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自分のパターンに出会う時、
手を変え品を変え繰り返し訪れる自分にとっての
厄介な状況。

どうしてこうなっちゃうんだろ。。?

何かを理解したいと望む時、
専門書を手に取って
知識を得ようとすることがあるかも。

そして、
その知識という情報を取り込むことで
「解決」すると期待しているかもしれない。

そして、
「アタマではわかっているけど、
実行できない」
「目の前の現実はビクともしない」
を、何年も続けていることで、
自己嫌悪がつのる。

という人がいるかもしれない。

うんうん、
そうだよね。
解決したいよ。

で、そこで
問いたいのは、
その動機。

A「解決したい」
のか
例えば、
(仮の)B「楽になりたい」
のか。

で、Bの方に来るコトバは、
人によって違って来るはずなんです。

セッションの中で、
「解決したい」
があったら、私はもうちょっと深めたいと感じます。

そこにとどまって、
もうちょっと「淵」へ行きたいんです。

そのエッジへ立つと、
その人が今まさに体験しているものが立ち現れます。

とどまると、身体からニーズが
姿を現してくれることがあります。

ここがあなたのニーズです。
つまり、「解決してどうしたいの?」の部分。

「解決したい」は、ニーズより全然手前です。

ご自分の「解決したい」の更に奥にある
欲求と初めて出会う方がいます。

というより、
そういう方が殆どです。

それに出会えば、
それをどう満たすことが出来るか?
へ、初めて進めます。

例えば、「楽になりたい!」
のならば、
「あなたにとっての楽とは何なのか?」
が、具体的に明かされるかもしれません。
あなた自身によって。

道筋が見えてきます。

「解決策」は、
巷にごまんと溢れています。
それは、「世の中の誰かの解決策」だったもの
かもしれない。

それらが功を奏さないなら、
検証する時です。

もっと言うと、
あなたが、もっともあなた独自の世界を作っていくことに
着手し始めた
のかもしれない。

と、私は、感じてうれしくなります。

だから、吉兆です。

そこに、あなたは辿り着いた。
人生という体験・選択の連続の時間を経て、
「真の個性化」に着手しているのだと想像します。

向き合ってみる価値があります。

どうぞ、急かさないでください。
初めて経験することが多くある道なんです。

時間も味方につけて行きましょう。

他にもサポートになりそうなものはなんでもあなたの
道具箱に入れましょう。

今までは見向きもしなかったものが味方になることに
気づくかもしれません。
それは、あなたの歴史のずっとずっと最初の方で親しんで
いたものも入って来るかもしれません。
一度は、捨てたものも。

体験が助けになります。
何より、今、体験していることを味わってください。
そして、よかったらセッションの場でご一緒させてください。
「体験」することは、一人では恐いもんです。

そのプロセスを経て、専門書にあたってみてください。
あなたが体験していることがそこに書いてあることに
気づくかもしれない。
「答え合わせ」が出来るかも。

体験と理論は、両輪でこそ
理解が深まります。

そして、もう一回言いたいのですが、
ご自分を急かさないでください。

上に書いたことが、
まっすぐに進むとは限らないです。

一瞬一瞬、その時浮上している体験と丁寧に
関わっていきたいです。

あなたの歴史、
あなたの文化、
あなたの伝統、
あなたが今までどうあなた自身と付き合ってきたか、
それらすべてに耳を傾けたい。
それらすべてに居場所があることを伝えていきたいのです。

そうすることで、
自分自身との信頼を取り戻していきたいのです。
そして、
更に、自分自身との信頼関係をより築いて、
体験的に深めていくことが
出来ると思っています。

「解決したい」がある時、
自分自身をバンバンと叩いていることであったりします。
「なんで出来ないんだよ!」と。

「解決策の一つが実行できない」に過ぎません。
それがあなたにフィットしてないだけ。

ゲシュタルトの気づきのアプローチは、
「出来ない」が、間違ってないとしたら?
と、そこへ最大の関心と興味を向けていくことでもあります。

自分自身への姿勢をちょっと変えてみるところから
始まるかもしれません。

あなたの探求にご一緒させていただけたなら
それは私のよろこびです。




〜個人セッションでお会いしたいです〜

120分間、自分自身に最大の興味と関心を向ける
あなたのための時間です。
あなたがあなたと出会っていく時間になります。

 



