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タグ:ゲシュタルト療法 ( 161 ) タグの人気記事

「JOKER」という作品は、大掛かりに見せてくれているものは、
本当に私たちに身近な、身に覚えのあることだった。

一方で、私は、予告を観て涙が込み上げてしまったのだけれど、
実は、映画館で本編を観た時にはまったくそれはなかった。
そこにどんな違いがあるのか、何が起こっていたのか?
いま、探っています。

それを探りながら、
思いつくところを書いてみます。

映画を観て、思うのは、
アーサーは、自分自身を取り戻すプロセスの
途中にあると過程してみました。

つまり、
人が、自分自身を取り戻していく過程にあるとき、
自分自身の中のありとあらゆる側面・質に触れていく可能性があって、

逆に言ったら、その体験が、あなたにあなたを取り戻させることになる。

その時、この映画のジョーカーのような質に出っくわすこともある。
恐らく避けては通れない。

今までただ飲み込んでいたあらゆる欲求に気づきだす。
その中には、当然人が持っていて然るべき欲求もあれば、
世間においては常識的ではないとされている欲求もある。

不当な扱いに異議をとなえる。
頭に来てると言う。
それは悲しいと言う。
止めろ!と言う。

そして、
本当にハラワタが煮えくり返っていたら
殺す。

なんてことは、実際には出来ない。

出来ないことは、ないけれど、
払う代償は大きい。

だからと言って、自分自身の真実を
捻じ曲げるには、相当の努力が要る。
それは、今までの人生で散々してきた。

それは確かに存在しているんだ。

ゲシュタルトのワークで試してみるのは、
まさに、こんなこと。

普段は、日常を優先して、それらをないことにしている。
自分自身の真実に触れること。
それに、存在する機会を与えること。
それに、言葉や動作を与えること。
それに、自分の身体を差し出して、身体ごとなってみる機会。

安全な構造を作って、試してみることが出来る。

それをするには、安全な構造が必須なんだ。それに、
もう一つ、目撃者も必要です。

それを見届けてくれる人。
グループでのワークなら、複数の人が
見守ってくれている。

批判の声も、アドバイスもなく、
分析も、憐れみも、解釈もなく、
ただ、しかと目撃していてくれる。

しかも、
もっといいことには、
あなたの自己表現を見て、
自分自身の身体に響かせて、
自分自身の真実に共鳴させている人も居る。

実は、これが「聴く」ということ。
「聴かれる」ということ。

この機会は、人の健全さを後押しする。

映画のJOKERを地で行くか、
自分を大切に扱うか、
は、自分自身で選択することではあるけれど、
少なくとも、選択肢はあると
知っていたい。

と、私は思う。

だから、この映画を観て、
私は、ゲシュタルトを知っていて良かったと思った。し、
その機会を提供する側のことをしていることを
とても肯定できた。

そして、最近起こる事件の主人公を
単純に断罪出来ない私の思いと
この映画が描く世界の重なりを感じている。

多くの人が、この映画に共感を送っている。
それを見れば、明らかだ。
多くの人が、自分自身の内側にアーサーの存在を感じている。
ともすれば、JOKERへと育ててしまいそうだと
自分自身の内側に恐怖さえ感じるだろう。

自分自身と向き合うことへの
漠然とした怖さは、
この辺りにあると思う。

だけど、ゲシュタルトのアプローチは
それを、つまり自分自身の内側との出会いと対話を、
自然に誘ってくれる一つの
機会の提供になると思っています。

それは、人が成熟していく過程の中で辿るプロセスを
勇気づけてくれる。

自分らしいユニークな発想を、信頼の中で選択出来る可能性を
気づかせてくれる。
生きることを意義深く、すこし優しくしてくれる。
と、信じています。

あらゆることを支配下に入れなくてよくなる。
あらゆる人を牛耳る必要もない。

この世界で起こるあらゆる無数のことと共に居る。
と言う事実があるだけ。

それは、ただ起こってくるから。

避ける予防をするよりも
起こると分かっている方が、自然。

そうすることで、
むしろ、人生を意義深く、人生を逃さずに
生きることの助けになる。

ハプニングは、招くべき友になる。
あらゆる経験は、学びとなって、
自分自身の血や肉になる。

多分、それは、人類にデザインされているんだろうと
私は思っています。

これは、チャレンジでもあるけれど
投資すべき相手かなと思う。

それをギャンブルにしない為、
人間に備わった気づくという力を鍛えていこうと思っています。

それを、縁あって出会った人たちと
やっていくのは、楽しいです。

ここまで書いて、
私が本編で涙にならなかったことに疑問を持った
ことに対する答えは、やっぱり出てこない。

でも、過度に感情を揺さぶられていない自分に
やっと今ここまできて
肯定を出せた気がしている。

私は、今は、もう 「Just the way you are 祭り 」
じゃないということなのだとしたら、
それは、ちょっとは成熟の片鱗なのかな?と、
思って良いのかもしれないと思えてきました。
遠慮がちに。
すこし、ほっとしています。

ありがとう。








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by masumihug | 2019-10-09 10:24 | 所感

映画『JOKER』




圧倒された



アーサーが
地下鉄の駅の階段を駆け上り
夜の物騒な街中を一目散に走って逃げて
公衆トイレか何かの中へ入る
そこで、彼の様子が一変するところ。

とても印象に残っている場面

彼の中に
生命が宿り始めるのを見た気がした

公衆トイレの中での
彼のダンス

本当に優雅だった

見ていた私の左手も
少しゆらゆらと踊り出していた

ここを境に
アーサーに命が吹き込まれていくように見えた

人生の、自分として生きていない時間を
埋めていくように見えた


トイレの中でのダンス
自分の中にあるエネルギーと踊っていた
その存在を初めて許した
祝福のダンスか

その前に彼がやったこととは
あまりに対照的だ
だけど、そのエネルギーは、
長いこと閉じ込められていて、そしてついに自分の腕試しを終えて、
満足気に余韻に浸っている。
そんな風に見えた。
だから、釣り合って見える。

