、「生命維持」を最優先します。

だから、今までの向き合い方を否定するわけじゃありません。
敬意を払いたいです。

その上で、新たな向き合い方を選択肢として付け加える
実験をしているのです。

或いは、
何かと共に居る力
自分自身の体験を許し、体験と共に居る力
を、確かめる実験でもあります。

それは、
自分が自分を信頼していく
プロセスとも言えるかもしれません。


そんなプロセスが動き出すとき、
サポートが必要です。
また、プロセスに時間を渡すことも。
また、安全を確認出来る環境が必要です。

必要なのはアドバイスではなく、
何も捻じ曲げずに、あなたを正確に映し返す鏡です。

「成長」って、居心地が悪いものなんです。
不安定なんです。
あえて、不安定を作り出すようなもんです。

だから、サポートが必要です。
人のカラダはそれを知っています。

サポートが見つかると、自ずと、
「止める」を止めるが始まるんですね。

そういうメカニズムは、自然なんですね。

そう信じています。

すべては、動き続けています。

わたし自身の経験からも、そう信じています。

すべての、大人になってからの自分自身の成長を許す人に
その勇気に、幸あれ!と、心から言いたいです。
それが、「成熟化」というものだと思っています。

ありがとう。







個人セッションでお会いできたらうれしいです。



いつも読んでくださり、ありがとうございます。
よかったらぽちっと↓ お願いします。
ありがとうございます。


にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ
にほんブログ村







by masumihug | 2018-06-07 13:50 | 読んでほしい記事

私が私でいること

「今私、まさに私だ」
「今、身体全体で私でいる」

そのように身体ごとで実感している瞬間。
あるかもしれません。
そんな経験が過去にあったなぁと思いだすかもしれません。

そして、
人生のいつもいつもがそうであるわけではないです。

「あるがまま」の自分で、
四六時中居られるワケでもないです。

ましてや、
「あるがまま」の私で居るために、
必死で努力していたとしたら、本末転倒です。

だから、
何度も何度も
繰り返し、思い出します。

こんな大事なことなのに、
忘れてしまうんです。

脇に置いてしまうんですね。

だけど、
安心してください。
それは、何処へも行かないんです。

あなた自身だからね。

いつも
あなたと共に居るんです。

だから、
それは、殆ど思い出すという
ことになります。

だから、
「自分の席に座る」を日課のようにやっています。

「呼吸に気づく」を、
ちょいちょいやります。

それによって、
「今ここ」へ自分が戻ってくることができます。

自分が自分へ戻ってくることが出来ると思います。

自分が、自分の家に戻ってくるような。
自分が、自分自身にくつろぐ。

そして、
今起こっていること、
今体験していることと、
それが何であれ、
「それと共に居ることが出来る」自分を
思い出すことができます。

セッションによって、
その力を育んでいるとも
言えると思います。

今、何と出会っていても
呼吸くらいはする時間があると
思い出すことができます。

そうすると、
選択肢があることに
気づきが広がっていくのを
知ります。

ゲシュタルトの気づきのアプローチは、
何もセッションの中だけのことではなくて、
日常で生かしていくことが可能です。

何より、自分自身に備わる機能だから、
何より、自分自身を先生にしていく
アプローチですから。

セッションという時間でゆっくり丁寧に
気づきの使い方、思考との付き合い方に
選択肢を発見したら、それを
日常へ落とし込んでいくことが
出来るかもしれません。

ゲシュタルトは生き物が生きる仕組み
そのものを応用しているわけです。

自分が、「自分自身へ戻ることが出来る」
と知っていることは、
幼少期のトラウマを解決しようとすることより
重要だったりします。

もちろん、その方の大きなテーマに取り掛かる
時があります。それを否定している訳ではありません。
ゲシュタルトセラピーはまさにそんな時頼りになる
アプローチです。

そこを一瞥しながら、目配りしながら、
今を生きていく術を身につけていくことは
自分自身のパワーを取り戻すことにつながります。

そう信じています。

ひいては、それが、
大きなテーマに取り掛かる準備になります。
あるいは、それが氷解していく可能性があります。

プロセスの邪魔をしないで
やさしく、
開いているドアから。

起こっていることに
任せていきたいと思っています。






〜個人セッションでお会いしたいです〜

120分間、自分自身に最大の興味と関心を向ける
あなたのための時間です。
あなたがあなたと出会っていく時間になります。

 



いつも読んでくださり、ありがとうございます。
よかったらぽちっと↓ お願いします。
ありがとうございます。





by masumihug | 2017-07-02 15:28 | 読んでほしい記事

強いのはどっち?