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by masumihug | 2017-04-29 01:13 | 個人セッション

LA LA LAND




『LA LA LAND』
素晴らしく良かったです。

「少しの狂気が新しい色を見せてくれる」
(うろ覚えです)
っていう言葉がもっとも私を泣かせた。

人の中にある狂気。
私はそれを肯定的に捉えたいから、
「狂気」なんて表現が映画の中で語られたことが
とても嬉しかった。

自己イメージの実現と
自己実現の狭間での苦悩。

同じ葛藤を持つ二人が人生の一時期を共にする。

苦悩や反発や拒絶や落胆や絶望。

誰もそんなもの望まないのだが、
「じゃあ、ほんとにそれがなかったら?」
と、映画に、
最後の方、問いかけられる。

「それを諦めたのは、
そこで選択したのは(或いはしなかったのは)、
そこで涙を飲んだのは、
そこでバカにされたのは、
そこで辛酸を舐めたのは、

私が私の真実と居たかったから。」

狂気の沙汰もいいところ。
そして、そうでしか居られなかった。

私は、すっかり自分を投影してしまって、
そんな言葉が浮かんで来ては、
涙がこぼれた。

共感してもらったようなうれしさ。
そしてまた、
その局面局面の震えるような感情、孤独感が蘇る。

そして、
そんな瞬間が、誰の中にもあるのじゃないかと
想像する。

表現者、クリエイター、だけじゃない、
今の時代は、誰もがこの感覚を共有すると思う。

ファンタジックに描かれることでむしろリアリティを
増しているように私には思えました。

夢と現実の境を本当に断じることが出来ようか?
と、私は思っているから。

そして、ラストシーンには驚いた!
これは、アメリカ人の精神性はいつの間にこんなに和風になったのか?と思いました。
皆まで語るな的な。。

そして、
このラストシーンの二人それぞれの、選んでいる状態・環境が
そのまま未来永劫続くとは限らない。

この瞬間もまた単なる瞬間のこと。
死ぬまでプロセスは続いていくわけだから。

そして、映画を見終われば、自分自身のプロセスに
置き換えている私に気づきます。

私自身もまたプロセスの中にいて、
選択するのはいつも自分自身でしかない。

孤独と孤立を勘違いしないよう自分に言い聞かせながら。
さぁどうする?と問いかける。

だけどそして、
私たちは皆ファンタジーの中に生きている。
自分自身が作った世界の中に生きている。
そして、そうであるならば、
今、出会っている現実が自分にとって好ましくないはずがない。
だから、向き合うことができる。

向き合うことで、コンタクトが生まれる。

そう信じております。

実に良い映画でした。

この体験はしているけれども
説明しにくくて、誰かと共有しにくかった世界を
2時間で見せてくれた
デイミアン・チャゼル監督に賞賛の拍手送りたい!

多くの受賞は本物だと心から思う。

大好きなライアン・ゴズリングが素晴らしかった!
エマ・ストーンとの共演で、
この二人だから、観客はこの映画の世界へ没頭できたと
思う。

ありがとう。







〜個人セッションでお会いしたいです〜

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by masumihug | 2017-04-26 23:52 | 所感

才能。その前に。

5つの強みで有名な、
『さあ、才能(じぶん)に目覚めよう』
(マーカス・バッキンガム&ドナルド・O・クリフトン著 日本経済新聞出版社)
によれば、
才能の定義は、
「繰り返し現れる思考、感情および行動パターンであり、
何かを生み出す力をもつ資質」とある。

この本を初めて読んだのはもう10年近く前。
今読み返し、頷くところ多し。

そして、
初めて読んだ頃は、タイプ分けのような
読み方をしていたが、
この本の注目すべき点は、
冒頭の才能の定義と、
丁寧に書かれているその才能の育て方・活かし方にあると、
最近読み返し、思いました。

