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「偏見」なの?


コレ、「偏見」

なのかな?


「偏見」は、誰の中にもあるワケで、

言っちゃいけない事になってるから言わないだけで。

言わないから偏見がないとは限らない。


この人を擁護はもちろんしないけど、

極刑に処すべきだ!という意見を見て、

違和感を感じる。

もっと言うと、どの口がそれを言う?と

感じてしまう。


この人、現場で苦しんだはず。

私も、短期間だけど、縁あって精神障害や知的障害(とその両方)

の方々を支援するコミュニティで、

入居者と一緒に暮らしていた経験があるので、

少し、想像がつきます。


喜びもあったし、地獄もあった。


この人、施設の現場の状況に、

「これは、どうにもならない。」に行き止まったのだと思う。


そして、自分の方がどうにもならなくなって、

どうにもならなくなってるのが、自分なのか福祉の現実なのか、

分からなくなったのかもしれない。と、想像しました。


で、実際には、

どうにもならない自分に耐えられなくなっているのだけど、

福祉の現場をどうにかしなくては!にすり替えて。。


耐えられないから解決したくなって、

「解決」というのは、時に暴力的で、

世の中は、「解決」しないで置いておくことがたくさんあるワケで、

それがある種の健全さなワケだけど、

それを忘れてしまう。

視野が一変してしまう。


(そして、本当の解決は、

解決を手放した時に訪れたりするもんで。)


それくらい、こういう施設に身を置いていると、判断力が低下する。

単純に、身体も心も疲労困憊するから。

彼らと相対するのには、ものすごくパワーが要ります。


親御さんを救う、職員を救う、っていう

大義名分に燃えた正義の自分は、

実は自分を救おうとしたのじゃないかな。


「弱い人」に優しく出来ない時もある。

手も足も出せない、言葉でも、心をいくら使っても、

理解し合えない。


「弱い人」っていう印籠の前に

ひざまずいてる人がいることに思いを馳せずにはいられない。


だから、

この人がやったことはもちろん罪は大きいのだけど、

多くの人の心の中のつぶやきが、形になったのかも

しれない。


「偏見上等」「差別歓迎」の、叫びの井戸があったらいい。


「健常者」は、どこまで寛容になればいいの?と思う時が私はある。

健常者と言われていて、きれいな仕事をしてて、十分な収入があって、

家族があってって人自身だって、必要な努力をしている。

決して楽して手に入れた環境じゃない。


「王様の耳はロバの耳!」って、安心して言える場所がないと、

健常者ももたないよ。ましてや、施設職員は。


手前味噌だけど、セッションの中で、

その人の中にあって出ようとしている、その人にとってのタブーを

口に出すことを勇気づけることがあります。


それによって、生命力が息を吹き返してきます。

ただ、言うだけで十分な時もある。


ドン引きされずに、好きなことを言える

自分にとっての安全な場を、

確保できたらいいよね。


ドン引きされそうな予感がしながら、

投稿するボタンを押します。笑




いつも読んでくださり、ありがとうございます。
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ありがとうございます。





by masumihug | 2016-07-28 18:25 | 個人セッション

ポイント稼ぎへ

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  産業カウンセラーの資格を更新するのに
  お金と、ポイントが必要です。

  ポイントとは、
  協会主催の講座に出席することで、
  もらえます。

  もちろん有料です。

  あまり行きたくありません。


理由は、出席者が全員
産業カウンセラーだからです。

もとい、産業カウンセラーの有資格者
だからです。

(資格があるからって、
カウンセリングを行っている人は少ないです。
そして、有資格者がそのまま
クライアントにとって好ましい
カウンセラーかどうか保証するもんじゃ
ありません。まったく!ありません。)