ここのところのマイブームは、
『衝動』。

いいや、ゲシュタルトと親しんでから、
身体感覚との経路が繋がってから、
その自分自身の「衝動」というものには
親しみを持っていたはずだし、
ある程度関係を構築して来たと
思っていたのだけれど、

まだまだ
そこは、拡大可能だったみたいです。

ということにうっすら気づき始めて、
それから、
自分自身の「衝動」に
もっともっと丁寧に
耳を澄ましてみています。

試し試し、実験しています。

「衝動」さんを、
どうしょもない人だと、
ものすごく荒ぶる人物だと、
ものすごく狂気の人だと、
手に負えない人だと、
思い込んでいたかもしれない。

例えばこれを、
「外交」に置き換え考えてみれば、

自国より大きな力があると想定されたら、
それより軍備を拡張して備える。
が、常識。

あるいは、それを大義名分にして。
新しい武器を買う。

同じことが、
自分の中でも起こっていて、
そして、
それは、
ある種の妄想を根拠にして、
それを抑え込む力を増大させている
可能性がある。

抑え込むこと。
「コントロール」するとかしないとか、
言い方は様々だけど、
要はそういうこと、
そんなノウハウ本が巷にたくさんある。

巷では、
「抑え込むこと」それは、賞賛に値する。
みたいです。

それは、
自分自身がものすごい攻撃力を持つ。
ということかもしれないです。

その攻撃は、何に向けてかと言えば、
自分自身に向けている。
銃口を。
自分自身を、脅している。

こうなると、
攻撃体勢から、任務から降りることは出来ない。
24時間。

なんでかと言えば、
自分と自分は常に一緒にいるから。

疲れますよ。

気が抜けません。

「恐怖」と関係があります。

(恐怖があるところは、大きなマーケット
でもありますよね。)

見えないもの、
わからないもの、
予想できないもの、
に対して
人は恐怖感を持つようになっていて、

恐怖感は、
思考の中でどんどんインフレーションしていく。

妄想が膨らめば膨らむほど、
相手は大物になっていく。

言い換えれば、
相手に対して自ら力を与えています。

ただし、それは、
あくまでも妄想の中でのこと。

自分自身の衝動とは何か?
それそのものを精査していない可能性がある。

対象そのものとのコンタクトが
欠けている。

対象、この場合、
自分自身。

皮膚より内側に居ますよ。
どっか遠くの国じゃありません。

生身のコンタクトが
すぐにでも可能です。

想像の中ではなく。

身体感覚への気づきをもう少し多めに
ブレンドしてみることができます。

ゆっくりゆっくりです。
いきなりはダメです。
礼を尽くします。
親しい中にこそ礼儀あり!

もしかしたら、
それは、
そんなに恐ろしいものじゃないかもしれないんです。

実際のところ、
どんな想いがあって、
どんな願いがあって、
どんな動きをするのか。

どんな音を出すのか。
どんな言葉を言い出すのか。
どんな感情を持っているのか。

そこに、何かストーリーや歴史はあるのか。

そもそもそんなものがあるかどうかさえ
無視していたことにも気づくかもしれません。

「誤解」があるかもしれない。

もしかしたら、
実は、もっと、素朴なものかもしれません。

もしかしたら、
どこかピュアで、
儚さを含んだものかもしれません。

だけど、
どんなに抑え込んでも
脅しても、へし折れず、
いつもそこにある。
そんなタフさを兼ね備えてる。
ことは、確か。

こちらがどんな武器で脅しても、
どんな思考という言葉の武器で脅しても、
ノウハウ本の誰かの方法で操作しようとしても、

頭を引っ込めはするけれど、
生命までは失わない。

そこまでの生存力を持っている。

それは、

あなたの生命と
関わりがある。と、仮定してみると
どうだろう。

あなたは、あなた自身を殺す殺戮部隊を
養成しているってことに気づくだろうか?