以下、私なりの理解と解釈、
そして、ゲシュタルト的なアプローチと
関わってきそうな点、
書いてみます。

才能とは、永続的なもので、
気に入らないからと言って別のものを
自分に付け替えるということは出来ない。

生産的に活かされ、知識や技術と結びつくことによって、
強みになる。

経験を積んで身についた能力とも違う。

逆に言えば、
何かある特定の才能が欲しいからと言って、
何かを特訓したとしても
先に定義した”才能”を自覚しそれを生産的に
活かして(磨いて)いる人のパフォーマンスには及ばない。

では、「所詮自分は凡人か」と諦めるのかと言えば、
そういうことではない。

先に定義したように、
才能とは、

「繰り返し現れる思考、感情および行動パターンであり、
何かを生み出す力をもつ資質」

であり、

「永続的なもの」

その人の
「どうしてもやってしまっていること」
とも言える。

言い換えたら、
「どうしても止められないこと」
とも言える。

人によっては、
「これさえなかったら」
と、手を焼いている自分の傾向。

かもしれない。

あなたが手を焼いているあなたのパターン。

それが、才能で。。

「強み」へと育つ可能性のある芽とでも言いましょうか。

だから、「自分は所詮凡人か」と、匙を投げるその前に、
することがあるはず。

「あの人は才能があるね」
「天賦の才能だね」
と、言われる人がやってきたのは、

もしかしたら、
その時点では”才能”とはとても言えないような
自分のパターンに気づき、

ある意味、
それを受け入れ、
その他を諦め、

ひたむきにそのパターンを活かす道を探す
ことだったかもしれません。

その道が必ずや見つかると、
信じて、
自分にぴったりの環境が
この世のどこかにきっとあると信じて。

そうなると、
自分のパターンを活かす、は、
それはもはや
自分の生命を生かす、と、同義です。

「自分のパターンを受け入れ、その他を諦める」
ことが出来るでしょうか?

そこまで、「自分自身を信じる」
ことが出来るでしょうか?

なんの保証もありません。

自分自身を信頼する。
あるいは、
自分自身を自分で見出し、救い出す。

そんなふうに言えるかもしれません。

「あるはずだ」と、
丁寧に自分自身を
詳細に知っていくプロセス。
でもありますね。

私は、セッションの中で、
クライアントさんの強い特徴を
発見するのが好きです。
そこに、魅了されます。
生命力が宿った独自の力強さを感じます。

「止められないパターン」
それが間違ってないとしたら?
そこに意味があるとしたら?

あなたの傾向の再定義。

言い換えたら、

あなたの思考のバリエーションの拡大。

ゲシュタルト的なアプローチは、
この才能の発見
そして、才能から強みへ引き上げることと
相性がいいのでは?と、考えます。

私自身の5つの強みの一つに、
「個別化」があります。
人を、一人一人違った個体として
認識することに強い関心を持つのが特徴です。
そういう私が、ゲシュタルトのセッションを
提供する側を選んでいることを
改めてほ〜と思います。

私も私なりに、自分自身を救う道を
探ってきて、その道すがらにゲシュタルトに
出会いました。
よかった。。

私の5つの強みについては、
過去にブログ記事にしています。
よかったら、コチラ⬇︎ご覧ください。

私自身、苦手を克服させようとされること、
に対して大いに抵抗します。
嫌だからでもありますが、
それ以上に合理的でない、
非生産的で、危険、とさえ思います。

遂行することに躍起になる為、目配りが不足することで、
思わぬミスから人災が起こる可能性があります。

一方で、その人にとってやっていてよろこびのあることは、
それをすることでエネルギーまで湧いてきます。
その体験が更にその人の血や肉となります。

だけれども、一周回って、
たくさんの「嫌だ」があったから、
「よろこび」に確信を持てる。とも言えます。

なんであれ、「体験」が自分を導きます。
なんであれ、「よろこび」が自分を導く。

この本を、久しぶりに読み返しました。





〜個人セッションでお会いしたいです〜

120分間、自分自身に最大の興味と関心を向ける
あなたのための時間です。
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by masumihug | 2017-04-12 03:53 | 個人セッション
過去記事より再掲です。
(2015年11月28日投稿記事)