どんな人たちかと言うと、
あくまで私の印象ですが、
およそ人に寄り添うような人たちではない。

ゲシュタルト関係以外で、
こういった講座にたまに参加する経験の中で、
もっともセンスのない人たちが集まっています。

そんなこと言っておいて、
私も、産業カウンセラーの資格を
取ったんですけどね。

しかしこの受講は、
苦痛極まりない期間でした。
講師が酷い。

その話は、キリがないのでおいておいて。

今回は、安い講座で、時間が短く、
さらっとソリューションフォーカストアプローチを知る
という内容でしたので、ポイント稼ぎのためだけに
出席することにしました。

「解決志向アプローチ」と言って、
ブリーフセラピー(短期療法)の一つ。

昔からコーチングのコーチ達が、
コーチングが機能しないために
よく取り入れていたので名前だけですけど
知っていました。

今回は、本当にさらっとですが、概要を知りました。
しかし、講師が言っていましたが、
「本当にこれだけなんですよ」ということなので、
さらっとじゃなく、本当にこれだけなのかもしれません。

印象としては、
これが機能するのは、どういう人だろう??
という謎でした。

「未来志向」「問題に焦点を当てない」
ということで、
私の印象は、
「ほらほら!そんなほころびてる所なんか
ほっておいて、あの太陽を見なよ!」
「あっちの草原へ行こうよ!」

みたいな、恐さを感じました。

確かに、一瞬の目をそらす感じにはなるでしょう。

しかし、何か問題に囚われて一つの世界観でしか
ものを見れなくなっている人に、
また別の世界観を与えるだけではないか??
という疑問が残りました。
無責任な感じがします。

どっちにしろ「今ここ」には、
いさせないワケです。

私としては、「現状認識」をしっかりすること
が何より大事と思っています。

自分が今、どこにいるのか?
現在位置を知らなければ、
迷走するのみです。

それ以前のことですが、
講師の声が非常にかん高く耳障りであったのと、
妙なハイテンションでしゃべり続け、
不自然な明るい振る舞いに気味の悪さを感じてしまい、
尚更眉唾に感じました。
後で、なにかと似てるな〜と思ったら、
水商売の質でした。

こんなアプローチで、
何10回も通ってくるクライアントさんがいる
ということで、
単純に羨ましくもありました。

いいな~。

20年来のクライアントもいると。。
もしかしてそれ自慢してる?
と、耳を疑いました。
だって、20年間その人、巣立ってないのでしょ?
どういうこと?
あ、そうか、水商売だからか。
リピートしてくれる人は上客ですね。

そして、セッション中の質問に「なんで?」が多いのも
ダサいな〜という感じがしていました。
センスがない。

なんで?って。。。

それ聞いてどうすんの?

「なんで?」は、
「思考」の領域に居がちになってしまっている人を、
更に、その領域に留めてしまいます。

セッションの場において、
質問ってものすごくパワフルなんです。
その威力を知って使うことが求められています。

自分自身のパワフルさを確認するためじゃ絶対いけない。

すべてはクライアントさんのためになっていなければ。

そして、
身体感覚や、五感の領域、もちろん思考の領域も大切ですが、
この三つの領域を満遍なく、ぐるぐる回遊できることが、
健全さであり、楽さであり、ゲシュタルトの目指すところです。

臨床心理の世界は、
日本だけだろうか?
身体と切り離してしまうところが、
残念なところだと思います。

だけど、
だからこそ、私が
役に立てるのだと
思っています。

自分のアートを磨かなくちゃです。
人のこと言ってる場合じゃないです。

失礼しました!

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by masumihug | 2016-07-26 12:52 | 個人セッション

コンタクト

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誤解を恐れず言えば、
わたしは、コミュニケーションなんて
どうでもいい。
コンタクトが欲しい。


誰かと共に居て、
その人を感じながら、
自分自身の内側に触れながら、
また、その人に触れていく。


その現在形の流れの中に身を委ねること。


これが、わたしが、
もっとも求めていたものだと
ゲシュタルトに出会って
徐々徐々に、知っていきました。


それが言語化されたのはずっと後になってからだけど。


誰かと会って、話をして、
たくさん話をして、一見盛り上がって。。
だけど、家に帰ってきて、何か物足りなさを
感じる時がある。


一方で、短い時間だったけど、
お互いの詳細情報を話したりはしていないけど、
十分に「出会った」と、感じる時がある。


この違い。


深く触れて「出会った」時のよろこびは、
はかりしれないものがある。


人間の3大欲求に、もう一つプラスして
もいいんじゃないかな。
と、思うほど、わたしには重要。


こんなコンタクトを体験するような、
大袈裟じゃないワークショップ、
できるかな。


ご興味ある人いるかしら。

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写真は、
古〜い冊子。
Gestalt Awareness
A Photo Essay
By Paula Bottome & Steve Gardner


