人気ブログランキング |

<   2017年 03月 ( 2 )   > この月の画像一覧

後悔を先生に

『失敗学』
なんていうのがありますね。
それより、
『後悔学』を私は勧めたい。

最近、「後悔」という言葉の
定義を、拡げる体験をしました。

だから勝手に『後悔学』って名付けました。

あまの岩戸が薄く開いて、光が差して来るような
そんなイメージがあったので、
シェアさせてください。

「すべての感情は美しい」
をモットーにセッションを
行っています。

ネガティブとか
ポジティブだとかと
言葉を選別し、
また、
感情を選別したくない。

そして、
すべての感情には、
それが生まれるにもっともな背景があって、
そして、居場所がある。って、
信じています。

セッションの中では、
顔を出してくれる「感情」に対して、
礼を尽くし、
もてなしたい。

と言うのが、私の基本姿勢です。

一般的にネガティブと言われている
感情を表す言葉の再定義
あるいは、
私としての解釈をつけることは、
私のよろこび。
でもあります。

『後悔学』
に戻ります。

「失敗学」というのは、
失敗を分析して、原因を探る
というアプローチかと想像しています。

「後悔」は、
後で悔やんでる状態。
何らかの「動き」を含んでるのが伝わってくる。

何かの後である今、
体の動き
感情の動き
が、ある。

のを、受け取ります。

そして、

「その選択の時、別の選択肢があった」
または、
「捨てた選択肢があった」ことをもう示しています。

そして、その選択肢が何であったかも認識されています。

ここが後悔のスゴイところ。

具体的で示唆に富んでいる。

うん、うん、
ここを入り口にして
探求へ入って行ける。

だから、
勝手に『後悔学』って名付けました。

その『後悔』にまつわって
まだうごめいている何か、
まだ体験中の動きの中へ、
ぐっとぐっとアプローチしていくことができます。

その瞬間の体験を
ゆ〜くり辿って、
映画のフィルムの一コマ一コマを
つぶさに見るように。

その捨てた選択肢の方が、
選択肢として浮かび上がって来た
瞬間のこと。

何か、キラッと光る感じを受け取って
いたのに、無視した。

直感的なものだった。
但し、根拠がないと思って、
瞬時にないものにした。

或いは、
感覚が浮かび上がってくるのを薄々気づいていて
それが出てこないように、出てくる前に、
何も考えないようにして、人ごとのように選択した。

もしかしたら、
そんな工程があったこと、
発見するかもしれません。

そして、
もしかしたら、そこに
自分のある種のパターンを発見するかもしれません。

その、瞬時に現れた感覚を取り上げて、
一緒に居てみることも、
感じてみる時間も取らずに、
分かり易い方
無難な方
人に対して説明ができる方
を、
選んだ
かもしれないです。

それはそれで、きっと
事情があるんでしょう。
そこにも想いを馳せたい。

そして、

その置き去りにした方。
選ばなかった方。

その中に、
あなたの強い欲求、
ニーズ、
価値観、
大切にしたいもの、
自分自身の生命力に隣接するもの。

あるいは、
あなた自身。

が、含まれている可能性があります。

そこに、ゆっくり近づきます。
触れていくことができます。

身体の感覚が伴っていることがあるかもしれません。
そこに耳を澄ませていきます。
動きがあれば、それに乗っていきます。

自分自身の中で、常に鳴っているビート。
動き。
衝動。

言葉以前、
イメージ以前のモノ
と、出会うかもしれません。

その出会いは、
身体の感覚として体験することから始まるかもしれません。

内側から、自分をノックされていることに気づく体験
かもしれません。

それが、自分のエンジン。
ニーズの源。

自分の、なんであれ
何かがスタートする場所。
かもしれません。

それに気づいていくことができます。
言語化まで出来るかもしれません。

これは、
後悔する選択の捨てた選択肢を
もう一度選択し直すことをお勧めしている文章ではありません。

もしもそうしたとしても、
大満足になるかどうかは保証できるものではありません。

もちろん、
それは、もう事後であり、
様々な条件は
既に変わってしまっている。ということもあります。

そして、その一回している選択だって、
まだ答えが出ていないかもしれません。

それよりも、
ここで大事なのは、
自分自身の、あんまり近寄りたくなかったかもしれない
「後悔」の中にぐっと近づいた体験。
そして、その中に、何があるか見てみる、こと。

