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瀧さんみたいな人望

瀧さんが釈放された。

頑張れ!ダンボールに手書きの文字の
ボードを持参してメッセージを伝えようとしている人や
応援の言葉を投げかける人がいた。

必要とされている

今まで長く長く表現活動してきたことへの
賛同の表れなんだろうなと思う。

仕事関係者や、直接関わった人は、彼に対して
持っている印象はとても良くて、一致している。

人望の厚さを感じる。

おまけにご近所の評判も良いらしい。

そして、高校生の時からずっと一緒にいる
相棒さんが熱烈なツィートをしているのを見れば
この人が瀧さんにどれだけ支えられていたか分かる。

一方で、
瀧さんは、瀧さんをどう支えていたんだろう。

これは、芸能人だけの話じゃないと思う。

普通に社会を構成する人として、
周囲の信頼を得ていくこと、
自分自身が居やすい環境を作っていくこと。
あなたが居て欲しい って言われること。

これは、本当に大変なこと。

何が大変って、自分が自分と格闘すること。
自分が自分と折り合いをつけること。
だと、私自身は思う。

30代くらいの時に真剣に考えていたのは、
何か合法的に自分自身の抑えきれないエネルギーを
落ち着かせる薬ってないか?ってことだった。

大事な人と衝突してしまう
大事な関係を壊してしまう
ことで、手からこぼれて行ったものがたくさんあった

瀧さんと同列に語るには、全然レベルが違うんだけど

でも、瀧さんの人望を支えるものの一つに、
今回の問題になった薬の貢献があったのだったら?

って、
思わないこともない。

もちろん、
私は、薬物を推奨しているわけじゃない。

でも、
この薬のおかげで、
頑張りがきいた
疲労困憊するような現場でやさしさを維持できた
期待されている役回りを果たせた
面倒臭くならずに、丁寧に出来た
腐らずに居ることで、事態が好転した また 周囲が勇気づけられた

かもしれない

こんな人が場に一人居てくれたら、
本当に助かる
感謝される

逆に言えば、人はそんなに自分自身の肉体と精神を
高めに一致させて、良い状態で、一定には保てない

恐らくは、人生かけてそれを学んでいるんだから

だから、
薬を使うことで、人生の学びを
ショートカット出来ることは確かだとは思う。

ただ、人類の仕組みはとっても上手く出来ているから
やっぱりどこかで学んでいく時がくるように思う。

ショートカットしたつもりでも、カットした部分を
やはり端折ることは出来ないんだ。

私は、多くの人が、
自分自身の持て余すエネルギーとどうやって行けるか?
という探求を、人生でやっていると思っている。

多くの場合が、そのエネルギーと戦う、それを抑え込む、消す、ないことにする、
というアプローチを取る。

世に溢れているノウハウ本は、要はそういうことを書いているように見える。

そして、多くの人は、ドラッグへの抵抗はある。
どうするかというと、お酒、甘いもの、炭水化物 を摂取する。

私は、これを火消しと呼んでいる。

一瞬、火が消える。

火消しの方法は、他にもある。
自分のエネルギーの暴発が起こりそうな気配を感じたら、
別の強い刺激を注入すること
いわゆる、〜依存と言われている 
そういう方法。

激しいね

疲れる し、
後味は、とても似ている。


落語の「死神」を思い出す。
蝋燭の炎が消えると、その人の命が果てる。

この火消しは、小さな殺人とも言える。
自分で、自分自身を、ちょっとずつちょっとずつ殺している。

これは、悲しい。
これは、悔しい。

だから、時々、無性に腹が立つ。
でも、自分では、目の前の誰かに腹が立っていると勘違いしている。
実際のところ、腹が立っているのは、己のこの行為であったりする。


瀧さんのことは、瀧さんにしかわからない。

瀧さんにとっては、タバコの一服くらいの軽さのようにも見える。

でも、自分のことは、もっともよく知らないことであったりする。

それを知っていく過程が、人生だったりする。

そういう意味でも、
今回の瀧さんのことは、
物事を自分の延長上に感じさせてくれている。

「これは、大なり小なりわたしのことだ」と、
どこか、日本の人たちの胸の奥の方へ届いているような気がする。


合法的な薬うんぬん と、30代くらいの時に言っていた私自身は、
40歳を過ぎて、ゲシュタルトに出会って、
本当に助かった。

「ショートカットする薬はない」とわかったこと
遠回りに見えて、近道なこと
ゲシュタルトは、薬ではないが、その生きる時の道を行く乗り物である
ってことが、今、わかっていること です。