これを度々開く度、
意味するところの深さに驚きます。





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by masumihug | 2016-07-25 09:44 | 個人セッション
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数日前にもブログに書いたのだけれど、
もう一度。


有名な、Holstee社の社訓。

どの文章も、大好きで、大事なことだと感じます。

そして、その上で、
一番のお気に入りは、
All emotions are beautiful. なんです。

「すべての感情は、美しい。」

どの感情も等しく、美しい。
だから、自分の中のどんな感情にも、
等しく、出会っていきたい。

それらと出会う、出っくわす体験にオープンでいたい。

喜怒哀楽なんて、単純じゃない。
もっと、細い、微細なヒダもある。
その移ろいにも
気づいていて、それと共にいたい。

それが、今の私です。

ゲシュタルトのトレーニングは、
そういうことを筋トレのように鍛えることになりました。

それによって、この世で一番厄介な自分との
つきあい方が少しずつ分かってきました。

自分自身のトリセツを書き足していく作業でもありました。

自分を発見し、
自分を理解していくプロセス。
そこにホントによろこびがありました。

一つ発見するごとに、
一つ力が抜けていく。

自分と和解し、
そうすると、
外の世界とも和解していくようでした。

自分の感情と出会う
そこにものすごい恐怖があったことに
気づいていくプロセスでもありました。

正確に言えば、
そこに恐怖感があったことすら知らず、
避けていたことすら気づいていませんでした。

あまりに自動的に、
ないことにしていました。

ものすごいスピードです。

難しい言葉で言えば、
「防衛機制」とも言います。

ゲシュタルトのワークによって、
一つ一つ、解いて、
紐解いて、いきました。

そして、それらが、
自分の血や肉になっていくとは
驚いた。

ご褒美ですね。

よろこびがありました。

それを、このちょっとマニアックなことを、
このよろこびを、
人と共有していきたい。

それが、私がセッションを行う
もっとも元にある動機です。

「すべての感情は美しい」

これは、今だって
時々難しい。

だけど、自分と仲良くなる
きっかけだってことは確かだってことを
知っています。

それだけだって、十分です。





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by masumihug | 2016-07-22 22:42 | 個人セッション

