人気ブログランキング |

タグ:個人セッション ( 139 ) タグの人気記事

a0205246_13564610.jpg


昨夜10時過ぎに帰宅し、
ポストに届いていたこちらの著書を
着替えもそこそこに読み始め、
読みながら飲もうと淹れた紅茶が
そのまま冷めていくのに気がつきながら
結局一口も飲むことなく
読み終えた。

先日のNHKスペシャル『彼女は安楽死を選んだ』の「彼女」
小島ミナさんが、そもそもこの本の著者である宮下洋一さんに
コンタクトをとったことがこの番組が出来るきっかけになっている。
(ミナさんが読まれたのは、『安楽死を遂げるまで』。)

番組は、敢えて淡々と(その姿勢を保っているのが素晴らしいのだけど!)
編集され 私たちに投げかけている。

その余白があることで 私たちが
自分の中に響く 余韻や共鳴や波紋と共に居ることを促してくれた。有難い。

そして、この本は、
そんな 私の 余韻、共鳴、波紋、思考、好奇心、推測、想像、
などに 助けをくれる。


ミナさんに割かれているボリュームはやはり大きいのだけど、
同時期に宮下さんと関わりのあった
やはり安楽死を求める他の二人のケースについても丁寧に描写されていた。

宮下さんは、敢えて自分自身の中に起こる
疑問や違和感や ざらっとする何か も 混ぜる。
ことで、本全体のメッセージにバランスが生まれている。

何も見逃していない 感じがするし、
同時に、責任の範囲を繰り返し明確にすることで、
この方の眼差の正確さと、人肌の優しさの両方を感じる。
それが、健全な感じを受ける。

この自と他、我と汝、境界線 というもの
もっと言うと、応答する能力 と言う意味においての 責任 そして、選択 は
ゲシュタルトの文脈のとても重要なところ。
繰り返し繰り返し、強調したいところ。

で、あって、この「死」を語るのに 必須の土台だと思う。

日本の中で、この議論を深めていくときに、
この理解なしには、危険を孕む と感じる。

と、同時に、勿論、日本だって、歴史と文化の中に死生観がある。
自と他の境界線や責任 と 共に、我々の持っている死生観とはどんなか?というのを
明確にしていく作業も必要だと思っている。それは、土台になる。

ちょっと大きなビルを建てる為の基礎工事だ。


話を戻さなくちゃ。

だから、私は、この本を、安心して自分の興味を解き放つように
読み進めることが出来ました。
宮下さんのスキルとメタスキルの両方ゆえのこと。
(短期間にこのボリュームの取材〜作品化〜出版 すごいな〜。おかげで私はタイムリーに手に出来たんだよね。)


読み終えて、主に二つの新たな興味と仮説を持ちました。

一つは、
世界は、この「安楽死」や「人の最期」について、二つの流れに分かれたのだなと知ることができました。

その一つの潮流は、この「安楽死」。主に、オランダやスイスの流れ。
そして、もう一つの流れは、「緩和ケア」であるということ。主に英国で発展しているそうで
その英国側から安楽死側を見ると、この分野においてそちら側は「後進国」だという評価になる。ということを知りました。

これには、なるほど〜 と 唸りました。

と、同時に、世界は、もうそんな議論の進み具合なワケですね。
先進国とは、「人の最期」についてのオープンな議論がある国って条件を入れて良さそうに思いました。

さっき言ったように、
日本では、まだまだこの人の最期をどう考える?って土台さえない。と、私個人的には考えている。
日本人が劣っている とは、思っていない。

それから、西洋と日本の「恥」の定義と その自分にとってのインパクト 
何を恥とするか? 自我との関係 も どこか関係がありそうに思う。
embarrass ・ ashamed とか 英語には明確な区別がある。

そして、「安楽死」を語るには、「緩和ケア」を知る必要があるんだなと 知ることができました。

知ることができました。し、同時に、自分自身の最期への選択肢が増えた安堵感のような感覚を体感したのは確かなことです。

この感覚は、大事だな。

そして、もう一つ。
先に書いたように「二つの新たな興味と仮説を持ちました」の
もう一つは、

もしかすると、この「緩和ケア」ではなく何故「安楽死」を選ぶのか?って議論と関係がありそうに思うのだけど、
「死」をもコントロールしたい という 傾向を持っているのか? という 私の中に生まれた仮説です。

これは、自分自身にも問いかけられます。

こんなことも含んで来そうな気がします。
つまり、私が結婚を全て途中で終わりにしたのも
子供を持たなかったのも、
「人生」というのを、もしかすると、
己で見渡し、かつコントロール出来るものにしておきたい。と、
どこかで いや、体全体で、もしかすると、全ての細胞に命令をかけていたのじゃないか?
という、仮説です。

人生っていうのは、様々な人たちと関わって、時に翻弄されて、
予期せぬことになっていくもんで、
どこか、えいや!ってその濁流がどこへ流れ着くかは
わからずとも、事実を優先させ、濁流に乗ることがある。

いや、乗るとか乗らないとか、選択もなかったわ〜って言う人が居る。

私は、どちらかと言うと、「選択的にいたい」と思う方だった。
人生においては、選択肢が全部見えているワケじゃないのにね。。苦笑

これは、「自分への信頼」の篤さ が 関わっていると思う。

ゲシュタルトをやっていて、その厚みは増したのだけど、
恥ずかしながら、それもほんの少しだ。という自覚はある。

この「選択的でありたい」平たく言えば 「自分で決めたい」は、裏返せば、
自分を信用できない
他人を信用できない
コントロール可能な範囲であるかどうかが重要だ。
と言う、「恐怖」が 動機だ。
とも、言える。
ってことを、知っている。

「ってことを知っている」と言えるような範囲まで
気づきに入れることが出来るようになった自分を
「よくやったね」「ゲシュタルトが助けになったね」と 褒めてあげることにするけど。苦笑


「彼女」ミナさんも、
病との付き合いの中で、自分の人生は「孤独」と一緒にいるのだ、それで何が悪い、
のように、かつて豪語していた自分を
浅はかだったな〜と言うように振り返り、
彼女独自のユーモアを交えて吐露しているのだけど、
私の仮説との重なりを感じるんだ。

と言うことは、「安楽死」は、やはり、ちょっと、「せっかちな死」
なんだろうか?