このダンスは、甘美なダンスだ

自分が、いま、自分自身と一致していると
心から身体から
思える瞬間だろうと 想像出来た

この甘美さは、
「ほかに何が要る?」
というくらいの悦びだろう。
もしかしたら、生まれて初めての
自分に許可を出した瞬間だったかもしれない。


もう誰かに愛される必要もない

愛される為に、身を削る必要もないのだ
その為に、空気を読む必要もないのだ
愛を乞う必要はないのだ

という安堵感
とも 感じた

私には、力がある。
何かを為すのに、誰かの力を借りる必要はないんだ

私は、私とさえ居ればいい
私は、私を抱きしめている
私は、私が愛おしい

私は、私自身とダンスする

その陶酔の中に居る

そんなアーサーだったな。

ただ、これは、
自己愛を獲得する(取り戻す)途中の祭りのように見える

でも、ここを通るのだね

そして、実際には、
この後にも道のりがあるんだ。

ここは、健全な自己愛を築く土台
現実をやっていく土台
のポイントゼロ

この後、大切に育てていく必要がある


アーサーの、渋滞していたエネルギーはメガ級
このまま、この途中のままで世間を巻き込んでいくのだね。

そして、だから、「ジョーカー」になっていくんだね。


アーサーが、自分自身に許可を出し、放出し始めた怒りに
世の中が便乗し始める

一皮剥いたら、実は、仲間だらけ。

飲み込み、隠して、生きていた時のアーサーは
あんなに孤独だったのに。

為政者がもっとも恐れるトリックスターの出現と扇動される群衆。

逆に言ったら、社会でこんな暴動が起こっていないことの方が
おかしいくらいに思う。
為政者の上手な管理か?
私たちに備わるバランス感覚か?
DNAレベルの種の保存の為せる技か?



ところで、

映画の最終版、福祉制度の中で受けていたカウンセラーと
再会していた。
そして、最後のシーンでは、真っ赤な彼の足跡。。
やっぱり。。。

彼はあのとき「聴いてないだろ?」って言ってた。
この気持ち、共有出来るな。

私も、産○カウンセラーの講義の時に、ウンザリしたよ。
聴ける人なんて、そこには居なかった。
学ぶものは、あまりなかったよ。

でも、同時に、私の生涯でもっとも聴いてもらった二人の内の一人は、
28歳の時に出会ったカウンセラーだよ。

それほど、「聴く」というものには力があると
私が体験として、人生として知った機会だった。

だからこそ、カウンセラーと名乗る人には
「聴く」ということの人類に与えられている力を
知っている必要があると思っているよ。
それから、もっとデカイのは、
「聴いてもらう」ことへの渇望。と、必要性。
それは人を育てる。育む。

多分、それを”体験的に”知らないんでしょうね。
カウンセラー当人が「聴く」をみくびっちゃいけないよね。

なんて言うと、それがそのままブーメランになって
戻ってくるでしょうね。私自身、「聴く」ということは、
精進の限りはないと思っているよ。

話が逸れました。


一つだけ、ちょっと気になっている個所がある。

映画の冒頭、予告にも出てくる場面でもある、アーサーの商売道具の看板を奪い取って
路地裏でアーサーをぼこぼこにする悪ガキ達。

アーサーが、この映画の中で唯一成敗を果たしていない気がしています。

他の面々は、殺されました。
この悪ガキたちは、この後どこかで出てきているんだろうか?

結果的には、この悪ガキたちもジョーカーを祭り上げる
群衆の中にいるムーブメントの金魚のフンということなんだろうか?


もう一つ、
書いておきたいことがあります。

それは、
次の記事にします。

一旦、休憩します。

ふぅ〜〜
呼吸〜〜


ああ、本当に
凄い作品だ。

携わった人たち全員に感謝の気持ち。は、さることながら、
ホアキン・フェニックスの貢献は偉大だと思う。
作品の世界観を十分に理解して、
更に、自分自身の中にある要素をブレンドし、この人物を創り出したと思います。

そこに、自分の肉体を投じて、全身全霊で演じている。
ように見えます。

ありがとう。






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by masumihug | 2019-10-09 01:34 | 所感
すこし前の事件だけど、
いや、ほんのちょっと前なのだけれど、
毎日毎日刺激的なニュースが供給されて
埋もれてしまっているように思うが

再婚相手の連れ子を殺害してしまった(まだその疑いの段階かもしれません)
という事件が、
私にとって印象に残っている。

夫婦の関係は、本当に本人じゃなきゃわからない。
だけど、このまだ若いこの男性の
まだ人生の始まりのパートに過ぎないと思うんだけど
その部分が、日本中に暴かれて
みんなが勝手に彼の分析をして
分類しているのを見ていて
とても胸が痛いところがあった。

だからと言って殺害に対して擁護することには繋がらないと前置きしつつ。

今のこの人生のいっときをスパッと切り取ったら、
無職で 教師の奥さんが家計を担っていて
教職員住宅に住んでいる。

言ってみたら、ツッコミどころ満載で、
一人の若い人間が、
世間にネタを供給し、消費され
既にブームも去った感じ。

「ヒモ男」って。。


「性自認の多様性を受け入れよう」なんてことが叫ばれて
それについてはもともとなんの意義もないが、
このニュースとその後の日本中での噂話を見ていると
そんなことより、もっともっとそれ以前の
そもそも「男性がただ男性で、生きていく」
ってことすら、覚束ないのが現状なんだろうか。

男性というアイデンティティの上には、
限定的なレイヤー可能なアイデンティティが必要で
それがないと、人生は厳しくなる。可能性があるってこと。
その緊張感が、過剰にみなぎっているのを感じる。

「アイデンティティの椅子取りゲームはとっくにover」
って、official髭男dism が
FIRE GROUNDって曲で歌っているけど
レイヤー可能なアイデンティティが限られているから
そうなるんだ。
とっくにover どころじゃない。まだまだ続いてるみたいだ。

それは、世間が認めたアイデンティティだ。
それが、すこしずつ増えていってると思ってた。けど、
今回のニュースの見出しでそうでもないのか?と
驚いた。

それを、一番本人が自分を責める根拠にしてしまって
人を殺める動機へ繋がってしまったんなら
とても残念なこと。

多様性
ダイバーシティ
性別と役割
そんなことを、ここ数年日本でも
考え方の再検証をいろんな方面で
醸成して来てたっていうのに
このニュースの見出しには失望しました。