龍口寺

画像は龍口寺ウェブサイトより


ところで、龍口寺はご存知でしょうか。

私の地元、藤沢にあるお寺です。

江ノ電の江ノ島駅のすぐそばにあって、

ちょうど、鎌倉行きの江ノ電が、道路へ出てくるところにあります。


先日、ふらっと散歩の途中に日除けに入りまして、
本堂でお参りし、そのまま上がらせていただきました。


外の暑さが嘘のような涼しさと、仄暗さと、静けさと、
広い開口部から森の緑が目に優しく、また外のどこからか
小さく水の流れる音も聴こえてきます。


そのまま畳に横になり、しばらく眠りました。


雲水さんたちも優しく何も言わずいてくれます。
なんとも気持ちの良い瞑想的な空間でした。


身近な存在のお寺ではあるけれど、

こんなふうに過ごしたのは初めて。


そもそも、なんでここのお寺へ吸い込まれるように

入ったのか、よくわからないのだけど、

龍口寺山門前の階段へ足を一歩かけのぼり始めた
ところで、背中から涼しい風が追い越して行きました。

風の通る道になっているみたい。

とぉっても涼しい風に、背中を押されたみたいです。


ここのお寺は、

きっと、良く出来てる。


本堂の畳に座って、呼吸していると、

安心して、自分自身が今感じている感覚と一緒に
居られます。


それでいて、五感も外へ向かって感度良く
開いていることに気づきます。

微細な物音も拾ってしまうマイクのよう。


ここに身を置き、呼吸をしていると、

身体の中、アタマの中に、
この部屋のように広いスペースが出来ます。


そして、やがて、

やはりこの部屋のように、

身体やアタマにいい風が通り、
ひらめきや発見の種がポンと飛び込んで
来そうな予感がしてきます。


何時間でもいられそうです。


そして、しばらくここで過ごした後、
外へ出てみると、
暑さの疲れは癒されて、
心身の身軽さを実感します。


世界がクリアに新鮮に見えています。


自分が、体験にオープンでいることに
気づきます。


今なら、何と出くわしたって応答できます。
そんな気分です。


この境地をいつまでも保存したいと感じます。


この境地、

ここへ行かなければ、それは味わえないんでしょうか。


そんなことはないと思います。


確かに、ここは特別な場所。

だけど、


ゲシュタルトの、ベーシックプラクティスの後や、
気づきのコンティニュアム、あるいは、
ハーモニー体操も、

辿り着く先は同じ。


そして、わたしは、こんな境地になれる方法や場所を、
ずっとずっと探してきたなぁと、今、思っています。

それは、長くそうじゃなかったからに

ほかならない。


どうしたら、刻々と移ろっていく自分の内側を無視せず、また、凌駕されず、

受け取り、味わい、表現していけるか。

どうしたら、嘘偽りなく自分自身でいられるか。

どうしたら、地に足ついた自分自身を実感できるか。

どうしたら、自分にくつろいでいられるか。

どうしたら、融通無碍に、変幻自在に、軽い存在で

いられるか。


その探求をし続けてきたなぁと思いました。

で、今もやってます。

終わることはないようです。


それを、縁あって出会う方々と共有したい。それが、
わたしの基本的な思いであることは確かなことです。



なんでかって言えば、そこによろこびがあったからです。


こんなことをテーマにして、

たくさんの人たちと出会って、共有して、

やり取りして、深く触れて、いくことが
なにより大好物です。

お会いできたら、うれしいです。





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by masumihug | 2016-07-21 09:36 | 所感

すべての感情は美しい

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『ALL EMOTIONS ARE BEAUTIFUL.』
すべての感情は美しい。

ちょっと有名な、Holstee社の社訓の中の一節。

素敵な表現だなぁと思います。
とても、しっくりきます。

自分の中に起こってくる感情、
そのどれにも等しく出会いたい。

その自分自身の体験にオープンでいたい。

「喜怒哀楽」なんて言葉があるけれど、
人の感情は、四つなんてもんじゃないよね。

「喜び」だけだって、かなりのグラデーションがあるでしょう。
「嬉し過ぎて悲しい」なんて、ミックスした時もあるよね。

「怒り」は、どう?
結構難しさを含んでいるかもね。
表現したくないという人も多くいる。

それを通り越して、
「私は、怒るってことがないの」なんて、
言う人もいる。

これは、大抵ウソかなぁ〜と思う。
こういう方は、かなりの怒りの火の玉をお腹に
抱えていると思った方がいい。笑

或いは、
こういう人もいる。

本当は、怒りを感じているのに、
怒りの表現に躊躇があって、代わりに
笑ってしまう。

「怒り」を表現した時に、自分に起こる(だろう)ことを、
受け止め切れない(だろう)と信じている為に、
別の感情を使って、それを覆い隠す、或いは、ぼやかす。

という方法を、人は(人の無意識は)それこそ無意識に
やってのけてしまう。

「悦脱」と言ったりします。

それくらい、怒るということに、恐怖感があるのだね。
何が、「起こってしまう」と想像しているのでしょうね。

本人は、「恐怖感がある」とまで、言語化したり
気づいていたりはしていないかもしれない。

自分にとっての恐怖の対象に出っくわすのを避ける
システムは、自動的に作動するから。

決して責めているワケではないのです。
そうです。そりゃあ恐いのです。

見たことのないものは、恐いのです。
「わからない」ものは、恐いのです。
「知らない」ものは、恐いのです。

All emotions are beautiful.です。
そこへ戻ります。

すべての感情は、すべからく、等しく、美しいのです。
と、言ってます。

実際見てみたら、
出会ってみたら、
体験してみたら、
案外、恐いもんじゃないかもしれません。

何故ならそれは、
あなた自身のものだからです。

だから、
もし、準備ができたら、
出会うのにいい環境ができたら、
会ってみたらとオススメします。

喜びだけがOKで、怒りはNG、なんて
もったいないです。

よく、世間では、「ネガティブな感情」
なんて言われています。

感情の表現に選り好みがあると、
何が起こるでしょう?