「死」への ゆっくりしたプロセス という「生」の中では、
自分自身との対話に耐えられるか? と、想像する。

それは、未知の領域で、事前にコントロールは不可。
ということは、コントローラーにとっては最大の恐怖の大魔王 ということになり得る。

コントローラーにとってこれまでの人生においても、
最大の厄介な相手は自分自身だからね。


だけど、本当にそうかどうかは
そこに入ってみなければ分からない。

何を幸せに感じるか なんて分からない。

それに、事実、ミナさんも、この病と共にいるという未知の領域に入って
お姉さんたちとの交流 自分自身の再構築が起こっている。


そんな、仮説も持ちつつ
この領域を 眺めてみよう という気になっている。

いずれにしても、
私にとって「死」は、子供の時から一貫して興味のあるテーマであったんだ。

だけど、
どうそこへアプローチして良いか分からなかった。

ゲシュタルトに信頼を置いたのは、「死」もタブーじゃないって確信したからだったし。

この安楽死というテーマは、そこ「人の最期」「私の最期」へ安全にアプローチする綱のような気もするな。

この記事は、本当に、雑記です。
だけど、内側で 上がってくるものを
言葉にして、出すことは 必要で助けになります。
私の健全さを 保つことが出来ます。

もし、読んでくださったなら
ありがとう。

心から感謝の気持ちです。

そして、このテーマに向き合えると思うと
私によろこびが あるのに気づきます。


#安楽死を遂げた日本人
#彼女は安楽死を選んだ



個人セッションでお会いできたらうれしいです。



いつも読んでくださり、ありがとうございます。
よかったらぽちっと↓ お願いします。
ありがとうございます。


にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ
にほんブログ村







by masumihug | 2019-06-21 16:03 | 所感

NHKスペシャル
「彼女は安楽死を選んだ」
2019年6月2日(日)
午後9時00分~9時49分


すばらしい番組でした。
この「彼女」の発したどのことばにも
頷いている自分がいました。

たくさん エコーしたいことばがあった うちの一つ
番組の冒頭で 彼女が 言っていた言葉。

どう死ぬか を 選択することは
どう生きるか を 選択することと 
同じくらい 大事なこと


多様な「生」がある
ということは 多様な 「死」の選択肢が必要。

その実現には
成熟した社会が必要。

成熟とは、
たくさんの議論があった上で 法が整備されて
複数の選択肢があった上で 個人が選択できて
個人のレベルでも 自分の選択に責任を持てる
また、そういった選択が物珍しくないほどに
人の選択というものが尊重されている 
そんな環境があることを想像します。

その一つのモデルが スイスにある
ということを この番組を通じて 
「彼女」の選択を通じて
知ることができました。

スイスのこの団体のウェブサイトを貼り付けておきます。

assisted voluntary death
という考え方 です。

*このAVD(Assisted Voluntary Death) をここで
実行するには、必要な条件があります。
主な要件:・堪え難い苦痛がある・明確な意思表示ができる・回復の見込みがない・治療の代替手段がない など


「彼女」の最後の言葉は
「すごく 幸せだった」。

見守ってくれているお姉さん二人に そう告げたお顔は
とても穏やかだった。


自分が 自分でなくなってしまう

ありがとう を言えなくなってしまう人の気持ちが分かりますか?

こんなふうに 言っていた「彼女」は

自分が自分であるうちに 選択をして
ありがとう と 言えるうちに
大切な人たちに「ありがとう」「(一緒に居てくれて)幸せだった」と 伝えて 人生を終えていった。

だからこそのあの表情なのだろう と 思えた。

このスイスの団体を主宰している医師が
重要なことを言っていた。

自分が死にたいからと言って
家族や周りの人を傷つけてはいけません。

そうだよね。
遺される その人を愛している人たち は
その人が亡くなった後 その人なしに 生きていかなくてはならない。

だから、よく話し合うことが 必要だ と この医師は言っている。

人が一人 生を終えるってことは
本当に大きなことなんだ。

もちろん、それは、人が一人生きている ってことが
大きいからに他ならない。


ところで、このlifecircleのウェブサイトに
「自殺の防止」に寄与するということが書いてあった。

スイスも 人口比での自殺率は世界平均の上に
ある国だそうです。

この彼女も、自分の尊厳が自分自身で保てなくなることを予想して
自ら命を絶つことを試みたことがあったそうです。


家族や愛する人たちとじっくり話しをして
感謝を伝えて、ちゃんとさよならを言って
医師立ち会いのもと 
苦しまずに死ぬことが出来る。としたら?

電車を止めることなく むごい死体を晒すことなく
また、密かに 誰も知らない場所で 死んで 死体も発見されない
そんな 死に方を選ぶ必要はない としたら?

そもそも 「私 自分で自分の人生の終わりを決めたいと思っているの」
って、オープンに 話せるとしたら?

こんな選択肢が存在する社会においては
もしかすると
うんと想像力をたくましくした場合
「死」や「自死」というものの捉え方が ちょっと今とは違うのじゃないだろうか?
と、想像しました。

もちろん、この AVDが理想的ですね!!と言ってる訳ではないですよ。
もちろん、たくさんの議論が必要です。

でも、もう何年にも渡ってたくさんの自殺者がいるっていう事実のある日本において
それを「止めよう!」だけじゃあまりに思考停止じゃないか?と思っていたのは確かなんです。