改めて、「男性が、ただ男性で居ていい」のじゃないのだな
と、感じざるを得なかった。

男性は、この緊張を四六時中感じているのかもしれないと
非常にリアルに想像した。

この緊張感が、男性全体のお腹の底で、
いや、頭の中で、
低周波の音みたいに常に鳴って、響いているとしたら
それは、時々人を殺したくなるかもしれない。

人を殺すことはなかなか難しいなら、自分をどうにか
してしまうかもしれないね。

このことに、少なくとも
私は、気づいていようと 思いました。

ありがとう。

追伸: official髭男dism は、同曲 (「FIRE GROUD」)の中で
「難題 だらけの just the way you are 〜」 
とも歌ってるね。
この記事とも重なるでしょうか。






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by masumihug | 2019-09-28 22:14 | 所感

それは誰への怒りか

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「私の夢を盗み
子供時代を取り上げました」

あなたが
本当にそれを言いたい人は誰? なんだろう。

あなたの涙は
なんと言ってるんだろう。

もっと言ったら。。
その言葉は、
本当は、誰の言葉なんだろう?

本当に あなたの言葉だろうか?

もちろん、あなたの口から出てきている限り
あなたの言葉なんだけど

ここで私が言っているのは、
「周囲の大人に言わされている」
「洗脳されている」
っていう疑惑のことじゃなくて、

心から自分で、自分の言葉で 主張しているつもりで
実は、誰かの代理戦争をしていた ということが
よくあるからなんだ。

親の夢の実現に協力しようとしてたって
ずっと後になって、気づくことがあるからなんだ。

しかも、それが「親の夢」かどうか 
その時に確認もせず。。。

そうだろうと思って
それを自分が最大限にやることが
自分を立ち上がらせる原動力になるんだよね。

快感なんだよね。

もし、自分自身の言葉じゃないのなら
その言葉の元の持ち主へ返す
必要がある。
と、言いたくなっている私に気づきます。


私自身を、あなたに投影して
今、話していることに気づいています。

ちょっと、リスクを犯して
話しています。


あなたのお顔が、歪んで見えるのは
私だけだろうか。

あなたの主張は、あまり頭に入ってこないのは
私だけだろうか。

あなたの奇妙な表情に とても注意が向きます。

身体 変調きたしてないだろうか。
それとも、何が起こっているんだろうか。
と、目を見張ります。


グレタさん、
聴かせてくれよ。

あなたが誰かに盗まれたあなたの夢って なに?

どんななのか
聴かせてほしい。

あなたが誰かに取り上げられたあなたの子供時代って
具体的には なんなの?

どんななのか
聴かせてほしい。

あなたは、本来自分は今のこの時間に学校に行くべきなのにここに来ていると言って
怒りを表している。涙さえ滲ませているように見える。

あなたの表情に見えるその怒りは、本当にそのことに対する怒りなの?

自分はそれでも恵まれている と言っている。
どんなところが自分として恵まれている部分なの?
聴いてみたい。あなたが、恵に思うことってなんなの?
知りたい。
興味があるんだ。
教えてくれよ。

あなたを見て
そんな風に 思った。

そんな 言葉が湧いてきた。

実は、あなたの眉間のシワを見て
私の5歳の時の写真に写っている私の眉間のシワと
とてもよく似ているから
私は、自分が反応を覚えていることに気づいたんです。

あなたに私を投影していることに気づいています。

もしかしたら、世界中の多くの人も
何かしら、自分自身の内側の疼くところの存在に
気づいたかもしれない。

投影が瞬時に、世界中に伝播するように
起こったかもしれない。

それは、あなた(及びあなたのチーム)が意図するところには
貢献しないかもしれないと思ったんです。

それともそれが目的なの?

人間を見くびってはいけない。
生き物としての感覚を、見くびってはいけないよ。
と、あなたのチームの人たちに言いたいな。

あなたは、大人になって気づいて、
名をはせるかもしれないが、
私はそれを賞賛するのは辞退したい。

まだ、自分自身の発言に責任を持つ年齢じゃない。
脳の発達だってまだ完了してない。
さっきと今と1分後の発言と気分が真逆だって許される
ティーンエイジャーだ。
だけど、発言している場所は、世界への影響を織り込んだ
場所だ。
私は、だから、あなたのスピーチを声付きの動画で
観ることを控えようと思った。

でも、意を決して見たんです。
そして、
そんな未来まで、想像してしまったんです。

そうすることで、
私とあなたの間に
安全な緩衝地帯を作りました。

そうする必要がありました。
攻撃は、世界の大人全員に向けられている為、
それに対する防御が必要でした。

ご理解ください。


































by masumihug | 2019-09-25 20:04 | 所感
*今期の募集は終了いたしました。
有難いことにご縁ある方々が集まってくださって
メンバーに恵まれ今年も船出いたしました。*9/30/3019追記

(すこし)長期的な探求グループ 第2期
ご興味おありの方とのご縁を繋ぎたく
ブログにも掲載いたします。


今日は、こんな提案をさせて頂きたくて
お声掛けさせていただきます。

(すこし)長期的な探求グループ 第2期 です。

昨年、私の初の試みとして
これはほんとうに幸せなことなんですが、
この「(すこし)長期的な探求グループ」(約7ヶ月間)を行わせていただきました。

探求の場を提供させて頂きながら、私自身が多くのことを学んだ機会でもありました。
改めて、探求を共にしてくださった皆さまに感謝を伝えたい!です。

私が、「個人セッション」だけではなく、このような場を
提供していくことへの変化というのは、これは、私自身の変化の体現でもありまして、
私自身が、グループやコミュニティといったものへの信頼を取り戻した(と言い切ってしまおう)ことによります。

ゲシュタルトセラピーは、
自分が自分自身との信頼を回復していくアプローチと言ってもいいと思います。

自分自身の「あるがまま」に気づく実践
とも、言っています。

自分自身に気づきを向けていきます。
その過程で、未完了を完了させる人もいます
また、止めていた感情を取り戻す人もいます
自分自身が自分の歴史のどこかで装着したフィルターを検証し合理的にする人もいます
何かしら必要なことが起こってくる人がいます。