そのあなたの大好きな「喜び」の表現は、
嘘っぽいものになっているかもしれません。

感情表現は、どれかを止めて、どれかを出す、
というようなことは
実はできないんです。

自分自身の「怒り」と出会って、
感じて、また表現しない人は、
自分の「喜び」ともしっかり出会って
いない可能性があります。

心からの笑顔じゃないかもしれません。

怒りの感情と親しくなることは、
「素敵な笑顔」の為にも貢献するワケです。

笑顔だけではありません。

もっと微細な感情のひだ、
そんな瞬間瞬間に移ろっていく
自分自身の体験と共にいることができる。

自分自身を、言葉だけではなく、表情や、
全身で物語る
素敵な存在感を放つ人であるでしょう。



あなたの中にある、
怒りの火種。

何かあると、着火する、
体の感覚で言ったら、胃のあたりに、
何かありませんか?

個人セッションの場は、
それを安全に表現してみる実験ができる場です。

そして、体験してみるならば、
それは、実験に留まらず、あなたに恩恵を
もたらしてくれます。

怒りのエネルギーは大きいです。
生命力と直結しています。
人を行動へと駆り立てる力があります。

そんなエネルギーを解き放つことで、
それを自分にとって好ましい質へと変容させる
ことができる可能性があります。

ゆっくり、出会っていくことができます。
それもあなた自身ですから、恐くはないし、
ましてや悪い奴じゃない。
そして、その怒りには正当な理由があることに気づくかもしれません。
その怒りには、もっともなストーリーがあるかもしれません。
であるならば、その「怒り」には、居場所をあげることができる
かもしれません。

あなたの探求にご一緒させてください。
私は、興味津々で、よろこんで、
ファシリテートさせていただきます。




*個人セッションは、医療行為ではありません。


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by masumihug | 2016-07-15 18:34 | 個人セッション
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今朝の新聞の広告欄。

『人の2倍ほめる本』
(人に好かれる、うまくいく話し方)

わたし。。
こういう感じに褒められても、
気持ち悪いです。

つい最近も、ありました。

どうかフツーに褒めてください。笑

褒めることで取り引きしないでください。

好かれるって書いてありますけど、
ないです。

「好かれ」たい、ならまだかわいい。

「うまくいく」ってなんでしょうね?

私を懐柔するつもり?
思い通りに動かそうっての?(そうはいかないぜ!💢)

それとも、

「なんかあっても気を悪くしたり、
私を攻撃したりとかしないでね。」
のメッセージ?

まだ何も起こっていないのに、
(私との関係が)そんなふうになるって、予測しているの?

???