そして、「止めよう!」って何年もやってたって一向に減らない事実がある訳で。

それが起こるには、やっぱり意味がある訳ですから。

「死」や「自死」についての オープンな議論が 必要じゃないか と思うんです。
いろんな場所で。

そういう意味でも、この番組は世の中に素晴らしい一石を投じたと思います。

「彼女」が、安楽死について(日本で)みんなが考えて(話して)ほしい と言っていた。

この言葉以上に、彼女の振る舞い 言動 番組の中で体現していたものによって 
私はとても影響を受けた。ものすごく インスパイアされました。

彼女に感謝の気持ちです。
番組を作ったNHKスペシャルの人たちの勇気や丁寧さに感謝の気持ちです。



更新を通知する




個人セッションでお会いできたらうれしいです。



いつも読んでくださり、ありがとうございます。
よかったらぽちっと↓ お願いします。
ありがとうございます。


にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ
にほんブログ村







by masumihug | 2019-06-13 01:14 | 所感
の記事の続き を 書きます。


今回は、殺人をして自らも自分を殺した人に対しての
世の中の論調に変化を感じています。

激しい断罪ばかりではない ように見えます。

私は、それを見て 人々が 自分の想像を使っているように感じます。
想像を使って、感覚を感じることを許しているように思います。

自分自身の中にも かすかに痛む部分がある人が
それを無視しないで 表現出来る世の中になってきている兆しを
感じています。

もちろん、人の命を奪う行為は 罪であることに間違いはないです。

命を差し出すことになった お二人の優しさには
ただただ圧倒されます。

ご冥福をお祈りします なんて言葉は 私の分際では
とても言えないほどに 高潔さを感じています。
これは、私の勝手な 想像ではありますが。
 

そして、私に出来ることはないか?
ゲシュタルトの文脈で、この領域で
私に何か出来ることがありそうに思います。

そんな感覚が 自分にあるのに気づく ことから
書いてみたいことがあります。



脳内のせめぎ合い についてです。

信頼出来る他者との関わり合いのない環境で、
つまり、正確な映し返しのない あるいは 
どんな映し返しも絶った状態の中では

自分だけで自分自身の尊厳を守り切ることは 難しい時があると思う。
本当に、ここに 己のこの身体に 守るものがあるのか? 
自分にそんな価値があるのか?
手応えがなくなってきます。

ここまで、前の記事に書きました。

自分自身の尊厳、
自分自身への信頼、
自分が信じている自分の価値、

ほんとうに 見失い易い。です。
本当に 簡単に 手放します。

そのうち、証拠を見せろ!と 自分が自分を脅迫し始める かもしれません。

自分への信頼 を 持ち続けることが 危うくなってくる時です

だけど、一方で 確かにある(はずだ)! の声も聞こえている。
か弱く。

その二つの声 が 自分の頭の中でせめぎ合う
疲弊する。

このせめぎ合いを、止めるには
自らの命を絶つこと以外にない という
考えが 出てくることが あるかもしれない と 想像します。

なんで想像するか と 言えば
私自身 しょっちゅう そうでありました。

私に起こる ということは
他の 少なくない人々にも 起こることだ
と 考えます。


その時に まったく見逃していることがある
と 言ってみたいんです。

せめぎ合いに 道を譲る ってことです。


どうしても起こってしまうことなのなら、それに場所を与えることが出来る

プロセスの邪魔をしない という 姿勢が ゲシュタルトの文脈にあります。

それを、なくすことや 止めることに 躍起になって 疲労困憊し
一向に 好ましい変化がないのだったら。

その「疲労」が、検証する時 を教えてくれている
と言えるかもしれないです。


そして、
疲労は 人の判断力をさらにさらに削いでいく

疲労は 休みの時であって 判断の時じゃない わけです。

そんな状態で、一世一代の判断をするべきじゃない


せめぎ合い なんて もう 十分にやり尽くした って
言うかもしれない

けれど
あなたの頭の中でやっていたのなら
実は、それは、やり尽くしてはいない
まだ出来ることがある

一人二役では 不十分なのだ

せめぎ合いの 両方に その一方一方に 十分な表現の時間と場所を与えたか?
ということなんです。

ゲシュタルトのアプローチでは
ここにやり方を持っています。

どうせ一世一代の決断をするのなら、
これをやってからにするのはどうか
と 招待を出したいんです。

あなたの そのせめぎ合いには 意味がある 
それを 尊重してみる それに出会ってみる 
それが起こっていることは 間違っていない
だから、繰り返し繰り返し起こるのだ

あなたは、それを 長年 脳内でやっていたのかもしれない

脳内で、そのせめぎ合う勢力を 一人二役で お互いに打ち消しあっていたとしたら?
他の可能性があるよってことです

そのそれぞれの言い分を 十分に表現させる機会を持つこと
それぞれの持っている感覚を 十分に体験すること
そして、出来たら その両者が対話をすることです

40年もの間、打ち消しあって いたのなら、その会合は
一足飛びには 難しいかもしれない 

40年間夫婦喧嘩をしてきた二人 って感じかもしれない

相手を突破することを目的とせずに
ともに座れるか
それぞれが、「私」という主語で 表現出来るか

それぞれの一方が モノローグで語り始めるかもしれない
それに十分に時間を取ることが出来ると思う

たくさんのエピソードが 語られる かもしれない

「私」が 生き延びる為の工夫と努力 
「私」が 局面局面で払ったリスク 判断の経緯 
それは、まさにあなたの歴史 でもある

そして、もしかしたら 
参考にした 誰かの 言葉 があったかもしれないし
折に触れて サポートとしていたものの存在があったことにも触れるかもしれない

自分自身の中に、よすがとなるような
島を築いていくことが出来る


外の世界と関わることは
ものすごい刺激なんです。

その刺激を受けて、自分自身の中で大きな反応が起こる
自分自身の中なのに 相反する意見が 鳴り始める 
めちゃくちゃに同時に ピアノの鍵盤が押されるように

その反応に 当の自分が耐えきれない ことは よくあること

でも、その鍵盤一つ一つ に 居場所と言い分 が ある はず
一つ一つ に 近寄り 出会ってみる ことが出来る

少し練習が要る でも
自分自身とのコンタクトの仕方を練習することは 助けになる
自分が 生きていく時の 自分が自分に出来る助けです

これは、どんな人にとっても
練習が必要な場所だと思います。

最初から出来る人はいないわけです。
生れながらの部分じゃないとこなんです。
人生をやっていきながら 習得していく領域なんだと思います。
人類は、そのように出来ている ようです。

私にとっては、練習可能な場所なのだ と 知れたのは
朗報でした。

ゲシュタルトを作った フリッツ・パールズが言う
「成熟化」 の道筋 です。

私は、この今回のこの出来事は
今の日本の社会が学べること、深められることを
教えてくれると感じています。
同時に、人々の意見や振る舞いを見るにつけ
そんな成熟へ向かう社会の兆しを感じています。