とても大切な、
私の思いの一つです。
ウェブサイトの方にもあるのですが、
もう一度。

読んで頂けたら、うれしいです。



人生と、仲良くなれた。

自分にとって、
ゲシュタルトって、
端的に言うと、何だろう?って
考えていました。

「人生と仲良くなれた」
という言葉が出て来ました。

そのココロを、
書いてみます。

それ以前のわたしにとって「人生」っていうのは、
近寄り難く、
腰が引けるものだったような気がします。

わたしの横を大きな河が、ゆったりと、
淡々と、流れていた。

わたしは、岸にいて、その大きさ、
ゆったりだけれども確実なその流れに、
圧倒されるばかりだった。

今思い返すと、そんな光景が見えてくる。

「私」と「私の人生」の、
その当時の関係。

「人生」なんて言葉も、
軽々に使うことは出来なかった。

ゲシュタルトを知って、
ワークを重ねていくにつれ、
「人生とは、体験すること。それそのもの。」
なのかもしれない。
と、半信半疑ながら、
知っていきました。

今この瞬間に、
一瞬一瞬に居て、
そこに、十全に関わる。

そして、振り返ると、
一瞬一瞬の点が、連なって、
線が出来ている。(私の後ろに)

わたしは、
生まれてから死ぬという
直線の上に居ると思っていたけど、
そうではなかった。と、気づきました。

わたしの前には、線はない。

引かれている線はないのだから、
自分で一歩一歩、
歩を進めていくことになります。

その一歩一歩、
その度に、
選択をしている。

その選択をする時、
「今ここ」で気づき、
自分自身の感覚を信頼し、
何かを選び取っていくことになります。

ゲシュタルトセラピーには、
「今ここ」へ戻してくれる
様々なアイデアがあります。

一つは、身体を入り口にすること。
身体感覚は、嘘偽りがない。

そして、そこには必ず、(だいたい)
メッセージがある
ということを、知った。

身体を通じて、
自分の中の自分と対話をしていくことができる。

その時の最善の答えを導き出すとき、
自分の中の自分は、
頼もしい存在だと気づいた。

自分の中に相談相手がいる、
というのは、
目から鱗であったが、
これほど、安心することはない。

次第に、「人生」が、わたしに優しくなった。

わたしは、恐る恐る人生に近づいていった。

いや、実際、
「人生」から離れたことなど、
一度だってないのだけれど、
わたしにとってはそのような感覚があった。

そして、実際に起こっていたのは、
わたしは、わたしと、仲良くなった。

ということだった。

わたしは、いつの時点かで、
自分を嫌いになり、
自分で居ることに嫌気がさしていて、
「死」のその時まで、
「時間を潰す」と、思っていた。

何をしても、自作自演の田舎芝居。

と、感じていた。

これは、好きになれない脚本を渡されて、
いつまでたってもしっくりこない役を、
いやいや演じる。そんな感覚があった。

ゲシュタルト以降は、
脚本も、役も、ない。

自分自身でよかった。

すーすーする感じは、あったけれど、
その手持ち無沙汰感も、新鮮であった。

わたしは、自由、だった。

同時に、責任があり、だけど、愛、があった。

拠り所、よすがのない感じが一瞬は
したのだけれど、
そんな時、自分自身に聞いて、耳をすませば、
身体の中を丁寧にさぐれば、
今自分の中で何が起こっているのか、
そして、どうしたいのか、
を、掴んでいくことが出来る。

それを、恐る恐る口に出して、
自分の身体に響かせ確かめる。

波紋が広がるのが分かる。
しっくりきているか、
どこか違うか、
身体の感覚に聞き耳をたてる。

それを繰り返す。
起こっていることに信頼を置いていく。
起こっていることに、ついていく。

最初は、リスクを冒すような感覚があるが、
そこに信頼を置いてみる。

(以前は、思考の中の「恐怖」というスペースから
様々な指示が「私」へ出されていた。)