なんであれ、
言葉で発されていることに加えて、

お腹に、もう一つ、
相手を操縦しようとするような
意図を持ちながら、
何かが繰り出される時、

受け取る側は、
その隠された意図が何であるかはすぐには
分からないけれども、(分かるときもあるが)
「何かある」のは分かります。

「何か」を受け取ります。

そのメッセージが明確でない分、
それは、とても奇妙な感覚として、
感受されます。

言葉より、「何か」の方の印象が強くなる。

人間て、常に感受し合っていますから。
みくびってはいけません。

奇妙な感覚を受け取った相手は、
「褒められた」気がしません。

それよりも、
奇妙な感覚が何なのか気になっています。

人は通常、もやもやしている状態に留まることが耐えられません。

理由を探そうとします。
想像がどんどん膨らんでいきます。

その時、その人の過去の経験が参考材料となります。
脳は、似たようなシチュエーションの過去の記憶を
探します。

中には、とんでもない厭な思い出を持っている人もいます。

その場合、あなたは何にもしていないのに、
むしろ、好かれようとしたはずなのに、
嫌われるという事態を招く可能性があります。

だから、
お願いです。

褒めるなら、

いや、
あなたが、
目の前の誰かさんに対して、
いいね!と思ったことがあったなら、

シンプルに
「いいね!」と言ってほしい。

そして、
もし、もうちょっと付け足したいなら、

「私は、」という主語を付けて、
今のあなたの状態をそのまま描写して
伝えたらもっといい。

それは、プレゼントになります。

「私は、あなたのそういうところを見ると、
自然に笑ってしまうの。」

とか、

「私は、いつもあなたの選ぶ言葉に
はっとするんですよ。インスピレーションを
ありがとう。」

とか、

いい言葉がすぐに見つからない感じだったら、
身体の感覚を探ってみて。

身体は、表現していて、それがまだ言葉に
なっていない時かもしれないよ。

胸の辺りに手を置いて、感じてみると。。。
「うれしい!」(という感覚に)出会うかもしれないよ。

「私は、いま、この辺りに何かを感じているんだけど、
まだ言葉にならないの。
そして、今、間違いなくすごくうれしい!」

とか、

更に、一瞬目を閉じてみると、
自分の内側の、とっても素直な感覚に触れ易くなるかもしれません。

「私は、今、ぴったりの言葉がないのだけど、
とにかく、あなたに会えてよかったって感じています。」

とか。

ただ、自分の今の状態を描写すれば、
それでいい。

それ以上でも、以下でもなく。

身体は、いつも何かを表現しています。
嘘偽りのなく。
もっとも信頼できる、しかも「私だけの」情報源です。

そして、それを丁寧に辿って、
丁寧に言葉にすると、
それは、極上の
プレゼントになる可能性があります。

褒めようとして言葉を探すより、
歯の浮くような言葉をたくさん並べるより、

端的で、シンプルで、最適な言葉が見つかります。

その時の、二人の間で起こっていることに
相応しい、ぴったりの言葉が
見つかります。

やってみて!

この本読んで真似するより、
結果として得られるモノは、
大きいかもしれないよ。

※注)当然のことですが。。
↑の私が書いたサンプルをただ真似したら、
同じように気持ち悪いですよ。笑
歯が浮きまくります。
あくまでも、自分自身に起こっている
ことを描写してみてくださいませね。





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by masumihug | 2016-07-14 18:37 | 所感

『FAKE』

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静かに話題になっていた映画
観ました。

この人は、
まだ必死で守っていました。

何を、必死で守っていたかというと、
自分自身が空っぽだってことが、
バレてしまうことです。

その為に、ありとあらゆる嘘をつきます。

嘘で作った前提を元にして、
更に嘘を重ねていきます。

しょっちゅうボロが出ます。
だけど、おかまいなしです。

お名前が守というのも、
おもしろい。

そして、一番に騙しているのは、自分自身です。

自分自身の中が空洞であることを、
自分自身が、それと直面することを
なんとしても避けなければなりません。

もし直面したら、たいへんなことになる。
という信じ込みが身体に刻まれています。

それが、転じて、
もし嘘がバレたら、たいへんなことになる。
にいつの間にかすり替わっています。

少しでも嘘がバレそうな雰囲気になると、
自分の中の警報がけたたましく
鳴り始め、また、嘘をつきます。

どうしようもない嘘でもつかなければなりません。

嘘の自転車操業です。

生きるため、嘘をつき続けます。

こういう人は、います。
意外と結構います。
自己愛が壊れている人です。

育つ過程で、自分自身を作り損ねて
しまったのかもしれません。

生きる為に、それどころじゃなくて、
ゆっくりと
体験を通じて自分自身を
積み上げて、築いていく機会が
損なわれてしまったのかもしれません。

何があったの?
あると信じていたものがなかったと
思い知らされるような出来事が、
抱えきれないような大きな絶望が、
とても小さな子供の頃にあったのかも
しれません。

被爆2世と言っているところにも
そのヒントがあるようにも思います。

そして、だけど、あなたがどれだけ
得て当然だったはずのものが得られていないと
感じていたとしても、
その理由で、他人を心理的に蹂躙しても良いという
ことにはならない。