私の信じるゲシュタルトを通じて 私もまた
社会と関わっていきたいと
思いを新たにしています。

ふぅ〜
呼吸 を します。

ありがとう




更新を通知する



個人セッションでお会いできたらうれしいです。



いつも読んでくださり、ありがとうございます。
よかったらぽちっと↓ お願いします。
ありがとうございます。


にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ
にほんブログ村







by masumihug | 2019-06-02 13:01 | 個人セッション

登戸の出来事から


〜記事より

「たまたま事件を起こした人がひきこもりだっただけなのに、犯罪とひきこもりがイコールに語られるような報道が多くされています。犯罪を犯したということと、ひきこもりをつなげて考えないでほしいです」

《事件の背景が丁寧に検証され、支え合う社会に向かう契機となることが、痛ましい事件の再発防止と考えます。特定の状況に置かれている人々を排除したり、異質のものとして見るのではなく、事実に則り冷静に適切な対応をとっていただくようお願い申し上げます》  〜記事より



登戸で起きた出来事

尊厳 ということについて
考えています。

どの人も 背景と歴史を携えてそこに生きている
これは、当たり前の事実 

そして、
その人のそれに思いを馳せる別の人が居る ということが
その人の尊厳を 確かにあるものとして そこに立ち上がらせる 存在させる
ことを可能にすると 思う。

その人についての人となり、その人の歴史や文化 いわば コンテンツ 
その内容をすべて知っている必要はない

ただ 人にはコンテンツがある という前提で いたい
そして、その中身がなんであれ、それは大切に扱われるものだ。という前提で いたい

時々人は、 その人本人が
自分自身のコンテンツに 価値を見出していない というときがある。
無価値である と 言っている時がある。
自分で自分の尊厳を粗末に扱う素ぶりをすることがある。

そういう時も、私は その前提でいたい

誰かのフィードバックが、自分の自分自身への信頼の担保になる。ってことがある
のを知っている。
私自身がそうである。

一つを知るには、二つが必要。だったりする。

自分を知るのに、誰かが必要 だったりする。

つまり
逆に言うと、自分だけで自分自身の尊厳を守り切ることは 難しい時があると思う。
本当に、ここに 己のこの身体に 守るものがあるのか? 
自分にそんな価値があるのか?

本当に見失い易い。簡単に。

この 事件を起こした人が 自分自身で「自分はひきこもりだ」と
自認していたかどうかは ちゃんと出会って、話してみなければ いけないこと。
だが、もうそれはできない。確認できない。

それに、「ひきこもり」の定義というのもとても曖昧だと思う。

ただ、確かに他者との接触を絶つような状態が長くあったことは確かのよう。

で、あるならば、
その人のその状態と起こした事に「関係がない」はずはないと思う。

むしろ、その「つながり」や仕組みを 見ていくことで
この出来事を 社会として 学びに出来ると思う。

そういう意味で、《 》で囲まれた部分の 文章は、その通りだと思う。


この出来事は、
とてもインパクトがあった。
社会にインパクトがあったのはもちろん。
私個人に、大きな影響を与えているのに気づきます。
思考の層、感情の層、ゲシュタルトのセラピストとしての層、
私の様々な層が、反応しているのに気づきます。

今朝、自分自身の日課としている「自分の席に座る」を行った時
亡くなったお二人、そして、事件を起こした人、それぞれに思いを馳せる
時間をとりました。

ニュースで散々使われている 中学生時代の学生服姿の彼の写真。
51歳の彼が どんな姿をしていたかはわからないけれど
その中に、この中学生の彼が ずっと生きていただろうと勝手に想像した。

その中学生の彼に 話しかける ことが出来た。
それは、私自身の為に 必要な時間だった。

この出来事について、書きたいことは ものすごくある。

私自身のテーマ そして、私が ゲシュタルトのセオリーを用いて
自分自身とコンタクトしてきたプロセスや 探求の歴史 と
重なるところがあるからです。

そして、だからこそ 私に出来ることがあるだろうか 
どんなふうに 私が このテーマで 誰かと 世の中と 
関わっていけるだろうか? 関わっていきたい。 と
思っています。

これは、私としては ちょっと珍しい 内側の動き があることに
気づいています。


はぁ〜
呼吸〜〜

呼吸が 胸に入ってくる そして 出ていきます

ありがとう


*この記事の続きを書きました。





更新を通知する



個人セッションでお会いできたらうれしいです。



いつも読んでくださり、ありがとうございます。
よかったらぽちっと↓ お願いします。
ありがとうございます。


にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ
にほんブログ村







by masumihug | 2019-06-01 14:16 | 所感

近影

ブログの プロフィール写真を変えました。
アップデートしました。と、言う方が正確な感じがします。

以前の写真は、3年ほど前の私。

見た目で大きな違いは、頭髪です。

15年以上かそこら、定期的に染めてきました。
染めなければ、かなりの部分が白髪だと
わかっていました。

昨年の秋で、髪を染めるのを
終了しました。

もっと前から、
染めない選択をしたかったのだけど
自然な決断は秋になりました。

グレーヘア が 
ちょっと流行ってしまっていて
流行りに乗ろうとしてるって
思われるんだろうなぁと思うと、
恥ずかしいので、つい下を向いてしまうことがあります。笑

自分なりのプロセスを経ているのです。
と、言いたくなります。が、
どの方も、そうですよね。笑

そして、
結構気に入っています。

内側と、外側が一致したような
清々しさを感じています。

見た目 の変化 というのは
やはり 見た目だけではない です。よね。

『成熟化』をテーマに
ゲシュタルトを研究・実践 しようと
しております私としては、
その延長上にある と 思っています。
(控え目な姿勢で言っています)
そうだったらいいなと 思っています。
(さらに精進してまいります)

以前のプロフィール写真とは
随分と、印象が違うということになり、
初めてお会いする方は
もしかしたら、実物を見て
びっくりするかもしれないなぁと
最近気づきました。

ので、
急ぎで変えることにいたしました。

こんな いまの 私です。

お会い出来たら
嬉しいです。


更新を通知する




個人セッションでお会いできたらうれしいです。



いつも読んでくださり、ありがとうございます。
よかったらぽちっと↓ お願いします。
ありがとうございます。


にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ
にほんブログ村







by masumihug | 2019-05-15 22:57 | 私のこと

あなたの怒り

自分の席に座る ことも
自分の呼吸を 思い出すことも 
できないとき
がある

そんな ときには
同時に、

怒りで 自分の頭の毛が逆立っている 
ときかもしれない

同時に、お腹の底にある
いつもは、おき くらいの小さな炎 が
勢いを持ち始めていることにも気づく

同時に、恐らくは 
たくさんの感情が入り混じっている
ときかも しれない

ただ、今は、
怒り だけ を感じたい
と 思うかもしれない

自分の中の 怒りに 火を点けて
炎にして

もしかしたら
誰かへ向けて 砲火 したくなる

それは、行きずりの 関係ない誰か でもいい
あるいは、もしかしたら
目の前の 大切な存在に 向けてしまいたい 

そんな 自分に気づくかもしれない

あるいは

その火を 自分自身に向けて 
自分を焼き尽くしてしまいそう

入り混じる 他の感情 もろとも
私は、私を 焼き尽くしてしまいたい 

そんなことは 良いことだとは もちろん思ってない

だけど、
この 炎 を 
どうしたらいい?

