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「誰かと居る」を学ぶ

これは、生きているあいだ中の
学びなのだろうと
想像しています。

苦学にすることも出来るし
拷問にする人もいるでしょう

自分独自のアートを編み出していくのもあれば

誰かのHow toを借りて、それで一生やり終えるのもありなのかもしれません

じゃあ、「生」が終わるとどうなるんでしょうね?


筋肉の緊張が、その人を形作っている
あるいは
その人が、自分のアイデンティティを維持するのに
特定の筋肉を、特定に緊張させている

とも、言えると思います。

そして、
その人が死を迎えると
つまり
筋肉が弛緩していく
その人は、キャラクターを一つ一つ解いていく

ということにも、なります。

それは、

一切の社会的な関わりから降りていく

呼吸が止まって
心臓が止まって
脳が、止まって

いく

アイデンティティが、解かれていく
いらなくなっていく

ここからは、
誰も証明出来る人はいないけれど

たった一人
死へ向かう探求をする

それまでは、「誰かと居る」為に築き上げたもの、
を、
全部下ろして
たった一人で、生まれて初めての「死」を探求する

いや、
もしかしたら、
生まれる前に出てきた世界へ戻る?
のなら知っているのかもしれない?

そして、寿命を全うするうちに
忘れてしまったその「一人」というところを通過するのだろうか?

この「死」への探求に、どっぷりと集中していける
誰に気兼ねなく
もう、なんの言い訳をする必要もないのだ

焼かれるまでの間
こんな時間帯があるような気がする

家族がいる人は、
こんな時周りに、泣いている人や
「目を開けて!」って身体を揺すられることがあるのかもしれないけれど
死への探求に集中している人のプロセスを邪魔する必要はない気がする

ただ、静かに 
ただ、共にそこに居て
この人の探求をする空間を共にするということを
してみたい

私が、その本人であるのなら、
そんな死と死の後の時間帯を過ごせるのなら
なんと贅沢なことかと思う。

死へ入っていくその人の周りの空間を埋めずに
その静寂を埋めずに
時間を埋めずに
邪魔せず
ただそこに居ることが出来る人たちが
共に居てくれたら それは本当に幸せだな
それは、ものすごく成熟した場面だな

ただ、何れにしても
それは、どう生きたか によるのだろうな。

どう生きたか
とは、

何に価値を置いて
そして、自分にはどう出来たか?
他にどんな可能性があるか?
どう関われるか?

その模索の足跡の一つ一つ
だな

うん

はぁ〜

こきゅう〜 をしています

今の私はこんなふうに
考えています




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by masumihug | 2019-03-07 01:03 | 所感

誰かと居るを学んでいる

ゲシュタルトを学んで

私が、ゲシュタルト的な文脈で
生きるということをプラクティスをしてきて

思うことは

「誰かと居る」
を学んでいるのだと
いうことです。

これに気づくとき、同時に、
それまでの私は、
「誰かと居ないで平気でいる」
訓練をしてきた

と、気づきます。

「一人で生きる」というより

「誰かと居ないで平気」なように矯正する訓練
「誰かと居ないで平気」なふりをする練習

をしてきたなぁと思うんです。

これは、
結構出来るようにはなります。だけど、
これは、
私が、この世界に生まれてきたときに持っていた
動機とは反対なんだ。

だけど、
「諦めないといけない」

諦めることで、
命をつなごう

と、思ったんです。

それも、
認めます。

生き抜くために、
いっとき、大事な動機を脇に置く時間帯があった。
他の選択肢にも気づけなかった。

そして、
生きてきた。

生きて、
ここに辿り着いた。

そんなふうに思っていた。

そして、
辿り着いた場所で、
周りを見まわす機会を得ることが出来ました。

そして、
ゲシュタルトを手に取った。

世界を変えるより
世界を嘆くより
世界に唾を吐くより
自分自身を見ていく方法があると知った。

同時に、自分自身のことをいかに知らないか
ということを知りました。

生き抜く知恵と力、
を、知らないうちに身につけていると気づきました。

そして、
そうして、やはり、気づくのは、
私の深い深い奥にある動機は
「誰かと居たい」であったと気づきます。

だからこそ、生き抜いてきた。
のだと、思えます。

どこかに、方法がある。
無いわけがないと、何処かで信じていた自分を知ります。

この、人の奥深くにある「動機」は、
その人がどんな状況、状態にあっても変わることがないようです。

自分自身を見ていくとき、
変わっていくもの に気づくと同時に、
変わらずにあるもの の存在に気づきます。

本当に、人間一人の
力、知恵、
それを動かす生命力 
の力強さに圧倒されます。

クライアントさんとの出会いで、本当に震えます。

これが、必ずあるのを知っているから、
人のプロセスに絶対的な信頼を置くことが出来ます。

状況が扉を開けてくれてます。
向き合う場所を教えてくれてます。

いつ向き合うか、
どう向き合うか、
は、完全に任されています。

人生は、本当によく出来ているなぁと
感心します。

私のことに戻ります。

そして、やっぱり
「誰かと居る」を学んでいる。

それを、脇に置いたことなど、
ひとたびもなかったんだ
と気づくんです。

文字通り、それを誰かと共に学べる時があったらラッキー。

そして、
それぞれの人が、それぞれ一人、
自分の人生を生きていて、そして学んでいる。
そんなふうにして生きている。ことに間違いはない。
それは、事実。

ふりをすることでも、
平気でいる練習をすることでも、
ない。

この世界で一人一人それぞれに生きている
それは、事実なんだから。

学ぶべきは、
「誰かと居る」の方だろう。

今は、もっと具体的になって
「誰かと関わる」になっています。

そして、「ダメだ」って自分にダメ出しして
自分に退場命令をしていると思っていたのは、
関わり方の試行錯誤だったのだ。と、気づきます。

この世界から「退場せよ」と言われたわけじゃない。
そう意味付けしたのは、この私自身だ。と、気づく。
その言葉は、この私の言葉だ。

私は、私に唾を吐いていた。

だけど、
そこへ辿り着くのには、
それに気づくには、
一周回る必要があったのよ。私はね。


笑ってくれて、ありがとう。

いまは、そんなふうに
自分自身を知ることをしている。

何年も、こうやって私は私自身とのワークをしてきたけれど、毎回毎回、私は私を発見する。

これは、有難いです。
よろこびです。







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by masumihug | 2019-03-05 12:20 | 個人セッション

わたしを知って、わたしを生きる。神奈川県藤沢市にて、心理セラピーを行っています。ホームページこちらです。 https://kiku-therapy.jimdo.com/


by masumihug