犯人探しはあまり意味がないです。

それよりむしろ、自分にとってキラッと光って見えたエッセンスは何か。
や、それが現れた時の身体の感覚を体験として覚えておくこと。
すごく大事です。

自分にとって生命に栄養を与えること
自分の魂によろこびを与えること
は、何なのかを知っていく体験です。
具体的に。
その逆についても知っていきます。
具体的に。
これは、貴重です。

それをゆっくり見ていく機会を持つことは、
自分のこれからの人生を良いものに、そして、幸せなものに、
必ずや自分自身のwell-beingに寄与する体験になるはずです。

自分自身をもっともっと知っていくプロセス。
自分自身を、もっと大切に出来ることを知るプロセス。
自分自身を、もっと世の中で本領発揮していく可能性を
発見していくプロセス。

「後悔」を先生にすることができます。

だから、後悔またよろし
でもあるわけです。

すべての感情は美しい。
いわんや「後悔」をや。



〜個人セッションでお会いしたいです〜

120分間、自分自身に最大の興味と関心を向ける
あなたのための時間です。
あなたがあなたと出会っていく時間になります。

 



いつも読んでくださり、ありがとうございます。
よかったらぽちっと↓ お願いします。
ありがとうございます。





by masumihug | 2017-03-13 01:53 | 個人セッション
2012年秋〜2013年まで
フォーカシングのワークショップを
よくやっていました。

古いブログ記事を見直しておりまして、
そのフォーカシングを、
ワークショップとして提供したいなぁと、私が
思うに至った経緯と、それにまつわる私自身のこと
について書いた記事に会いました。

少し手直しして、
ここに再度アップいたします。

よかったらご覧いただけましたら
うれしいです。

*****

「感じることが難しい人へ」

2013年2月9日の記事を少し手直しして再掲します。



感じることが難しい人。

それ、かつての私。

どう感じますか?という質問をされると、
イラっとするほどだった。

今はと言えば、その質問が大好き。
感じる質を使うことを自分の生業にしている。
だから、もっと磨かなきゃいけない。

でも、こうなるには、人生は私にちょっと苦労をさせた。

2003年、突然左脚膝から下が炎症を起こし、
しばらく入院し、仕事を休み、病院のベッドで一日中
点滴で抗生剤を身体に流しながら、一日中夢を見ていました。

毎日毎日一日中夢うつつで過ごしました。
病棟の廊下の突き当たりに大きな窓があって、
そこから毎朝朝日が昇るのを見ました。
車椅子に座って。左足だけ、前に突き出したまま。

こんなにゆっくり一日を過ごしたのは、人生初だったかも。

会社へは、でもやっぱり心配だったり、自分の存在を知らせたかったり
もあったかもしれない、しょっちゅうメールで経過を知らせていました。

笑っちゃう。

ぼーっとしながら、自分のやり方、生き方を変えた方がいいのだろうと
分かっていました。

退院し、それからしばらく経って、
あまり大きな声で好きとは言い難かった世界へ恐る恐る
入って行きました。

瞑想なんかを始めてみました。
いわゆるスピ系の人達との交流がありました。

でもね、私は、感じることができなかった。
頭では理解してるよ。
理論はバッチリ。

でもね、実は、感じていないの。
瞑想なんて、絶対ムリだ!

それは、強烈な劣等感だった。
この世界に答えがあるかもしれないと来てみたけれど、
「感じられない」のは致命的だった。

会社もダメ、こっちの世界でもダメ。
私、居場所ないじゃん。

最後の最後、あるセミナーに参加した。
もう、これでダメだったら、私は、またあの物質至上主義の世界
へ戻りますという覚悟で。

そこでやったのは、来る日も来る日も、「感じる」の練習。
真夏の屋外で、ひたすら、木、道端の石、野良猫、花、雲、ビルの窓、
それと向き合った。

泣きそうだった。
落伍者だ。私。

会社では、一定の評価をもらっていた、つもり。
そのために、脚が痛くても、痛さも感じずに、がんばった。
「男なんかに負けるもんか。」
実際、私、男よりデキるし。と内心思っていた。