確かに ここにあるんだ
あるのが わかる

火を消すのか?

いつものように?

飲み込んで
歯を食いしばって

大量のジャンクフードと一緒に?
あるいは、
強い お酒 か


同時 に

生きる は 続いている

私は、生きて いる


今、この炎が必要なんだ

いま 私には、この炎が必要なんだ 

と、言ってみる?



あなたが、実際に誰かを
傷つける前に 

もし それが、不本意であると 気づいているなら

あるいは、いつも、関係ない誰かに悪態をついて
情けなくなる のを知っている のなら

あるいは、
いつも 目の前の そばに居てくれる存在を傷つけて
罪悪感がやってくるのを知っている なら


いま、自分をサポートすることが出来ないか? と
探すこと に興味がありますか

いつもとは 別の方法 を 試してみることに
興味はありますか 


例えば、

もし 
そこに
座布団があれば 
クッションでも (タオルだっていい)

それを、ちょうどいい場所に置いて

そこに、今 あなたの
怒りの 対象になっている 存在 を 座らせてみよう

それは、特定の人間 かもしれないし
もしかしたら、概念 かもしれないし
ある種の 名前のついた集団 かもしれない

なんでもいい

それを そこに置いて みよう

そして、そこへ向かって
あなたの 炎を 砲火 する

怒鳴ってみる 

拳で 殴って 
罵りの言葉を 放って欲しい

口は なるべく開けておいて (あなたの口の中を切らないように)

時々、呼吸をして (酸素は、あなたを助ける どんな時も)
自分の安全を確保して

そして、
そばに 怯える人がいないか 確認して
あなたの安心を確保して

いまは、誰も傷つかない 怪我しない
文字通り そんな環境を 作ろう

そして
思い切り、あなたの権利を行使しよう

あなたの怒りは、あなたのものだ

あなたの怒りに許可を出そう

「私は、怒っている」

と 目の前の座布団(に座っている存在)へ 言おう

いまは、伝わるように伝えよう

シンプル だよね

身体 の感覚に許可を出そう
身体 の衝動に 許可を出そう

あなたの あらゆる 表現に 許可を出そう 

自分自身の怒りの力に 触れよう

それとなって みよう

その怒り を 顔に持ってくると?

歯を剥き出して 鼻の穴が広がって 
恐ろしい形相 を いまは 許そう 

それとして 存在してみる

もし、自分の拳が、自分の太ももを打っているのに気づいたら、
座布団の方を打って

自分の身体を 差し出さない 方法を やってみよう

いまは 怒り そのものになる とき
怒られる方 からは降りて

口は、開けておいて
時々、呼吸して

もし、疲れ を 感じたら
一旦停止をして 呼吸しよう

自分のカラダを傷つける機会ではない


目の 力も使ってみよう

その対象 座布団を 目で 睨んでみよう
あるいは、
どんな あなたの目の使い方があるだろう

あなたの目 に 力があります
それを
思い出そう

鼻息も助けてくれるかも

出てくるもの
何であれ、ないことにしないで

狼のように 唸り声が 出てくるなら それも いい

鼻息 を 出そう

心拍 を 感じよう 

鼻水
よだれ

出てくるもの ないことにしないで

様々な 言葉 
汚いことば 
歯が浮くような ことば もあるかもしれない

口に出して 試してみよう
一つ 一つ

いま、自分の中のどんな 存在にも 居場所をあげよう

いまは、出てくるものはなんでも 存在して 
対象へ向かって 表現 することが出来る

十分に 時間を使おう 機会を使おう

悪態と 罵詈雑言と 不動明王ばりの逆鱗の表現 を
体験してみよう
味わい尽くすこと いま すごく大事だ

しばらくやったら
もしかしたら 

その座布団の対象へ、
もし、 要求 が あることに気づいたら 
それを 言ってみよう

私は、あなたに 〜〜 してほしい。

私があなたに言いたいのは、〜〜〜 だ。

と、伝えてみよう

なんども 言ってみることが出来る。

自分の ニーズに 触れてみよう
少しずつ

口に出して 試すかもしれない

言葉に まだならないなら 無理しないで

身体で 何かを体験しているはず 
それを優先しよう

呼吸 に気づこう
それで 十分

その いま 起こっていることに信頼をおこう

きょう すべてを やらなくていい
また 機会はいくらでも ある


そして、
もしかしたら

あなたが、今まで、自分自身の怒りと
どう付き合ってきたか
にも
思いを馳せて みることもできるかもしれない

あなたは、
自分自身の怒りを使って
自分を立ち上がらせた ことを思い出すかもしれない。

集団行動の中で、
あれ?何か違う気がする とき

どこか自分を不当に扱われた ような気がする とき

自分の境界線の内側へ、勝手に 土足で 侵入されている と感じたとき

かもしれない


はい と 手を挙げて
「私 意見があります」
「私 言いたいことがあります」

と、しっかりと 自分の主張を 相手に伝えた 
その経験を思い出すかもしれない


あなたには、
あなた自身の「怒り」の力 がある。

あなたは、あなたの「怒り」を 
自分のものとして使う
力を持っている。

そして、その力を使ってきた。

あなたは、その自分の力の強さをよく知っている。

だからこそ、その力で、自分にとって大切な存在たちを
焼き尽くしてしまうことのないよう
その使い方に苦心してきた。

葛藤してきた。

工夫してきた。

少なくとも 工夫しようとしてきた。

それを、認めよう。

あなたは 怒りを持っている
あなたは 怒り を使うことが出来る

あなたは、怒りを 安全に 出す ことが出来る


そして、
怒り と 要求 を 見分ける ことが出来る

あなたには、要求がある 
そして、
怒りが ある

そして、
怒りについて いくつかのエピソードを持っている
かもしれない

この私の怒りには、歴史がある と 言う
かもしれないね

それを、聴いてもらえる機会を
作ることも出来る

誰に 聴いてもらいたい?