やがて、
自分が、「自分自身と居る」ことに耐えられるようになっていきます。

自分が、自分自身と居られることで、
他の「誰か」とも居られるようになっている
と、気づくことが起こってきます。

小さな「例外」が時々起こってくることで
気づくかもしれないです。

一見遠回り?いえいえ、着実な、地に足のついた安全なステップだと、私は信じています。

また、探求の過程で、
もう一度、自分自身の中にずっと生きている、
「私のエッセンス(or らしきもの)」と出会った人もいるかもしれません。

それが、それ以降の人生を生きる為の重要なリソースになり得る
と、どこか予感を感じたかもしれません。

確かに、そんな人生の局面を迎えておられるクライアントさんが、
セッションに訪れてくださっていると感じることもあります。(私の勝手な解釈かもしれません。)

なんであれ、ワークの場で、
自分自身の「あるがまま」に気づいて、
恐る恐る触れて、出会って、いかれます。

「自分自身との面会 or 再会」の場です。

お一人お一人のその「面会」「再会」の場面にご一緒させていただくのはとても光栄なことです。
個人的な私は、その度に胸を熱くしています。

そして、その「あるがまま」「自分自身のエッセンス」との統合のプロセスが始まっていきます。

統合のプロセスには、少し人生の時間を要します。

「ここは、むしろ時間を使って良いようだ。」と、
私が気づいたのは、ゲシュタルトに出会ってからだいぶ経ってからになってしまいました。

私自身がクライアントであった頃、
セッション直後の喜びの後、新しい選択肢の発見の後、
それを持って人生をやっていく時に、不安がありました。
なぜなら、言ってみたら、今まで歩いていない道を試し試し歩くワケです。
「前よりは、まし。自分の確信も感じる。だけど、これで本当にいいのかな?」といった感じです。

小さな不安は徐々に勢いづいて、「思考」のなせる技ではありますが、
更に膨らんでいくと、ゲシュタルト前の自分に瞬く間に戻ってしまう気がします。
こんな時、どうして良いのかわかりませんでした。

その後、新たな私にとってのゲシュタルトの先生と呼べる人と出会い、
コミュニティの大切さを身を以て体験しました。
「ああ、これが欲しかった!」と思いました。

人が、変容の過程にある時に、安全に自分の姿を確認しながら行える環境、
つまり、「鏡」となり得る環境というのが不可欠なのですね。

これが、コミュニティの役割なのか。と、腑に落ちました。

これは、赤ちゃんが成長していくときと、同じ仕組みです。が、
大人になってからの成長の時には、鏡や見守る人が養育者である必要はありません。
自分自身で「誰と居るか」を選びます。(これも、成熟化のプロセスだと思うんです。)

私自身の経験から言いますと、
私は、正確に映し出してくれる鏡を探していました。
同時にそれは、私にとっての安全がある場でなくてはいけません。

でも、なかなか出会えず、自分が単にわがままで、未熟者なのだと思っていました。

彼女から学んだ「成熟化」という一つの文脈を持ったゲシュタルトは、
私にフィットしました。この考え方ならば、私は属することが出来ました。

私は、属するに値するコミュニティを得たと感じました。
同時に、それが私の100パーセントを属させるコミュニティである訳でもありません。

それは、パールズの「ゲシュタルトの祈り」のそのままを体現していました。
安全が確認できました。

私は、何処にも属することが出来ないハンチク者という訳じゃなく、
私が属するに値する場所を求めていた(探していた)のだ。と、思えました。
ここならば、私に始まっていた統合のプロセスを安全に丁寧に見守ることが出来ると思えました。
そんな環境を選ぶことは、自分が自分に出来るサポートだと思えました。

注釈がとても長くなってしまいました。

そんな自分自身の経験から、
「自分自身のあるがまま」「変わることなくある私自身のエッセンス」と、
セッションを通じて出会った後、
その芽生えたばかりの新芽や若芽を、
やさしく大切に育む時間と場所を提供したいという思いがあります。

栄養を与え合ったり、水やりをする場。
お互いの成長を見合う場。
不安を口にできる場。として、すこし長期的に探求を行うグループを提案したいと思っています。

もし、少しでもご興味を向けてくださいましたならば、ご一緒に探求をしませんか?
と、呼びかけさせていただきます。

〜〜〜

「気づき」のプラクティスのコミュニティです。
(プラクティス=実践、練習)

「自分と居る」「誰かと居る」をテーマに、
ゲシュタルトの気づきのアプローチを使って探求を深めます。
毎回テーマに沿って行います。
自分自身を探求することになります。そして、同じように取り組む人がそばにいます。
それを、感じると思います。

ここでは、起こってくることすべてに居場所があります。
あなたが安全を確認出来て、そうしたければ、聴いてもらうことが出来ます、そして、試してみることが出来ます。

構造としては、以下のように考えています。
期間:2019年9月〜2020年3月
月に一度(全7回)
形式:ワークショップ(1Day とHalf Day)
4名程度(固定メンバー)
場所:遊行之座(藤沢セッションルーム)
参加費:10,000円程度(月間)*調整中
*参加資格:さのますみの個人セッションを経ている方(1回でも)
*期間中の個人セッションの割引などのベネフィットを設定します。

スケジュール・テーマ(暫定)ひとまず2回分をここに書きます。
9月29日(日)1Day 10:00~18:00 ディープ・リスニング〜聴くというスペース〜
10月27日(日) Half Day 13:00-18:00 自分の席に座る 呼吸に気づく 〜いまここ・自分のホームを知る〜 
*期間中は、ワークとワークの間の期間にウェブ環境を使ってのシェアなどが出来るようにしようと思います。
*ワークとワークの間の期間に、Skypeなど使ってますみとの短いセッションを持つことを考えています。
*参加者のプロセスやニーズによって、内容を調整していきます。
*このワークは、いかなる治療も目的とするものではありません。

★まずは、ご興味が少しでも向きましたら声を届けて頂けましたら幸いです。

〜〜〜

第1回は、「聴く」「ディープリスニング」です。
関係性を変容させることすら可能な、この人に備わる「聴く」という力。
そして、その「聴く」は、同時に自分自身に向けるものでもあります。
エクササイズなど交えて、理解を深めていけたらと思っています。

