人気ブログランキング |

タグ:生きる意味 ( 3 ) タグの人気記事

前回の記事から
またちょっと付け足します。

もう一度、意味について。

だから、「生きるに意味はない」で、
自由になった私ですが。。。

じゃあ、本当に意味がないの?と問われたら、

そうじゃない気がします。

意味はないし、そして、意味はある。

恐らく、その生きているということ自体に
意味があると、感じるんです。

「よりよく生きたい」と、一応願って
工夫したり、紆余曲折したりします。
するかもしれません。

そして、事実、主観として、いい時も悪い時もまあまあの時もあって、
そして、そのどのフェーズを切り取っても、その時、その体験している
こと自体が、「生きている(こと自体に)意味(がある)」と、
今は、感じています。

長い、連続物の記事になりました。

私のことを知っていただく手がかりになったとしたら
うれしいです。

お会いする機会があったら、
ぜひ、あなたの感じを聴かせてください。

お聴きしたいです。

読んでくださりありがとうございます。







いつも読んでくださり、ありがとうございます。
よかったらぽちっと↓ お願いします。
ありがとうございます。





by masumihug | 2016-04-25 06:50 | 私のこと

強烈なメッセージ

前回の記事の続きのお話し
になると思います。

「生きるに意味などない」
という言葉自体
何か、読みようによっては諦めみたいに響くかも
しれませんが、逆です。

地に足がついて、
そして、同時に、
もっともっと神秘を感じていました。

『わからない』を、受け入れていました。

先に言っておきますが、
私は、特段信仰している宗教などはありません。
また、いわゆる「スピ系」とは、距離を置きたいというスタンスです。

そして、続けます。

ここに生きていることを、
事実として、
とても実感しました。

この地球がものすごいスピードで自転していること。(約時速1700kmとか)
それでも、振り落とされることがないこと。
事実として。
ちょうどよく重力が働いていること。
ちょうど都合よく大気圏があってそこに酸素があること。
ちょうどよく太陽の周りを回って、公転して、四季があること。
しかも、極端すぎない温度の範囲で変化する。

これらの、ちょうどいい事実は、書き連ねたらキリがない。

だけど、これらが誰かがデザインしたとしか考えられないほど
絶妙なバランスで維持されている。

それが、誰であっても、誰でなくてもいいです。

だけど、これ以上に「だから、生きろ!」という強烈なメッセージが
あるだろうか。と、感じるんです。

なんだか、皮肉だし、矛盾かもしれないけれども、
これだけ強烈に、生きるお膳立てがされている舞台なのだ。と、
感じるワケです。

「生きるに意味」はないけど、
「生きることが大前提」になってるという事実に、
気づきました。

これだけ懇切丁寧に人が生きられるようになっている。

さっき書いた、地球の自転や公転や重力や酸素や温度や
すべてのことがぴったりのところで維持されていて、
それがほんのすこしでもずれたら、今生きている人たちの
命は、ひとたまりもなく消えてしまう。

ものすごいバランスの上に、
私たちの命は預けられている。そして、私たちは、預けている。

そして、あろうことか、このバランスには
何の保証もないんです。

この世界自体何の保証もないのです。

そして、保証のないところを私たちは信じて、命を預けちゃっています。
すべての人間が。

預けちゃってよくて、
誰も、理由など必要としていない。という事実。

驚きです。

科学も、時々「これはそういうもの」として、
理論を積み上げていくことがあると思います。

科学者は、突き詰めれば突き詰めるほど神秘に
出会っていったはず。

科学者は、最も科学的で、
そして、実は最も「わからない」を
受け入れている人たちなんだろうな、と、想像するんです。

この地球(或いは宇宙)と人間の関係性自体が、
こうなんです。

だから、それを、自分に当てはめると、
もう、存在しちゃってる。

それが、事実。

そして、その土台の上でどう過ごすのかは、
まったくあなたに委ねられているんです。

すごい仕組みです。
壮大で、神秘的で、合理的で、
愛があって、責任があります。

いちいちびっくりです。

というのが、
私の考えの土台にあります。





いつも読んでくださり、ありがとうございます。
よかったらぽちっと↓ お願いします。
ありがとうございます。





by masumihug | 2016-04-25 06:26 | 私のこと

使命?

「生きる(ことに)意味」などないんだ。
と、はたと気づいた時がありました。

それは、2007年ごろでした。

そんなに前でもないし、
最近でもないですね。

そうです、それまで、私は、
私が生きる「意味」とか「使命」があると
思ってて。。

それこそ、中2病なんて今は言うけど、
(それにしても、この表現絶妙!ですね 笑)
そんな多感な頃には、
生きる意味が解らないのに、どうやって生きろと言うんだ!と、
怒っていた。

つまり、この言葉から分かるように
誰かによって「生きろ」と言われたり、
誰かによって「意味」や「使命」が与えられている
という、感覚を無意識に前提していたのだと想像します。

主体性が、ないワケですね。

社会人になっても、
問い方は「意味があるはずだ」
「私だけの意味が!」
へ、変わり、
「その与えられた使命」を
見つけるんだ!というような、
感じがあったように、
今となっては、うっすらとした記憶。なのだけど。
思い出す。

その時には、結構強烈にありました。


2003年頃が私自身の生き方や
考え方を意識してシフトした時期に当たり、
正確に言えば、シフトしようとしていた時期だけど、
自分探求を、頑張っていた。

その探求の目的は、
「生きる意味」「私の使命」を見つける。
だったように思う。

何か、それが書かれた、私の名前入りの、私の為だけの、
アカシックレコードのようなもの、見つけられると信じていた。

とてもロマンチックだ。

そして、

同時に、虚しさを抱えていました。

「人生というのは、自作自演の田舎芝居」
「死ぬまで暇つぶし」
こんな言葉が、頭の中にありました。

そんな、期待と絶望を繰り返すうち、

「自分が生きることに意味などないんだ!」と、
という言葉が、急にやってきた。というか、
気づいた。

同時に、
「意味は、(もし欲しいなら)自分で作るんだ」
「生きるっていうのは、自分で作る(創る)ものなんだ」
「(勝手に)作っていいんだ!」

と、言葉がやってきて、
とても自由な感覚になったのを覚えています。

とても解放されたような感覚でした。

そして、
「生きることに(予め)意味などない」ということを
前提にしてみると、その方が、
体験している事実と辻褄が合ってくることを感じました。

すごく、楽になりました。

その中には、
もう自分に嘘をつかなくていい。
過度な期待をしなくていい。
今の自分でいい。

そんな安堵感も含まれていました。

そして、自分の好きなように描けばいい。

とても、広いスペースが現れたような感覚になりました。
うれしかった。

『強烈なメッセージ』へ、
つづきます。



いつも読んでくださり、ありがとうございます。
よかったらぽちっと↓ お願いします。
ありがとうございます。




by masumihug | 2016-04-24 06:00 | 私のこと

わたしを知って、わたしを生きる。神奈川県藤沢市にて、心理セラピーを行っています。ホームページこちらです。 https://kiku-therapy.jimdo.com/


by masumihug