別に 慰めが欲しいわけじゃない
同情もいらない

ずっと、たった一人で格闘してきた
あなたの怒りのドラマ 

安全に、初めて 誰かと 一緒に 見ることが
出来るかもしれない

それは、きっと いい機会だよ

そのドラマは、きっと 納得できるものだよ

もしかしたら、その時 あった
あなたの ニーズ に 触れるかもしれないね

怒りがもの凄過ぎて 「私」の ニーズに手が届かなかった
かもしれないね

そのニーズが あまりに ささやか だったのかもしれないね

ささやかだけど 手に取ってみると
確かさ を 感じるかもしれないね

いま 初めて 自分のニーズに 触れよう

そして それと共に 居る 感じを 十分味わおう
そこで 呼吸してみよう
そこで 目を使ってみよう 周りを見渡してみよう

なにが 目に入る?

どんな感じが する?

慌てないで 



怒り
と 同じくらい よろこび も 感じたい あなたを知っています。

怒り
と 同じくらい 無邪気にふざける あなたを知っています。

怒り
と 同じくらい 胸を熱くする あなたを知っています。

色とりどりの あなた が いることを知っています。

誰かに 誤解される恐怖を 取り除いて 
自分の怒り と 出会う 触れる 
それに 表現する 機会を 与える

同時に
自分自身の 自分の怒りへの誤解も ある でしょうか

それは、ただの悪者じゃないよ

あなたを 助けてきてる
あなたの 命を 多分 これまで 随分と救ってきてる

そんな、頼もしい 炎だよ

今まで、
生きてきて ありがとう
炎の使い手である あなた

確かに 手を焼く 相手だよね 
自分のもの(自分の怒り)なんだけど

だけど
随分あなたも熟練してるはずだよ

何年も一緒にいるからね


それを 確認しよう

もしかしたら、いつか 
セッションの場で
安全を確保して
あなたの 探求にご一緒出来たら
嬉しいです。

ありがとう




更新を通知する







個人セッションでお会いできたらうれしいです。



いつも読んでくださり、ありがとうございます。
よかったらぽちっと↓ お願いします。
ありがとうございます。


にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ
にほんブログ村







by masumihug | 2019-05-09 19:59 | 個人セッション
日常を
一旦停止して
ただ
自分自身とともに居る
やさしくやさしく 

厳しくする必要など
まったく ない 

急ぐ必要も ない

比べる対象も ないです

何かを達成しようとする必要もありません

こんなふうに、
自分自身と
「出会う」という方法があります。

「対話」する という方法があります。


もし、今まで
自分自身と戦っていたとしたら、

確かに、戦う というのも
出会い方の一つのあり方 ではあります

それにも一理ある

そして、
もしかしたら、そろそろ別の やり方の存在に
あなたは、気づいているのかもしれないです。

それが、あなたのニーズを満たすことに貢献すると
どこか知っているあなたもまた居ることに
気づいているかもしれません

ゲシュタルトの場は
実験の場です

試してみることができます

よろこんで 共に居ます
とても興味深く 共に居させていただきます


時に、自分自身に圧倒されるかもしれません。
どこから手をつけていいのか。
そもそも出会える相手なのか。(自分なんだけど)