★お問い合わせをお待ちしています。
A41枚ペラに短くまとめたご案内があります。
PDFです。今のところの案です。 それをお渡しさせて頂きます。
ご参加の方々のニーズを取り入れて、よりよい機会にしたいと思っています。


またまた長くなりました。
近いうちにお目にかかれる機会が起こりますことを、願っております。

いつも、ありがとうございます。

わかりにくいこと多々あるかと思っています。どうぞ遠慮なく言ってください。
皆さんの気づきからのフィードバックが、場に健全さを呼び込んでくれます。
どうか気づかせてください。

佐野珠美
(さのますみ)




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by masumihug | 2019-09-01 18:28 | ワークショップ
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昨夜10時過ぎに帰宅し、
ポストに届いていたこちらの著書を
着替えもそこそこに読み始め、
読みながら飲もうと淹れた紅茶が
そのまま冷めていくのに気がつきながら
結局一口も飲むことなく
読み終えた。

先日のNHKスペシャル『彼女は安楽死を選んだ』の「彼女」
小島ミナさんが、そもそもこの本の著者である宮下洋一さんに
コンタクトをとったことがこの番組が出来るきっかけになっている。
(ミナさんが読まれたのは、『安楽死を遂げるまで』。)

番組は、敢えて淡々と(その姿勢を保っているのが素晴らしいのだけど!)
編集され 私たちに投げかけている。

その余白があることで 私たちが
自分の中に響く 余韻や共鳴や波紋と共に居ることを促してくれた。有難い。

そして、この本は、
そんな 私の 余韻、共鳴、波紋、思考、好奇心、推測、想像、
などに 助けをくれる。


ミナさんに割かれているボリュームはやはり大きいのだけど、
同時期に宮下さんと関わりのあった
やはり安楽死を求める他の二人のケースについても丁寧に描写されていた。

宮下さんは、敢えて自分自身の中に起こる
疑問や違和感や ざらっとする何か も 混ぜる。
ことで、本全体のメッセージにバランスが生まれている。

何も見逃していない 感じがするし、
同時に、責任の範囲を繰り返し明確にすることで、
この方の眼差の正確さと、人肌の優しさの両方を感じる。
それが、健全な感じを受ける。

この自と他、我と汝、境界線 というもの
もっと言うと、応答する能力 と言う意味においての 責任 そして、選択 は
ゲシュタルトの文脈のとても重要なところ。
繰り返し繰り返し、強調したいところ。

で、あって、この「死」を語るのに 必須の土台だと思う。

日本の中で、この議論を深めていくときに、
この理解なしには、危険を孕む と感じる。

と、同時に、勿論、日本だって、歴史と文化の中に死生観がある。
自と他の境界線や責任 と 共に、我々の持っている死生観とはどんなか?というのを
明確にしていく作業も必要だと思っている。それは、土台になる。

ちょっと大きなビルを建てる為の基礎工事だ。


話を戻さなくちゃ。

だから、私は、この本を、安心して自分の興味を解き放つように
読み進めることが出来ました。
宮下さんのスキルとメタスキルの両方ゆえのこと。
(短期間にこのボリュームの取材〜作品化〜出版 すごいな〜。おかげで私はタイムリーに手に出来たんだよね。)


読み終えて、主に二つの新たな興味と仮説を持ちました。

一つは、
世界は、この「安楽死」や「人の最期」について、二つの流れに分かれたのだなと知ることができました。

その一つの潮流は、この「安楽死」。主に、オランダやスイスの流れ。
そして、もう一つの流れは、「緩和ケア」であるということ。主に英国で発展しているそうで
その英国側から安楽死側を見ると、この分野においてそちら側は「後進国」だという評価になる。ということを知りました。

これには、なるほど〜 と 唸りました。

と、同時に、世界は、もうそんな議論の進み具合なワケですね。
先進国とは、「人の最期」についてのオープンな議論がある国って条件を入れて良さそうに思いました。

さっき言ったように、
日本では、まだまだこの人の最期をどう考える?って土台さえない。と、私個人的には考えている。
日本人が劣っている とは、思っていない。

それから、西洋と日本の「恥」の定義と その自分にとってのインパクト 
何を恥とするか? 自我との関係 も どこか関係がありそうに思う。
embarrass ・ ashamed とか 英語には明確な区別がある。

そして、「安楽死」を語るには、「緩和ケア」を知る必要があるんだなと 知ることができました。

知ることができました。し、同時に、自分自身の最期への選択肢が増えた安堵感のような感覚を体感したのは確かなことです。

この感覚は、大事だな。

そして、もう一つ。
先に書いたように「二つの新たな興味と仮説を持ちました」の
もう一つは、

もしかすると、この「緩和ケア」ではなく何故「安楽死」を選ぶのか?って議論と関係がありそうに思うのだけど、
「死」をもコントロールしたい という 傾向を持っているのか? という 私の中に生まれた仮説です。

これは、自分自身にも問いかけられます。

こんなことも含んで来そうな気がします。
つまり、私が結婚を全て途中で終わりにしたのも
子供を持たなかったのも、
「人生」というのを、もしかすると、
己で見渡し、かつコントロール出来るものにしておきたい。と、
どこかで いや、体全体で、もしかすると、全ての細胞に命令をかけていたのじゃないか?
という、仮説です。

人生っていうのは、様々な人たちと関わって、時に翻弄されて、
予期せぬことになっていくもんで、
どこか、えいや!ってその濁流がどこへ流れ着くかは
わからずとも、事実を優先させ、濁流に乗ることがある。

いや、乗るとか乗らないとか、選択もなかったわ〜って言う人が居る。

私は、どちらかと言うと、「選択的にいたい」と思う方だった。
人生においては、選択肢が全部見えているワケじゃないのにね。。苦笑

これは、「自分への信頼」の篤さ が 関わっていると思う。

ゲシュタルトをやっていて、その厚みは増したのだけど、
恥ずかしながら、それもほんの少しだ。という自覚はある。

この「選択的でありたい」平たく言えば 「自分で決めたい」は、裏返せば、
自分を信用できない
他人を信用できない
コントロール可能な範囲であるかどうかが重要だ。
と言う、「恐怖」が 動機だ。
とも、言える。
ってことを、知っている。

「ってことを知っている」と言えるような範囲まで
気づきに入れることが出来るようになった自分を
「よくやったね」「ゲシュタルトが助けになったね」と 褒めてあげることにするけど。苦笑


「彼女」ミナさんも、
病との付き合いの中で、自分の人生は「孤独」と一緒にいるのだ、それで何が悪い、
のように、かつて豪語していた自分を
浅はかだったな〜と言うように振り返り、
彼女独自のユーモアを交えて吐露しているのだけど、
私の仮説との重なりを感じるんだ。

と言うことは、「安楽死」は、やはり、ちょっと、「せっかちな死」
なんだろうか?