私を殺さない、そしてまた、ほかの誰かも殺さない 
やり方がありそうだとわかって来たのは
私にとっての朗報でした。

その乗り物は、好奇心で動く。
そして、私のエネルギーがエネルギー。笑

そして、そもそも、そのエネルギーの源に、こんな素朴な願いがあることがわかっています。

私は、コンタクトがしたい。
私は私と、そして、目の前の人と。

心で、声で、肌で、思考で、
どんな方法であっても良い
その時できる、最善の方法が見つかると信じている。

そんな瞬間が人生に持てる、ということが
わかって来ました。

これは、私のよろこび。


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by masumihug | 2019-04-05 06:58 | 所感
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去年(2015年)の11月28日の記事を
再掲します。

久しぶりに読んで、
今も、「まったくその通り」と
思いました。

ちょこっと分かりにくい表現だけ
手直ししました。

***

人生と、仲良くなれた。

自分にとって、
ゲシュタルトって、
端的に言うと、何だろう?って
考えていました。

で、「人生と仲良くなれた」
という言葉が、出て来ました。

そのココロを、
書いてみます。

それ以前のわたしにとって「人生」っていうのは、
近寄り難く、
腰が引けるものだったような気がします。

わたしの横を大きな河が、ゆったりと、
淡々と、流れていた。

わたしは、岸にいて、その大きさ、
ゆったりだけれども確実なその流れに、
圧倒されるばかりだった。

今思い返すと、そんな光景が見えてくる。

「私」と「私の人生」の、
その当時の関係。

「人生」なんて言葉も、
軽々に使うことは出来なかった。

ゲシュタルトを知って、
ワークを重ねていくにつれ、
「人生とは、体験することだ」と
実感を伴って、知った。

一瞬一瞬に居て、
そこに、十全に関わる。

そして、振り返ると、
一瞬一瞬の点が、連なって、
線が出来ている。

わたしは、
生まれてから死ぬという
直線の上に居ると思っていたけど、
そうではなかった。と、気づいた。

わたしの前には、線はない。

瞬間瞬間に
十全に居る、
体験する、そして、味わう

「人生」とは、
瞬間瞬間の体験、選択、その連続したもの、
なのだ。
と、分かってきた。

瞬間瞬間に居るために、

『今ここ』で、
目の前のことに関わるという
姿勢を、
体験的に学んだ。

ゲシュタルトセラピーには、
「今ここ」へ戻してくれる
様々なアイデアがある。

一つは、身体を入り口にすること。

身体感覚は、嘘偽りがない。

そして、そこには必ず、(だいたい)
メッセージがある
ということを、知った。

身体を通じて、

自分の中の自分と対話をしていくことができる。

自分の中の自分は、
不思議と、コレ!という、その時の最善の答えを
持っている。頼もしい存在だと気付いた。

自分の中に相談相手がいる、
というのは、
目から鱗であったが、
これほど、安心することはない。

次第に、「人生」が、わたしに優しくなった。
わたしは、恐る恐る人生に近づいていった。

いや、実際、
「人生」から離れたことなど、
一度だってないのだ。けれど、

感覚として、そう感じるのだから、
私にとっての真実は、そうなのだ。

そして、実際に起こっていたのは、
わたしは、わたしと、仲良くなった。
ということだった。

わたしは、いつの時点かで、
自分を嫌いになり、
自分で居ることに嫌気がさしていて、
「死」のその時まで、
「時間を潰す」と、思っていた。

何をしても、自作自演の田舎芝居。
と、感じていた。

これは、好きになれない脚本を渡されて、
いつまでたってもしっくりこない役を、
いやいや演じる。そんな感覚があった。

ゲシュタルト以降は、
脚本も、役も、ない。

自分自身でよかった。
すーすーする感じは、あったけれど、
その手持ち無沙汰感も、新鮮であった。

わたしは、自由、だった。

同時に、責任があり、だけど、愛、があった。

拠り所、よすがのない感じが一瞬は
したのだけれど、
そんな時、自分自身に聞いて、耳をすませば、
身体の中を丁寧にさぐれば、
だいたい(必ず)、今、自分に何が起こっているのか、
そして、どうしたいのか、
で、何をするのか、何を言うのか、
それが、あった。

しかも、それは、その時にぴったりだった。

一度その言葉を掴めたら、
根拠なく、確信がある。

(ああ、なるほど、恐らくそれが「愛」というスペースから
出てくるんだな、と、想像した。)