そして、社会は優しいなあと思うんです。
この人の為に自分を犠牲にしていた(している)人たちは
やろうと思えばできるだろうけど、
そこまで追い詰めてはいない。

スキャンダルとして、大きく報道されたけれど、
エンターテイメントとして消費されただけの
ようにも思う。

後は、本人次第。

人生は、もうそろそろお腹見せちゃいなよって
言ってくれているようにも思います。
楽になるよと。

あなたは、空っぽじゃないよと。

全編、写っていたのは、フェイク。
確かに、実存を捉えているから、
フェイクを写し取ったドキュメンタリーだったと言えるかも。

嘘というのは、映像の方が
よく伝わってくるものかもしれません。
私の身体は、心地悪さをずっと受け取っていました。

もちろん、本編中も、監督も、
彼がフェイクだとも、そうじゃないとも
言ってはいません。

だから、ここに書いた私の感想や考えは、
もちろん、あくまで私の解釈です。
ご本人には失礼ながら、映画の感想として、
書かせていただいています。

そして、私は、改めて、
人の思いの力に畏怖します。
同時に、これだけのパワーを
別の質へ変容させる可能性をも、感じるんです。

それは、彼が自分自身と出会ったら、起こります。
自分自身を抱きしめたら、起こります。

その為に、人生は時々、大きな事件を
起こしてくれます。

自分自身と出会わざるをえない人生の時間帯を
もたらしてくれます。

やさしい、友達です。

そして、それは、自分自身の中に確かにある
健全さです。




いつも読んでくださり、ありがとうございます。
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by masumihug | 2016-07-13 00:29 | 所感
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毎晩、ほぼ毎晩、

Twitterで配信されている漫画

「夜廻り猫」


この子は、そこに出てくる一人(一匹)のキャラクターで、

猫集会に憧れている「集会猫」。


「集会を始めま〜す」
「歌もあるよ〜」
「あと1分待ちま〜す」


だけど、誰一人集まらない。


独り言のような歌を歌い終わると、
すっとその場を立ち去る見知らぬ猫の姿。
「少し、いい歌だった」って言い残して。


この子は、誰かとつながりたくて、
つながることに疑いがなくて、


だけど、あまりにストレート過ぎて、

スマートで時に命がけの猫社会のソーシャル
とのチューニングが合わない。

悲しいね、だけど、誰かは見てる。


私はこの子が大好き。
そして、この子に自分を託すように、
物語を追う自分に気づく。


大好きな『夜廻り猫』がとうとう書籍化された。

待ちに待ったと云う気持ち。


作者の深谷かほるさんの個展

『深谷かほるの世界』が、
ちょーおしゃれな南青山にある

Tobichi2にて、(あの糸井重里さんの)
開催されると聞いて、
ご本人に会いたくて、

ワークショップの帰りに

急いで行ったのです。


こんなに丁寧に、イラストと言葉を描いていただいた。

お話ししながら、目の前で

漫画のキャラクターが描かれていくんです!
それはもうすごくて、今思い出しても胸が熱くなります。


たくさんのファンの方がみえていらした。

その一人一人と、ちゃんと対話されていらした。

その丁寧さにも、ぐっときました。


私の名前も認識してくださっていた!
なんとうれしいこと。


うれしい。
すごくうれしい。

何度も見てはにんまりし、

そして、じわっと涙がこみ上げます。


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たった8コマで心揺さぶられる奇跡の漫画
‪#‎夜廻り猫‬ は、twitterでほぼ毎晩配信されています。


ご本はコチラ↓


夜廻り猫 1 今宵もどこかで涙の匂い

深谷 かほる/KADOKAWA/エンターブレイン

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by masumihug | 2016-07-11 23:02 | 日記
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「旅から帰りました」
と言うのは、ウソです。

ごめんなさい。

だけどそれも、
あながちウソじゃない。
と、思っています。

実は、
今年はずっと、「旅へ出たい!」
という気持ちがありました。

どこどこへ行きたい。
と言うのじゃなくて、

「旅へ出たい」
でした。

そんな想いをアタマのどこかへ
置きながら、過ごしていて。。。

多分近いうちに、そんな機会が訪れて、
場所が特定されるんじゃないか、

そして、
「あ〜、そういうことだったのね」って
どこかに縁がつながるのじゃないかって、
思っていました。

そして更に、
私の思考は、

きっとそれは、
結構時差があるような場所で、
何時間も飛行機に乗って行くような場所で。。
そこできっと私は、ある種の時空を超えるからこそ出来るような
体験をするのだなぁきっと。