「死」への ゆっくりしたプロセス という「生」の中では、
自分自身との対話に耐えられるか? と、想像する。

それは、未知の領域で、事前にコントロールは不可。
ということは、コントローラーにとっては最大の恐怖の大魔王 ということになり得る。

コントローラーにとってこれまでの人生においても、
最大の厄介な相手は自分自身だからね。


だけど、本当にそうかどうかは
そこに入ってみなければ分からない。

何を幸せに感じるか なんて分からない。

それに、事実、ミナさんも、この病と共にいるという未知の領域に入って
お姉さんたちとの交流 自分自身の再構築が起こっている。


そんな、仮説も持ちつつ
この領域を 眺めてみよう という気になっている。

いずれにしても、
私にとって「死」は、子供の時から一貫して興味のあるテーマであったんだ。

だけど、
どうそこへアプローチして良いか分からなかった。

ゲシュタルトに信頼を置いたのは、「死」もタブーじゃないって確信したからだったし。

この安楽死というテーマは、そこ「人の最期」「私の最期」へ安全にアプローチする綱のような気もするな。

この記事は、本当に、雑記です。
だけど、内側で 上がってくるものを
言葉にして、出すことは 必要で助けになります。
私の健全さを 保つことが出来ます。

もし、読んでくださったなら
ありがとう。

心から感謝の気持ちです。

そして、このテーマに向き合えると思うと
私によろこびが あるのに気づきます。


#安楽死を遂げた日本人
#彼女は安楽死を選んだ



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by masumihug | 2019-06-21 16:03 | 所感

NHKスペシャル
「彼女は安楽死を選んだ」
2019年6月2日(日)
午後9時00分~9時49分


すばらしい番組でした。
この「彼女」の発したどのことばにも
頷いている自分がいました。

たくさん エコーしたいことばがあった うちの一つ
番組の冒頭で 彼女が 言っていた言葉。

どう死ぬか を 選択することは
どう生きるか を 選択することと 
同じくらい 大事なこと


多様な「生」がある
ということは 多様な 「死」の選択肢が必要。

その実現には
成熟した社会が必要。

成熟とは、
たくさんの議論があった上で 法が整備されて
複数の選択肢があった上で 個人が選択できて
個人のレベルでも 自分の選択に責任を持てる
また、そういった選択が物珍しくないほどに
人の選択というものが尊重されている 
そんな環境があることを想像します。

その一つのモデルが スイスにある
ということを この番組を通じて 
「彼女」の選択を通じて
知ることができました。

スイスのこの団体のウェブサイトを貼り付けておきます。

assisted voluntary death
という考え方 です。

*このAVD(Assisted Voluntary Death) をここで
実行するには、必要な条件があります。
主な要件:・堪え難い苦痛がある・明確な意思表示ができる・回復の見込みがない・治療の代替手段がない など


「彼女」の最後の言葉は
「すごく 幸せだった」。

見守ってくれているお姉さん二人に そう告げたお顔は
とても穏やかだった。


自分が 自分でなくなってしまう

ありがとう を言えなくなってしまう人の気持ちが分かりますか?

こんなふうに 言っていた「彼女」は

自分が自分であるうちに 選択をして
ありがとう と 言えるうちに
大切な人たちに「ありがとう」「(一緒に居てくれて)幸せだった」と 伝えて 人生を終えていった。

だからこそのあの表情なのだろう と 思えた。

このスイスの団体を主宰している医師が
重要なことを言っていた。

自分が死にたいからと言って
家族や周りの人を傷つけてはいけません。

そうだよね。
遺される その人を愛している人たち は
その人が亡くなった後 その人なしに 生きていかなくてはならない。

だから、よく話し合うことが 必要だ と この医師は言っている。

人が一人 生を終えるってことは
本当に大きなことなんだ。

もちろん、それは、人が一人生きている ってことが
大きいからに他ならない。


ところで、このlifecircleのウェブサイトに
「自殺の防止」に寄与するということが書いてあった。

スイスも 人口比での自殺率は世界平均の上に
ある国だそうです。

この彼女も、自分の尊厳が自分自身で保てなくなることを予想して
自ら命を絶つことを試みたことがあったそうです。


家族や愛する人たちとじっくり話しをして
感謝を伝えて、ちゃんとさよならを言って
医師立ち会いのもと 
苦しまずに死ぬことが出来る。としたら?

電車を止めることなく むごい死体を晒すことなく
また、密かに 誰も知らない場所で 死んで 死体も発見されない
そんな 死に方を選ぶ必要はない としたら?

そもそも 「私 自分で自分の人生の終わりを決めたいと思っているの」
って、オープンに 話せるとしたら?