(以前は、「恐怖」というスペースから
様々な指示が「私」へ出されていた。)

何が起こったかと言えば、
人生の責任を自分に引き寄せて、
人生の主体者を自分に据えていた。

ゲシュタルトセラピーのワークを受けることで、
その練習をしていたのだった。

ゲシュタルトセラピーは、
セラピーとは言うけれど、
治療モデルと言うには、少し違う感じがある。

プラクティスモデル、
練習や学習、実験、実践モデル、と言う方が、
わたしにはしっくりくる。

そして、ワーク(セラピーのセッション)で、
その練習をしていると、
結果的に、セラピーになっている。
それは、何より確実なセラピーである。

人生を、自分の責任において選択していく
その覚悟、或いは、手放し感、
その両方に、親しんでいく。

いつしか人生という大きな河へダイブする勇気が
備わっている自分に出会う。

これは、ちょっと、わぉ!なことだ。

「ゲシュタルト的な気づき」の練習は、
セラピーにもなり得る、し、そして、
同時にコーチングでもある。と言える。

ワークを終えると、
エネルギーが湧いている、
パワーがこの手に戻っているのがわかる。

自然と、歩き出している。

アタマと、カラダと、心、魂と言ってもいいかもしれないが、
すべてがひとまとまりとなって、「今ここ」の状態で
事に当たる。

これは、非常に頼もしい感じがする。

そして、人生と仲良くなった。
人生を今、生きている。と言えるようになった。

今となっては、当たり前のこの感覚。

そして、やっぱり、時々わからなくなるとき、
わたしは、ワークを受ける。

そして、そんな場がある、というのは、
わたしにとって、とても、いいことだ。
と、思っています。

そして、私自身が誰かのそんな場所で在りたい。
そうで在れたら、なにより幸いだと思っています。

そんな、想いを持って、セッションをやっています。

お会いできたらうれしいです。
ありがとう。


***



〜個人セッションでお会いしたいです〜

120分間、自分自身に最大の興味と関心を向ける
あなたのための時間です。
あなたがあなたと出会っていく時間になります。

 



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by masumihug | 2016-11-06 15:40 | セラピーのご案内
前回の記事から
またちょっと付け足します。

もう一度、意味について。

だから、「生きるに意味はない」で、
自由になった私ですが。。。

じゃあ、本当に意味がないの?と問われたら、

そうじゃない気がします。

意味はないし、そして、意味はある。

恐らく、その生きているということ自体に
意味があると、感じるんです。

「よりよく生きたい」と、一応願って
工夫したり、紆余曲折したりします。
するかもしれません。

そして、事実、主観として、いい時も悪い時もまあまあの時もあって、
そして、そのどのフェーズを切り取っても、その時、その体験している
こと自体が、「生きている(こと自体に)意味(がある)」と、
今は、感じています。

長い、連続物の記事になりました。

私のことを知っていただく手がかりになったとしたら
うれしいです。

お会いする機会があったら、
ぜひ、あなたの感じを聴かせてください。

お聴きしたいです。

読んでくださりありがとうございます。







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by masumihug | 2016-04-25 06:50 | 私のこと

強烈なメッセージ

前回の記事の続きのお話し
になると思います。

「生きるに意味などない」
という言葉自体
何か、読みようによっては諦めみたいに響くかも
しれませんが、逆です。

地に足がついて、
そして、同時に、
もっともっと神秘を感じていました。

『わからない』を、受け入れていました。

先に言っておきますが、
私は、特段信仰している宗教などはありません。
また、いわゆる「スピ系」とは、距離を置きたいというスタンスです。

そして、続けます。

ここに生きていることを、
事実として、
とても実感しました。

この地球がものすごいスピードで自転していること。(約時速1700kmとか)
それでも、振り落とされることがないこと。
事実として。
ちょうどよく重力が働いていること。
ちょうど都合よく大気圏があってそこに酸素があること。
ちょうどよく太陽の周りを回って、公転して、四季があること。
しかも、極端すぎない温度の範囲で変化する。