今、すでに、どこかに触れています。
すでに、始まっているところからなら、たやすいです。

そして、
それは、あなたが今を生きていく時助けになります。

なんでかといえば、
自分を一番よく知っている人をチームメンバーに迎えていくプロセスだからです。

自分自身といいチームになる


自分自身と出会っていくことがそれに貢献します

自分のこと、

よーく知っているようで、

実はまだまだ見逃しています
見くびっているし
誤解している可能性があります。

どこへも行かず、
いまここで、
ゆっくりと時間を使って
やさしくやさしく 出会うことが出来ます。

自分自身の中に発見があるはずです。


起こってくること には 意味があります。
どんな存在にも セッションの場では 居場所があります。

どんな存在にも 表現する機会があって
それを聴いてもらえます

ちょっと待って タイム! も言えます

この機会に全部をやろうとする必要もなく
その日に出来る楽なところまでにして、また次もあるって
わかった状態で、ゆっくり出会うことが出来ます。

何も、やり損ねてはいない

ゲシュタルトのセッションは、
こんなアプローチです。

一口にゲシュタルトと言っても、いろんなゲシュタルトが世の中に存在しています。

少なくとも、珠美の作る(作ろうとしている)ゲシュタルトの場は、このようです。


どの人の中にも、必ず健全さがあります。
それは、信頼できるものです。
だから、私は、安心してファシリテートしています。



自分自身の敏感さを叩きのめすことなく、
それを、自分に備わる正確なセンサーとして信頼していけるよう

自分自身の恐れを、賢明さとしてチームとなっていけるよう

「そのままの私」に触れる瞬間をたくさん持てますよう
それは大きな力となります

あなたのその真面目さを、真摯さを、
自分自身の誇りに思えるよう

あなたのそのやさしさを、誰かに向けるように
ご自分自身へも向けることを思い出すよう

願いながら
ともにいます。

何より いま 生きているあなたが
すでにそのあらわれであるわけだから。

あなたの歴史 あなたの文化 
あなたの経験 あなたの知恵

その塊が あなた

お会いできたら 光栄です。



更新を通知する





個人セッションでお会いできたらうれしいです。



いつも読んでくださり、ありがとうございます。
よかったらぽちっと↓ お願いします。
ありがとうございます。


にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ
にほんブログ村







by masumihug | 2019-04-26 06:35 | 個人セッション

瀧さんみたいな人望

瀧さんが釈放された。

頑張れ!ダンボールに手書きの文字の
ボードを持参してメッセージを伝えようとしている人や
応援の言葉を投げかける人がいた。

必要とされている

今まで長く長く表現活動してきたことへの
賛同の表れなんだろうなと思う。

仕事関係者や、直接関わった人は、彼に対して
持っている印象はとても良くて、一致している。

人望の厚さを感じる。

おまけにご近所の評判も良いらしい。

そして、高校生の時からずっと一緒にいる
相棒さんが熱烈なツィートをしているのを見れば
この人が瀧さんにどれだけ支えられていたか分かる。

一方で、
瀧さんは、瀧さんをどう支えていたんだろう。

これは、芸能人だけの話じゃないと思う。

普通に社会を構成する人として、
周囲の信頼を得ていくこと、
自分自身が居やすい環境を作っていくこと。
あなたが居て欲しい って言われること。

これは、本当に大変なこと。

何が大変って、自分が自分と格闘すること。
自分が自分と折り合いをつけること。
だと、私自身は思う。

30代くらいの時に真剣に考えていたのは、
何か合法的に自分自身の抑えきれないエネルギーを
落ち着かせる薬ってないか?ってことだった。

大事な人と衝突してしまう
大事な関係を壊してしまう
ことで、手からこぼれて行ったものがたくさんあった

瀧さんと同列に語るには、全然レベルが違うんだけど

でも、瀧さんの人望を支えるものの一つに、
今回の問題になった薬の貢献があったのだったら?

って、
思わないこともない。

もちろん、
私は、薬物を推奨しているわけじゃない。

でも、
この薬のおかげで、
頑張りがきいた
疲労困憊するような現場でやさしさを維持できた
期待されている役回りを果たせた
面倒臭くならずに、丁寧に出来た
腐らずに居ることで、事態が好転した また 周囲が勇気づけられた

かもしれない

こんな人が場に一人居てくれたら、
本当に助かる
感謝される

逆に言えば、人はそんなに自分自身の肉体と精神を
高めに一致させて、良い状態で、一定には保てない

恐らくは、人生かけてそれを学んでいるんだから

だから、
薬を使うことで、人生の学びを
ショートカット出来ることは確かだとは思う。

ただ、人類の仕組みはとっても上手く出来ているから
やっぱりどこかで学んでいく時がくるように思う。

ショートカットしたつもりでも、カットした部分を
やはり端折ることは出来ないんだ。

私は、多くの人が、
自分自身の持て余すエネルギーとどうやって行けるか?
という探求を、人生でやっていると思っている。

多くの場合が、そのエネルギーと戦う、それを抑え込む、消す、ないことにする、
というアプローチを取る。

世に溢れているノウハウ本は、要はそういうことを書いているように見える。

そして、多くの人は、ドラッグへの抵抗はある。
どうするかというと、お酒、甘いもの、炭水化物 を摂取する。

私は、これを火消しと呼んでいる。

一瞬、火が消える。

火消しの方法は、他にもある。
自分のエネルギーの暴発が起こりそうな気配を感じたら、
別の強い刺激を注入すること
いわゆる、〜依存と言われている 
そういう方法。

激しいね

疲れる し、
後味は、とても似ている。


落語の「死神」を思い出す。
蝋燭の炎が消えると、その人の命が果てる。

この火消しは、小さな殺人とも言える。
自分で、自分自身を、ちょっとずつちょっとずつ殺している。

これは、悲しい。
これは、悔しい。

だから、時々、無性に腹が立つ。
でも、自分では、目の前の誰かに腹が立っていると勘違いしている。
実際のところ、腹が立っているのは、己のこの行為であったりする。


瀧さんのことは、瀧さんにしかわからない。

瀧さんにとっては、タバコの一服くらいの軽さのようにも見える。

でも、自分のことは、もっともよく知らないことであったりする。

それを知っていく過程が、人生だったりする。

そういう意味でも、
今回の瀧さんのことは、
物事を自分の延長上に感じさせてくれている。

「これは、大なり小なりわたしのことだ」と、
どこか、日本の人たちの胸の奥の方へ届いているような気がする。


合法的な薬うんぬん と、30代くらいの時に言っていた私自身は、
40歳を過ぎて、ゲシュタルトに出会って、
本当に助かった。

「ショートカットする薬はない」とわかったこと
遠回りに見えて、近道なこと
ゲシュタルトは、薬ではないが、その生きる時の道を行く乗り物である
ってことが、今、わかっていること です。

私を殺さない、そしてまた、ほかの誰かも殺さない 
やり方がありそうだとわかって来たのは
私にとっての朗報でした。

その乗り物は、好奇心で動く。
そして、私のエネルギーがエネルギー。笑

そして、そもそも、そのエネルギーの源に、こんな素朴な願いがあることがわかっています。

私は、コンタクトがしたい。
私は私と、そして、目の前の人と。

心で、声で、肌で、思考で、
どんな方法であっても良い
その時できる、最善の方法が見つかると信じている。

そんな瞬間が人生に持てる、ということが
わかって来ました。

これは、私のよろこび。


更新を通知する





個人セッションでお会いできたらうれしいです。



いつも読んでくださり、ありがとうございます。
よかったらぽちっと↓ お願いします。
ありがとうございます。


にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ
にほんブログ村







by masumihug | 2019-04-05 06:58 | 所感
初めて
令和とタイプしている。

これほど、フォントによって
印象が違う文字もないかもしれないと
今日、なんどもなんども繰り返し見た
ニュースの映像を見ながら思っていました。

NHKのニュースで、
官邸で取材していた方(高井正智さん)が言っていた言葉が
とても印象的だった。

菅官房長官が、令和の文字を掲げた時、
集まっているプレスの大勢の人たちの手が止まったと。

そんなことは、現場にいてとても珍しいことだと。

「一瞬の静寂」と言った高井正智さん。
ご自身もその場に居た一人として、
一斉に瞬間に起こったその静寂のその時に
何かを体験した。と、言わんばかりに、
高鳴る感じが、伝わってきた。