こんな選択肢が存在する社会においては
もしかすると
うんと想像力をたくましくした場合
「死」や「自死」というものの捉え方が ちょっと今とは違うのじゃないだろうか?
と、想像しました。

もちろん、この AVDが理想的ですね!!と言ってる訳ではないですよ。
もちろん、たくさんの議論が必要です。

でも、もう何年にも渡ってたくさんの自殺者がいるっていう事実のある日本において
それを「止めよう!」だけじゃあまりに思考停止じゃないか?と思っていたのは確かなんです。

そして、「止めよう!」って何年もやってたって一向に減らない事実がある訳で。

それが起こるには、やっぱり意味がある訳ですから。

「死」や「自死」についての オープンな議論が 必要じゃないか と思うんです。
いろんな場所で。

そういう意味でも、この番組は世の中に素晴らしい一石を投じたと思います。

「彼女」が、安楽死について(日本で)みんなが考えて(話して)ほしい と言っていた。

この言葉以上に、彼女の振る舞い 言動 番組の中で体現していたものによって 
私はとても影響を受けた。ものすごく インスパイアされました。

彼女に感謝の気持ちです。
番組を作ったNHKスペシャルの人たちの勇気や丁寧さに感謝の気持ちです。



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by masumihug | 2019-06-13 01:14 | 所感
の記事の続き を 書きます。


今回は、殺人をして自らも自分を殺した人に対しての
世の中の論調に変化を感じています。

激しい断罪ばかりではない ように見えます。

私は、それを見て 人々が 自分の想像を使っているように感じます。
想像を使って、感覚を感じることを許しているように思います。

自分自身の中にも かすかに痛む部分がある人が
それを無視しないで 表現出来る世の中になってきている兆しを
感じています。

もちろん、人の命を奪う行為は 罪であることに間違いはないです。

命を差し出すことになった お二人の優しさには
ただただ圧倒されます。

ご冥福をお祈りします なんて言葉は 私の分際では
とても言えないほどに 高潔さを感じています。
これは、私の勝手な 想像ではありますが。
 

そして、私に出来ることはないか?
ゲシュタルトの文脈で、この領域で
私に何か出来ることがありそうに思います。

そんな感覚が 自分にあるのに気づく ことから
書いてみたいことがあります。



脳内のせめぎ合い についてです。

信頼出来る他者との関わり合いのない環境で、
つまり、正確な映し返しのない あるいは 
どんな映し返しも絶った状態の中では

自分だけで自分自身の尊厳を守り切ることは 難しい時があると思う。
本当に、ここに 己のこの身体に 守るものがあるのか? 
自分にそんな価値があるのか?
手応えがなくなってきます。

ここまで、前の記事に書きました。

自分自身の尊厳、
自分自身への信頼、
自分が信じている自分の価値、

ほんとうに 見失い易い。です。
本当に 簡単に 手放します。

そのうち、証拠を見せろ!と 自分が自分を脅迫し始める かもしれません。

自分への信頼 を 持ち続けることが 危うくなってくる時です

だけど、一方で 確かにある(はずだ)! の声も聞こえている。
か弱く。

その二つの声 が 自分の頭の中でせめぎ合う
疲弊する。

このせめぎ合いを、止めるには
自らの命を絶つこと以外にない という
考えが 出てくることが あるかもしれない と 想像します。

なんで想像するか と 言えば
私自身 しょっちゅう そうでありました。

私に起こる ということは
他の 少なくない人々にも 起こることだ
と 考えます。


その時に まったく見逃していることがある
と 言ってみたいんです。

せめぎ合いに 道を譲る ってことです。


どうしても起こってしまうことなのなら、それに場所を与えることが出来る

プロセスの邪魔をしない という 姿勢が ゲシュタルトの文脈にあります。

それを、なくすことや 止めることに 躍起になって 疲労困憊し
一向に 好ましい変化がないのだったら。

その「疲労」が、検証する時 を教えてくれている
と言えるかもしれないです。


そして、
疲労は 人の判断力をさらにさらに削いでいく

疲労は 休みの時であって 判断の時じゃない わけです。

そんな状態で、一世一代の判断をするべきじゃない


せめぎ合い なんて もう 十分にやり尽くした って
言うかもしれない

けれど
あなたの頭の中でやっていたのなら
実は、それは、やり尽くしてはいない
まだ出来ることがある

一人二役では 不十分なのだ

せめぎ合いの 両方に その一方一方に 十分な表現の時間と場所を与えたか?
ということなんです。

ゲシュタルトのアプローチでは
ここにやり方を持っています。

どうせ一世一代の決断をするのなら、
これをやってからにするのはどうか
と 招待を出したいんです。

あなたの そのせめぎ合いには 意味がある 
それを 尊重してみる それに出会ってみる 
それが起こっていることは 間違っていない
だから、繰り返し繰り返し起こるのだ

あなたは、それを 長年 脳内でやっていたのかもしれない

脳内で、そのせめぎ合う勢力を 一人二役で お互いに打ち消しあっていたとしたら?
他の可能性があるよってことです

そのそれぞれの言い分を 十分に表現させる機会を持つこと
それぞれの持っている感覚を 十分に体験すること
そして、出来たら その両者が対話をすることです

40年もの間、打ち消しあって いたのなら、その会合は
一足飛びには 難しいかもしれない 

40年間夫婦喧嘩をしてきた二人 って感じかもしれない

相手を突破することを目的とせずに
ともに座れるか
それぞれが、「私」という主語で 表現出来るか

それぞれの一方が モノローグで語り始めるかもしれない
それに十分に時間を取ることが出来ると思う

たくさんのエピソードが 語られる かもしれない

「私」が 生き延びる為の工夫と努力 
「私」が 局面局面で払ったリスク 判断の経緯 
それは、まさにあなたの歴史 でもある

そして、もしかしたら 
参考にした 誰かの 言葉 があったかもしれないし
折に触れて サポートとしていたものの存在があったことにも触れるかもしれない

自分自身の中に、よすがとなるような
島を築いていくことが出来る


外の世界と関わることは
ものすごい刺激なんです。

その刺激を受けて、自分自身の中で大きな反応が起こる
自分自身の中なのに 相反する意見が 鳴り始める 
めちゃくちゃに同時に ピアノの鍵盤が押されるように

その反応に 当の自分が耐えきれない ことは よくあること

でも、その鍵盤一つ一つ に 居場所と言い分 が ある はず
一つ一つ に 近寄り 出会ってみる ことが出来る

少し練習が要る でも
自分自身とのコンタクトの仕方を練習することは 助けになる
自分が 生きていく時の 自分が自分に出来る助けです

これは、どんな人にとっても
練習が必要な場所だと思います。

最初から出来る人はいないわけです。
生れながらの部分じゃないとこなんです。
人生をやっていきながら 習得していく領域なんだと思います。
人類は、そのように出来ている ようです。