あなたの中で、あなたの死が起こっている。

としたら、どうだろう?

そこで、
実際には何が起こっているんだろう?

その「衝動」そのものになってみたら、
どんな呼吸をするでしょう。
どんな音が出るでしょう。

それは、そんなに迷惑なんだろうか?
それは、そんなに狂ってるんだろうか?

コツは、ゆっく〜り辿ること。
スローモーション。
身体を使うこと。
呼吸を使うこと。
口に出しながら。

試してみることができます。
対話が、可能かもしれません。

あなたの衝動は、
あなたの言うことを聞いて、
あなたの要求の通り、
死んだように
なりを潜めていますが、
その実、あなたと片時も離れずにいて、
あなたの助けになろうとして、
「死ぬ」という選択肢は持ってなくて、
だから、絶対に死なないということに
気づくかもしれません。

あなたを底で支えていたのが、
あなたが死のうと思った時に踏みとどまらせていたのが、
このあなたが厄介だと思っていた「衝動」
だとしたら?

あなたをあなた自身だと思う時、
あなたがイキイキとする時、
あなたがカラダ全体で自分だと実感している時、

この衝動と一体となっていた瞬間だったとしたら?

ゆっくり、丁寧に、
スローモーションで、
自分自身に気づいていくことができます。

私とあなたの二つの気づきで、
やさしく見守りながらです。

自己理解のプロセスに、
大きな一歩を加えるかもしれません。

ご興味あれば言ってください。




〜個人セッションでお会いしたいです〜

120分間、自分自身に最大の興味と関心を向ける
あなたのための時間です。
あなたがあなたと出会っていく時間になります。

 



いつも読んでくださり、ありがとうございます。
よかったらぽちっと↓ お願いします。
ありがとうございます。





by masumihug | 2017-06-25 14:54 | 読んでほしい記事
ワークの中で登場して来た人物を、
エンプティチェアへ招待することがあります。