何が起こったかと言えば、
人生の責任を自分に引き寄せて、
人生の主体者を自分に据えていた。

ゲシュタルトセラピーのワークを受けることで、
その練習をしていたのだった。

ゲシュタルトセラピーは、
セラピーとは言うけれど、
治療モデルと言うには、少し違う感じがある。

プラクティスモデル、
練習や学習、実験、実践モデル、と言う方が、
わたしにはしっくりくる。

そして、ワーク(セラピーのセッション)で、
その練習をしていると、
結果的に、セラピーになっている。

それは、何より確実なセラピーである。

起こっていることは、とても単純なこと。

自分自身の欲求の核と出会う体験。
そして、
その欲求を満たすことが出来ると知る体験。

ただそれだけ。

ただそれだけなのに、
自分自身に力が戻ってくる。

いつしか人生という大きな河へダイブする勇気が
備わっている自分に出会う。

これは、ちょっと、わぉ!なことだ。

「ゲシュタルト的な気づき」の練習は、
セラピーにもなり得る、し、そして、
同時にコーチングでもある。と言える。

ワークを終えると、
エネルギーが湧いている、
パワーがこの手に戻っているのがわかる。

自然と、歩き出している。

アタマと、カラダと、心、魂と言ってもいいかもしれないが、
すべてがひとまとまりとなって、「今ここ」の状態で
事に当たる。
これは、非常に頼もしい感じがする。

そして、人生と仲良くなった。

人生を今、生きている。と言えるようになった。

今となっては、当たり前のこの感覚。

そして、やっぱり、時々わからなくなるとき、
わたしは、ワークを受ける。

そして、そんな場がある、というのは、
わたしにとって、とても、いいことだ。
と、思っています。

そして、私自身が誰かのそんな場所で在りたい。
そうで在れたら、なにより幸いだと思っています。

お会いできたらうれしいです。
ありがとう。







〜個人セッションでお会いしたいです〜

120分間、自分自身に最大の興味と関心を向ける
あなたのための時間です。
あなたがあなたと出会っていく時間になります。

 



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by masumihug | 2017-04-11 00:15 | 個人セッション

運命の輪

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今日のせんせー。


大アルカナのX(10番目)は「運命の輪」

だけど、このデッキの10番の名前は
『Change』


いわゆるオーソドックスなタロットと、
こちらのタロットの解釈を混ぜ合わせると、
今の時代の視点で活用できる。


運命は翻弄されるもんじゃなく、
自分がその輪の中心たれ。
自分で廻せ。
或いは、
廻しているのは己と知れ。
という感じがしてきます。


振り回される、
振り落とされる、しがみつく。


なら、あなたは輪の外側に居る。


中心は、なんと静かか。
台風の目は、無風。


「運命の輪」も、実は「狂言回し」の存在を
示唆してる。


誰が廻してる?
主役は誰?


それを見ている人が自分なら

(廻している人が自分なら)

自分にとって好ましい現実でない
理由などない。はず。

と、落ち着ける。


気づくこと。


自分が廻してる輪の一番外側に、

当の自分がいることに気づいたら、
一歩輪の中心へ近づける。


また気づいたら、
また一歩。


そういうことを
教えてくれる。


タロットが出来た時代から、
人間の営みは全く変わってない。
とも言える、し、
ちょっと変わった。


今は、為政者も市民も
自分の個人的な生きるに自由と責任の
範囲が拡がってる。
と、思う。
いい時代って思う。


だけど、しょっちゅう遠心力の影響を
モロに受けるワタシもおります。


だから、こういうせんせーが
日常に必要なんです。

ありがとう。



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by masumihug | 2017-04-07 21:15 | 個人セッション

わたしを知って、わたしを生きる。神奈川県藤沢市にて、心理セラピーを行っています。ホームページこちらです。 https://kiku-therapy.jimdo.com/


by masumihug