そして、同時に、
人として、女として、自分がなんの価値も、厚みも、ないの
分かってた。そしてそれを認めてしまうのが、うすうす分かってて、恐かった。

セミナーの、最後の方で、指導してくれる人が私に言った。

「あのね、今手を置いている机、触れてる手が、固いとか冷たいとか、
感じてるでしょ。それが、感じるってことだよ。分かる?
深刻ぶらないで、真剣にやって!」

私、その言葉で、何かが落ちた。

正確には、感じている身体の部分とそれを受け取る心がつながった。
のが分かった。
カチっと音が鳴ったような気もする。

そうか、今、既に、ここにあるんだ。

それでも、感じることは、相変わらず苦手ではあったけど、
徐々に受け取る回路が、流れが良くなっているのが分かる。

日常に戻る。
オフィスにいて、私の中でいろんな声がしている。
それに気づいた。
驚いた。

だって、私は、仕事をしたがってない。
絵が描きたい。ピアノが弾きたい。
今、外へ散歩に行きたい。
太陽を浴びたい。と言っている。

はっきりとした欲求があった。

もっと正確にいうと、
何か、モヤっと、自分の中や周りに存在しているらしいことを、
一つ一つ捕まえて、言語化することが出来るようになった。

「モヤ」のままにしておくことや、
それを無視することにしていたことを、
捕まえて言葉にすることを、
自分に、許可をした。のだ。

そして、
「これが生きているということか!」
と知った。

許可をするとか、しないとか、
自分のカラダで、自分の人生なのに。。。
許可なんかホントはいらないのにね。

この後、このセミナーの続きを受けるため、
要はもっと感じるために、
本家のある米国へ2回も行った。

それが、2007年のこと。
私は、「感じる」を取り戻すのに、ものすごい時間とお金を使いました。
私の場合にはそれが必要でした。

そして、
やっと人間になった。と、本当に思いました。

だから、私、
「感じる」には、人一倍、思い入れがあります。

「感じる」のレッスンができないかなと、ずっと頭の片隅にありました。

私のように苦しんで、答えの見えない人がいるはずだから。
そんな所でスタックしなくたっていいと。

同時に、これを伝えるのは難しいと感じていました。

そして、スキルとしてのフォーカシングに出会いました。
うれしかった。

フォーカシングは、その辺りを知らぬ間に越えさせてくれると思いました。
やさしく、穏やかに。
身体のどこか、を入り口に、ゆっくり丁寧に辿っていくことで、
いつの間にか、「感じる」をやっている。
と、思いました。
これなら、安全に伝えられるし、私みたいに大金を払わなくていい。

「感じる」ことに困難を感じる人に、サポートができたらと思っています。
そのために、このワークショップをもっと育てていきたいと思っています。

なぜなら、人間は、感じていないわけがないということ。
そして、感じるとは、ここに肉体をもって生きているということだから。

今の私は、感覚の中にいるときが大好き。
それを使うのが大好き。
そして、もっとこの感覚を磨こうと、磨かなくちゃいけないと思っています。
そして、描写するための言葉、ぴったりのコトバをもっと持ちたいと思っています。
感じたことを、言葉にして、最高の贈り物にしたいと思っています。

大の苦手だったモノが、今私の一番頼れるモノになっています。

フォーカシングワークショップが、参加してくださる方々の
何かのきっかけになったらと願います。

次回のフォーカシングワークショップは、
2/24日曜日
3/16土曜日
です。

****

**注:この記事は、2013年2月9日のものです。

元のブログ記事はこちらです。↓

フォーカシングだけのワークショップは
現在は行ってないんです。
だけど、

フォーカシングとゲシュタルトのアプローチは
途中までとても似ています。

セッションの中では、それが自然に起こるように
ファシリテートしています。









〜個人セッションでお会いしたいです〜

120分間、自分自身に最大の興味と関心を向ける
あなたのための時間です。
あなたがあなたと出会っていく時間になります。

 



いつも読んでくださり、ありがとうございます。
よかったらぽちっと↓ お願いします。
ありがとうございます。





by masumihug | 2017-03-07 01:57 | 私のこと

わたしを知って、わたしを生きる。神奈川県藤沢市にて、心理セラピーを行っています。ホームページこちらです。 https://kiku-therapy.jimdo.com/


by masumihug