安倍首相の談話の中で、
長い日本の歴史の中で、変わっていくものがある一方で、
日本人の中に変わらずにある価値というものがある。と、
表現していた。

私は、その静寂の瞬間に起こっていたこともまた、
それと通ずるものがあると感じた。

「令和」と書かれた額が掲げられた時、
その場にいた皆が一斉に動きを止めたのは、
それは、ただの文字の羅列じゃないのを
私たちは、知っているからだと思う。

面構え、身体、ボディ、姿、を、見る必要がある。

更には、醸し出すエネルギーや、
纏っている景色のようなものまであるだろう。

だから、
その瞬間にその文字と出会っている。

どーんと、身体に感覚が起こってくる。のに気づく。

そして、己のそれに耳を澄ます。
聞いてみている。

それに、ちゃーんと時間と空間を取ること。

多分、高井さんが言っていた「静寂」の一瞬に
それぞれの人の中で起こっていたのは
そういうことだと思う。

それを私は想像して、本当に胸が震えた。

この出会った瞬間に、自分自身に起こること。
それに耳を澄ますこと。

ここに、実は、人間は、絶対の信頼を持っているんだと思う。
本来的に。
生き物として。

そして、日本人は、その信頼がとても篤いのだと
私は、思っているんだ。

そして、それを時々、言語化する。
語彙が豊富な人もいれば、そうじゃない人もいる。

だけど、なんであれ、今日は、
己の身体全体で、みんなが、それぞれに「令和」に
初めて出会った。

出会ってみる をやったと思う。

そして、割と、多くの人が、「うん、いいじゃない?」って
感覚を自分自身の身体で確かめたように思った。

典拠となったのが、万葉集ということで、初めての国書だということを聞いて
また、胸が熱くなった。

これは、少し、私の想像がたくましすぎるのかもしれないけれど、
長い長い戦争の影響がやっと終わりを告げて、
日本と日本人がようやく自分自身の誇りを取り戻し、さらに、
それを外へ表現することを自分に許した。
或いは、自分への許可として受け取った。

そんな気がした。

その誇りとするその質の、なんと繊細なことか。
なんと、奥ゆかしいことか。

あまりに、顕微鏡レベルなもので、そして、言語にし難いもので、
だけど、それは、確かに手応えとして掴んでいると言えるもので、
だから逆に、許可し難いものでもあったよね。と、誰かと言い合いたい感じもある。
けれど、今、いいんだよね。確かに、あるものね。と、言い合える感じがする。

確かに私は、感じている。
それ以上に誇張する必要もなければ、証明する必要もない。
それでいいじゃないか。

そんな感じがしています。

一月後の即位・改元に向けて、
良い土台が出来上がったなあと思えました。

生前退位というのは、いいものですね。

今日は、会った人に「おめでとうございます」という言葉が
自然に口をついて出てくる。相手の人も、自然にそれを受けて、返ってくる。

今日は、自分が日本人として生まれて良かった。
と、心から思いました。

理にかなっているものは美しい。
自然界とそっているものは、美しい。

日本人の身体の中には、そのセンサーが張り巡らされて
あるんだと思うんだ。

(あ、日本人だけじゃないとは思うけれどもね。)

その繊細さ、感受性のひだ、を、
常にONにしながら現代の日常を生きるとしたら
それは身体がいくつあっても足りない。ってことになる。

だから、
いい塩梅に、センサーをOFFにしたり、調整をする必要がある。

それは、調整であって、ダメ出しであるべきではない。

自分自身の繊細さや感受性、感性を、自分の誇りにしていく道がある。
良きものだと捉えて、選択的に使っていく道がある。
と、私は思っている。

ゲシュタルトの気づきのアプローチは、
その良いナビゲートをしてくれる。



更新を通知する



個人セッションでお会いできたらうれしいです。



いつも読んでくださり、ありがとうございます。
よかったらぽちっと↓ お願いします。
ありがとうございます。


にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ
にほんブログ村







by masumihug | 2019-04-02 06:48 | 所感
「誰かと居る」を学ぶ

これは、生きているあいだ中の
学びなのだろうと
想像しています。

苦学にすることも出来るし
拷問にする人もいるでしょう

自分独自のアートを編み出していくのもあれば

誰かのHow toを借りて、それで一生やり終えるのもありなのかもしれません

じゃあ、「生」が終わるとどうなるんでしょうね?


筋肉の緊張が、その人を形作っている
あるいは
その人が、自分のアイデンティティを維持するのに
特定の筋肉を、特定に緊張させている

とも、言えると思います。

そして、
その人が死を迎えると
つまり
筋肉が弛緩していく
その人は、キャラクターを一つ一つ解いていく

ということにも、なります。

それは、

一切の社会的な関わりから降りていく

呼吸が止まって
心臓が止まって
脳が、止まって

いく

アイデンティティが、解かれていく
いらなくなっていく

ここからは、
誰も証明出来る人はいないけれど

たった一人
死へ向かう探求をする

それまでは、「誰かと居る」為に築き上げたもの、
を、
全部下ろして
たった一人で、生まれて初めての「死」を探求する

いや、
もしかしたら、
生まれる前に出てきた世界へ戻る?
のなら知っているのかもしれない?

そして、寿命を全うするうちに
忘れてしまったその「一人」というところを通過するのだろうか?

この「死」への探求に、どっぷりと集中していける
誰に気兼ねなく
もう、なんの言い訳をする必要もないのだ

焼かれるまでの間
こんな時間帯があるような気がする

家族がいる人は、
こんな時周りに、泣いている人や
「目を開けて!」って身体を揺すられることがあるのかもしれないけれど
死への探求に集中している人のプロセスを邪魔する必要はない気がする

ただ、静かに 
ただ、共にそこに居て
この人の探求をする空間を共にするということを
してみたい

私が、その本人であるのなら、
そんな死と死の後の時間帯を過ごせるのなら
なんと贅沢なことかと思う。

死へ入っていくその人の周りの空間を埋めずに
その静寂を埋めずに
時間を埋めずに
邪魔せず
ただそこに居ることが出来る人たちが
共に居てくれたら それは本当に幸せだな
それは、ものすごく成熟した場面だな

ただ、何れにしても
それは、どう生きたか によるのだろうな。

どう生きたか
とは、

何に価値を置いて
そして、自分にはどう出来たか?
他にどんな可能性があるか?
どう関われるか?

その模索の足跡の一つ一つ
だな

うん

はぁ〜

こきゅう〜 をしています

今の私はこんなふうに
考えています




更新を通知する



個人セッションでお会いできたらうれしいです。



いつも読んでくださり、ありがとうございます。
よかったらぽちっと↓ お願いします。
ありがとうございます。


にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ
にほんブログ村







by masumihug | 2019-03-07 01:03 | 所感

わたしを知って、わたしを生きる。神奈川県藤沢市にて、心理セラピーを行っています。ホームページこちらです。 https://kiku-therapy.jimdo.com/


by masumihug