これらの、ちょうどいい事実は、書き連ねたらキリがない。

だけど、これらが誰かがデザインしたとしか考えられないほど
絶妙なバランスで維持されている。

それが、誰であっても、誰でなくてもいいです。

だけど、これ以上に「だから、生きろ!」という強烈なメッセージが
あるだろうか。と、感じるんです。

なんだか、皮肉だし、矛盾かもしれないけれども、
これだけ強烈に、生きるお膳立てがされている舞台なのだ。と、
感じるワケです。

「生きるに意味」はないけど、
「生きることが大前提」になってるという事実に、
気づきました。

これだけ懇切丁寧に人が生きられるようになっている。

さっき書いた、地球の自転や公転や重力や酸素や温度や
すべてのことがぴったりのところで維持されていて、
それがほんのすこしでもずれたら、今生きている人たちの
命は、ひとたまりもなく消えてしまう。

ものすごいバランスの上に、
私たちの命は預けられている。そして、私たちは、預けている。

そして、あろうことか、このバランスには
何の保証もないんです。

この世界自体何の保証もないのです。

そして、保証のないところを私たちは信じて、命を預けちゃっています。
すべての人間が。

預けちゃってよくて、
誰も、理由など必要としていない。という事実。

驚きです。

科学も、時々「これはそういうもの」として、
理論を積み上げていくことがあると思います。

科学者は、突き詰めれば突き詰めるほど神秘に
出会っていったはず。

科学者は、最も科学的で、
そして、実は最も「わからない」を
受け入れている人たちなんだろうな、と、想像するんです。

この地球(或いは宇宙)と人間の関係性自体が、
こうなんです。

だから、それを、自分に当てはめると、
もう、存在しちゃってる。

それが、事実。

そして、その土台の上でどう過ごすのかは、
まったくあなたに委ねられているんです。

すごい仕組みです。
壮大で、神秘的で、合理的で、
愛があって、責任があります。

いちいちびっくりです。

というのが、
私の考えの土台にあります。





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by masumihug | 2016-04-25 06:26 | 私のこと

使命?

「生きる(ことに)意味」などないんだ。
と、はたと気づいた時がありました。

それは、2007年ごろでした。

そんなに前でもないし、
最近でもないですね。

そうです、それまで、私は、
私が生きる「意味」とか「使命」があると
思ってて。。

それこそ、中2病なんて今は言うけど、
(それにしても、この表現絶妙!ですね 笑)
そんな多感な頃には、
生きる意味が解らないのに、どうやって生きろと言うんだ!と、
怒っていた。

つまり、この言葉から分かるように
誰かによって「生きろ」と言われたり、
誰かによって「意味」や「使命」が与えられている
という、感覚を無意識に前提していたのだと想像します。

主体性が、ないワケですね。

社会人になっても、
問い方は「意味があるはずだ」
「私だけの意味が!」
へ、変わり、
「その与えられた使命」を
見つけるんだ!というような、
感じがあったように、
今となっては、うっすらとした記憶。なのだけど。
思い出す。

その時には、結構強烈にありました。


2003年頃が私自身の生き方や
考え方を意識してシフトした時期に当たり、
正確に言えば、シフトしようとしていた時期だけど、
自分探求を、頑張っていた。

その探求の目的は、
「生きる意味」「私の使命」を見つける。
だったように思う。

何か、それが書かれた、私の名前入りの、私の為だけの、
アカシックレコードのようなもの、見つけられると信じていた。

とてもロマンチックだ。

そして、

同時に、虚しさを抱えていました。

「人生というのは、自作自演の田舎芝居」
「死ぬまで暇つぶし」
こんな言葉が、頭の中にありました。

そんな、期待と絶望を繰り返すうち、

「自分が生きることに意味などないんだ!」と、
という言葉が、急にやってきた。というか、
気づいた。

同時に、
「意味は、(もし欲しいなら)自分で作るんだ」
「生きるっていうのは、自分で作る(創る)ものなんだ」
「(勝手に)作っていいんだ!」

と、言葉がやってきて、
とても自由な感覚になったのを覚えています。

とても解放されたような感覚でした。

そして、
「生きることに(予め)意味などない」ということを
前提にしてみると、その方が、
体験している事実と辻褄が合ってくることを感じました。

すごく、楽になりました。

その中には、
もう自分に嘘をつかなくていい。
過度な期待をしなくていい。
今の自分でいい。

そんな安堵感も含まれていました。

そして、自分の好きなように描けばいい。

とても、広いスペースが現れたような感覚になりました。
うれしかった。

『強烈なメッセージ』へ、
つづきます。



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by masumihug | 2016-04-24 06:00 | 私のこと

わたしを知って、わたしを生きる。神奈川県藤沢市にて、心理セラピーを行っています。ホームページこちらです。 https://kiku-therapy.jimdo.com/


by masumihug