私にとっては、練習可能な場所なのだ と 知れたのは
朗報でした。

ゲシュタルトを作った フリッツ・パールズが言う
「成熟化」 の道筋 です。

私は、この今回のこの出来事は
今の日本の社会が学べること、深められることを
教えてくれると感じています。
同時に、人々の意見や振る舞いを見るにつけ
そんな成熟へ向かう社会の兆しを感じています。

私の信じるゲシュタルトを通じて 私もまた
社会と関わっていきたいと
思いを新たにしています。

ふぅ〜
呼吸 を します。

ありがとう




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by masumihug | 2019-06-02 13:01 | 個人セッション

登戸の出来事から


〜記事より

「たまたま事件を起こした人がひきこもりだっただけなのに、犯罪とひきこもりがイコールに語られるような報道が多くされています。犯罪を犯したということと、ひきこもりをつなげて考えないでほしいです」

《事件の背景が丁寧に検証され、支え合う社会に向かう契機となることが、痛ましい事件の再発防止と考えます。特定の状況に置かれている人々を排除したり、異質のものとして見るのではなく、事実に則り冷静に適切な対応をとっていただくようお願い申し上げます》  〜記事より



登戸で起きた出来事

尊厳 ということについて
考えています。

どの人も 背景と歴史を携えてそこに生きている
これは、当たり前の事実 

そして、
その人のそれに思いを馳せる別の人が居る ということが
その人の尊厳を 確かにあるものとして そこに立ち上がらせる 存在させる
ことを可能にすると 思う。

その人についての人となり、その人の歴史や文化 いわば コンテンツ 
その内容をすべて知っている必要はない

ただ 人にはコンテンツがある という前提で いたい
そして、その中身がなんであれ、それは大切に扱われるものだ。という前提で いたい

時々人は、 その人本人が
自分自身のコンテンツに 価値を見出していない というときがある。
無価値である と 言っている時がある。
自分で自分の尊厳を粗末に扱う素ぶりをすることがある。

そういう時も、私は その前提でいたい

誰かのフィードバックが、自分の自分自身への信頼の担保になる。ってことがある
のを知っている。
私自身がそうである。

一つを知るには、二つが必要。だったりする。

自分を知るのに、誰かが必要 だったりする。

つまり
逆に言うと、自分だけで自分自身の尊厳を守り切ることは 難しい時があると思う。
本当に、ここに 己のこの身体に 守るものがあるのか? 
自分にそんな価値があるのか?

本当に見失い易い。簡単に。

この 事件を起こした人が 自分自身で「自分はひきこもりだ」と
自認していたかどうかは ちゃんと出会って、話してみなければ いけないこと。
だが、もうそれはできない。確認できない。

それに、「ひきこもり」の定義というのもとても曖昧だと思う。

ただ、確かに他者との接触を絶つような状態が長くあったことは確かのよう。

で、あるならば、
その人のその状態と起こした事に「関係がない」はずはないと思う。

むしろ、その「つながり」や仕組みを 見ていくことで
この出来事を 社会として 学びに出来ると思う。

そういう意味で、《 》で囲まれた部分の 文章は、その通りだと思う。


この出来事は、
とてもインパクトがあった。
社会にインパクトがあったのはもちろん。
私個人に、大きな影響を与えているのに気づきます。
思考の層、感情の層、ゲシュタルトのセラピストとしての層、
私の様々な層が、反応しているのに気づきます。

今朝、自分自身の日課としている「自分の席に座る」を行った時
亡くなったお二人、そして、事件を起こした人、それぞれに思いを馳せる
時間をとりました。

ニュースで散々使われている 中学生時代の学生服姿の彼の写真。
51歳の彼が どんな姿をしていたかはわからないけれど
その中に、この中学生の彼が ずっと生きていただろうと勝手に想像した。

その中学生の彼に 話しかける ことが出来た。
それは、私自身の為に 必要な時間だった。

この出来事について、書きたいことは ものすごくある。

私自身のテーマ そして、私が ゲシュタルトのセオリーを用いて
自分自身とコンタクトしてきたプロセスや 探求の歴史 と
重なるところがあるからです。

そして、だからこそ 私に出来ることがあるだろうか 
どんなふうに 私が このテーマで 誰かと 世の中と 
関わっていけるだろうか? 関わっていきたい。 と
思っています。

これは、私としては ちょっと珍しい 内側の動き があることに
気づいています。


はぁ〜
呼吸〜〜

呼吸が 胸に入ってくる そして 出ていきます

ありがとう


*この記事の続きを書きました。





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by masumihug | 2019-06-01 14:16 | 所感

近影

ブログの プロフィール写真を変えました。
アップデートしました。と、言う方が正確な感じがします。

以前の写真は、3年ほど前の私。

見た目で大きな違いは、頭髪です。

15年以上かそこら、定期的に染めてきました。
染めなければ、かなりの部分が白髪だと
わかっていました。

昨年の秋で、髪を染めるのを
終了しました。

もっと前から、
染めない選択をしたかったのだけど
自然な決断は秋になりました。

グレーヘア が 
ちょっと流行ってしまっていて
流行りに乗ろうとしてるって
思われるんだろうなぁと思うと、
恥ずかしいので、つい下を向いてしまうことがあります。笑

自分なりのプロセスを経ているのです。
と、言いたくなります。が、
どの方も、そうですよね。笑

そして、
結構気に入っています。

内側と、外側が一致したような
清々しさを感じています。

見た目 の変化 というのは
やはり 見た目だけではない です。よね。

『成熟化』をテーマに
ゲシュタルトを研究・実践 しようと
しております私としては、
その延長上にある と 思っています。
(控え目な姿勢で言っています)
そうだったらいいなと 思っています。
(さらに精進してまいります)

以前のプロフィール写真とは
随分と、印象が違うということになり、
初めてお会いする方は
もしかしたら、実物を見て
びっくりするかもしれないなぁと
最近気づきました。

ので、
急ぎで変えることにいたしました。

こんな いまの 私です。

お会い出来たら
嬉しいです。


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by masumihug | 2019-05-15 22:57 | 私のこと

わたしを知って、わたしを生きる。神奈川県藤沢市にて、心理セラピーを行っています。ホームページこちらです。 https://kiku-therapy.jimdo.com/


by masumihug