と、妄想を膨らませることもありました。

もっと言うと、
「期待」。

アタマで考えることは、
だいたい浅はかなんです。笑

っていうか、それ、
「願望」でしょ⁉︎ 笑

だから、
そんな兆しはまるで起こりませんでした。

自分から旅行へ行こうと計画することも
またありませんでした。

実は、6月初めに手術を受けました。

長年身体の中にいて、
一緒に生きてきた、
子宮筋腫の手術です。

子宮を摘出する
手術を受けました。

そして、6月いっぱいはすべての活動をお休み
させていただきました。

そして、7月になり、
今、ゆっくりと自分の活動をスタートさせている
ところです。

旅の企画はまったく始まらなかったけれど、
この手術へのプロセスは、今年の初めから
小さな兆しが始まっていました。

手術を受けることに対して、半信半疑だった私が、
「受ける」と決めるまで、
また、「受ける」と決めてから実際の手術まで、
のプロセス自体も、
旅のようでもありました。

旅の道すがら、ご縁があり、出会いがありました。
西洋医学、東洋医学、それぞれの素晴らしい
プロフェッショナルの方と出会うことができました。
有難いと感じました。

そして、徐々に「手術しよう」確信へと変化しました。

このプロセスと出会いがなかったら、手術なんていう
大それたこと、リスクの高いこと、
選択はしませんでした。

逆に言えば、このプロセスと出会いがあったから、
「あぁ、私、心から体から、手術を望んでいる」
「私は、私にとって正しい道の上にいる」
自分を超えた世界からのyesを受け取っているような
手応えを感じました。

「あぁ、今、なんだ。」と、根拠はないですが、
確信めいた感覚を持ちました。

そして、手術が近づいてくるにつれ、
生まれ変わりの儀式を受けるような
そんな心持ちでいる自分に気づいていました。

もっと言うことこの旅は、
去年辺りから始まっていたかもしれない、
いや、もっと前からかもしれない。

私自身のある時代の一旦の区切りのような
それを象徴するような儀式。かもしれません。

そう振り返って言うには、あと数年必要かもしれないけど。
数年後には、もっとその確信を深めているかもしれないけど。

恐る恐る自己探求を始めたのが、2003年。
そして、ゲシュタルトに出会った2011年から、
それは本格的になり、何より自分自身の今の為、
自分の人生を生きる為と、目的がはっきりして
いきました。

自分自身の今と、
自分自身の(過去の)ストーリー
が、ホットラインで結ばれていることを
知り、それを丁寧に紐解く作業を
続けてきました。

現実に起こることが変化し、
自分自身の人生の真ん中を生きていく
ことになりました。

そして、今の私がいます。

手術を経て、
今の私は、自分の身体全部を
「間違いなく自分のものだ」と、
感じています。

それは、清々しい感じがします。
潔い感じがします。

今までもそう思っていたはずなのだけれど、
ちょっと違う。だいぶ違う。

自分にもっと、丸ごと、
責任が持てる感じがしています。

それは、いい感じです。

9日間の入院でした。
小さな森のような、素敵な庭のある良い環境でした。
産婦人科の病棟でしたから、時折遠くから
新生児の泣き声が聴こえてきます。

それを聴くのはうれしいことでした。
愛おしい気持ちになりました。
そして、「私も生まれたところなんだよ!」って、
その子に伝えていました。

都心の病院でしたので、
いつもは藤沢に引っ込んでいる私なので、
会いやすい人もいます。

面会時間になると、毎日誰かしらお見舞いに
来てくれました。夕食の時間まで一緒に居てくれて。。
それはとても有難くて、うれしくて、楽しい時間でした。
変な表現かもしれないけれど、幸せな入院期間を過ごしました。

何かをみんなにお返ししなくちゃいけないな。と、
思ったのだけれど、
もちろん、人間界のソーシャルとしてしておくことは
あるのだけれど、
それとは別に、

私は、自分自身の核心に近づいた身として、
自分自身をしっかり生きることで、
私らしい表現を世界へ映していくことになると信じています。

それがお世話になった方、
そして、世の中へのお返しになると
そうであったら、
幸せなことだと、今、思っています。

活動を再開しております。

個人セッションや、ハーモニー体操や、
ワークショップや、
あるいは、なんであれ、
お会いできたらうれしいです。




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by masumihug | 2016-07-09 01:44 | 個人セッション

わたしを知って、わたしを生きる。神奈川県藤沢市にて、心理セラピーを行っています。ホームページこちらです。 https://kiku-therapy.jimdo.com/


by masumihug