ゲシュタルトセラピーの中の技法で、
特徴的な、「エンプティチェア」という
ものがあります。

もちろん、
セッションの時に、
浮上して来た人物に実際にその場へ
来てもらうワケではないです。

どのようにするかと言えば、
空の座布団を用意して、
ワークしている方に、それをぴったりの場所に
置いてもらいます。

なぜか、ココという場所があります。

そして、
その空の席に、その話題にのぼって来た人物に
座ってもらうのです。

人物と言いましたが、
人物ではない時ももちろんあります。

通常だったら形を持たないものを
そこへ招待することもあります。

『頭痛』とか、
「笑い」とかって場合もありますね。

なんであれ、今、ここでクライアントと
向き合う時がやって来たモノです。

例えば、
私の昨年初めのワークでは、
私自身の「子宮」と「子宮筋腫」を招待しました。

何が起こるかは分かりません。

そして、
そこに席を作って、
互いに座ってみるところから始まります。

イメージを使います。
だんだん、体感が伴って来るのに
気づくかもしれません。

「座れない」
あるいは、
「どうしてもその人をそこへ座ってもらうことが出来ない」
が、起こって来るかもしれないです。

で、あれば、
既に、何かが起こっていますね。
すごく。

なんであれ、
起こっていることを信頼していきます。

エンプティチェアは、
とてもパワフルです。

こうやって書いているものを読んでいても、
一体そのどこがパワフルなのかは分からない
かもしれません。

クライアントにとっては、強烈な体験に
なる場合があります。

つまり、
クライアントしか分かりません。

ゲシュタルトの継続的な問いかけ、
「今、何に気づいていますか」
「今、何と出会っていますか」

によって、

表現されるものを、表現されるままにしてほしいです。
それを、邪魔しない、または、
勇気づけるのが、私のやること。

そして、
セッションの中で、エンプティチェアを経験された方も、
もしかしたら気づいていらっしゃらないかもしれません。が、

その向き合っているモノは、
ご自分自身です。

自分自身の中で、葛藤しているその葛藤それ自体を、
想像の中ではなくて、この世で再現しています。

思考の中で行われていることを、
今ここで体験するというやり方です。

例えば、会社の同僚や、母親や、パートナーの席を作って
対話をしていますが、
実は、それは、パペットに過ぎないです。

その中身は自分自身の中に確かにある質です。

パールズがその著書の中で、
こんなふうに言っています。

引用してみます。

人の、そして、部分の各々を取り上げ、それらを互いに出会わせてみるのです。脚本を書いてください。「脚本を書く」と言うのは、相反する2つの部分に会話をさせるという意味です。そうすれば、特に正確に両極を捉えれば、それらは常に、互いに争いを始めるものだと言うことがわかりなるでしょう。すべてのあらゆる部分は、あなた自身であり、あなたの投影なのです。そしてもし一貫性に欠く両極、矛盾する両極があり、それらを互いに争わせるなら、あなたは永遠の葛藤ゲーム、自虐ゲームをすることになります。その出会いの過程が進む中で、違いを理解し認めることに至るような、二つの相反する力の調和と統合に至るような、相互の学びが生じるのです。そしてついには、内戦は終結を迎え、エネルギーは外界との闘争に向けて備えられるようになるのです。


『ゲシュタルト療法バーベイティム』

第四章 神経症とはー無・レスポンスアビリティ・変身・夢


葛藤ゲーム、自虐ゲームは、
退屈しのぎにはおもしろいかもしれません。

そして、もしかしたら、
それを、知的な思考の活動だと
思われている方もいるかもしれないです。

深遠な哲学的なテーマ。と、言って。

そして、
だけど、そのゲームが、自分にとって好ましいものを
生み出していないような気がして来たなら、
検証する時です。

そして、
身体がへとへとに疲れていることに気づいて来たなら、
ワークの時です。

その身体の感覚がワークの入り口になります。

自分自身の中での内戦で、
自分自身の殺し合いが続いていたなら、
最後の一人まで殺してしまいそうなら、
その前に、試しにワークをしてみるのも
悪くないです。

内戦に精魂尽き果てて、
大事な外界とのやり取りに使うエネルギーが
ないのじゃない?

自分自身と和解して、
自分自身を味方にして、
自分自身を逞しいチームにして、
人生っていう外界との接触を
意気揚々とやっていきたいと思うのです。

こんなふうに
ちょっと強めに思い、願うのは、
かつての私をそこに見るからにほかならない。

「かつての私」と言うけれど、
その質は、何も変わることなく私の中にあるのです。

強い衝動とエネルギーの動きです。
それを自分自身の質だと認めて、
それと仲良くなる方法を編み出して、
それをリソースとして自分にとって好ましく
使って行くことに今は、工夫をこらしたい。
と、思うようになった。

そうでなければ、
かわいそうだ。

外界に理解者を探す、
それもいいけど、
その前に、
自分自身が、自分の最大の理解者に
なる。

そう在りたいと思っています。

ゲシュタルトの気づきのアプローチが、
自己理解のプロセスに貢献することを
願っています。





〜個人セッションでお会いしたいです〜

120分間、自分自身に最大の興味と関心を向ける
あなたのための時間です。
あなたがあなたと出会っていく時間になります。

 



いつも読んでくださり、ありがとうございます。
よかったらぽちっと↓ お願いします。
ありがとうございます。





by masumihug | 2017-06-12 18:33 | 読んでほしい記事

わたしを知って、わたしを生きる。神奈川県藤沢市にて、心理セラピーを行っています。ホームページこちらです。 https://kiku-therapy.jimdo.com/


by masumihug