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沈黙とともに歩く



「ゲシュタルトの気づき」
をもっともっと深めるため、

自分自身を観察対象として、
安全に実験をしてみる場として、

大好きな探求を心ゆくまで堪能するため、

また、

クライアントさんと分かち合う時間を
もっともっと豊かなものにするため、

自分自身のセラピストとしての在り方を
磨くため、

学びの機会を自分自身に与えています。

約3年ほど続く、スタディーグループに属しています。

私がもっとも真似したい、
出来ることなら私の身体にインストールしたいと思う
先生がリードする合宿形式のリトリートに
年に2回参加しています。

私自身の変容を実感しています。

この写真は、
合宿2日目の朝の様子。

サイレント・ウォークの様子です。

沈黙とともに歩きます。
一瞬一瞬とともに居て、気づきます。

そして、
時々歩くのをやめて、その場に留まります。

今、何に気づいている
今、何を体験しているか
呼吸は、どうか。

外で、歩きながらする
瞑想のようですね。

やがて、自分自身の身体の
中を、風が通り抜けていく
感覚を覚えました。

その日のプログラムの
良いウォーミングアップになります。



〜個人セッションでお会いしたいです〜

120分間、自分自身に最大の興味と関心を向ける
あなたのための時間です。
あなたがあなたと出会っていく時間になります。

     




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by masumihug | 2017-10-02 18:27 | 日記

自分の席に座る

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一日に何度か、
「自分の席に座る」という
ことをします。

それをして初めて、
何かを始められる自分で
あるように感じます。

「瞑想」を習慣にされている方も多いと思います。
少し似ているかもしれないです。

私にとっては、
自分自身の三つの領域(*)が、
ひとまとまりになっていくのを感じられる
ルーティンみたいな感覚があります。

一番の恩恵は、
空の空間が空くこと。

空という字が三つ並びましたが。笑

それは、感覚的なものではありますが、
身体の中に、アタマの中に、
カラダの周囲に、スペースが空く感覚があります。

自分の胸の前辺りに作業スペースが空くような
感じでもあります。

「さあ、何が入ってきてもいいよ」というような。

それは、地に足つく感じでもあります。
頼もしさ、でもあります。

そして、ここまでのプロセスは、
文字通りルーティン化しているようで、

その空間が空くと即座に、
そこへポンと何かが入ってくることもあります。

なので、
終わった時に、「あぁ、そうか〜。。」というような
発見がやってきたり、
「大事な忘れていたこと」を思い出すこともよくあります。

そんなことが、起こります。
フレッシュに、何かに取り掛かかろうとしている自分にも気づきます。

(*)三つの領域とは、
ゲシュタルトの用語で言うところの
内部領域(身体感覚)、外部領域(五感)
そして、中間領域(思考)です。

ほんの5分。
長くても15分ほどです。

私が、ゲシュタルトにおいて自分の先生と勝手に
定めている方の言葉を借りると、
それは、スノードームに例えられます。

雪や塵のようにカラダの内外に浮遊している断片が、
静かに静かに、地面へ降りていく様です。

それは、思考の領域の断片であることが多い
かもしれません。(思考を悪く言うつもりはありません。)

パラパラ、チラチラしたものがすべて地面に降りると、
クリアな空間が出来上がっています。あの感じですね。

自分の席に座るとき、
ツールにしているものが
いくつかあります。

坐骨がマットや座布団、床に接する感覚などの身体感覚。
そして、ある特定の砂浜、私の大好きな場所であって
私の土台であることを思い出させてくれる象徴風景なのですが、
そのイメージ。
そして、呼吸です。

これら、自分の席にふわっと降りる為のハンディーな道具は、
これからも増えていくかもしれません。
(身体の部位や呼吸は、いつも持ってるワケだから
文字通りハンディーですよね。笑 
イメージだっていつもアタマの中に格納されています。)

いくつか道具があれば、
環境を問わず、条件を問わずに、
「自分の席」に座ることで得られる境地を
自分自身に招くことが容易になります。

その恩恵、
具体的に言うならば、
私にとっては、

日常における休憩場所、または一時避難場所になり得ます。
野生動物の巣のような、安心して毛づくろいができる場所。でもあります。

私が、私を思い出す。
私が、私にくつろぐ場所。
安心して、呼吸ができる場所。
とも言えます。

誤解を恐れず言えば、
「重力と空気があるという恩恵」を心から感じる時もあります。

私は、クライアントさんには「ホームポジション」と言ったりします。
戻る場所です。
(セッションの中で、こんな瞬間がクライアントさんに訪れることが
あります。
体感で知ることは、本当に宝だと思います。)

ちょうど柳の木に似ています。
柳はしなやかでものすごく揺れます。そして折れることなく復元します。

「戻る場所を知っている」しかも、体験的に。
実は、ものすごく大事なことだと思っています。

人生で少しの冒険へダイブするということが選択肢に入ることを
許すことにもつながるとも言えるでしょうか。

人生をやっていくって、予期せぬことの連続で、
そんなことは分かっているけど、やっぱりその度びっくりします。笑

そんな、衝撃の瞬間でも、呼吸くらいは出来ると思い出すことができます。

呼吸ができれば、そこに物理的に座る場所がないとしても、徐々に、
自分自身が自分の席に座っていくのを感じます。

一旦自分の席に座ってから、
その状況を眺めて見ると、さっきまで見えていたものとは、
もうちょっと違う景色に見えてくることがあります。

「ふんふん、それで、ここはどうなっているのかな?」
より具体的に、よりリアリティに近寄ります。

よく見てみたら、
自分に、新しい色を加えるような、それが意外と似合う色だって
発見するようなよろこびだったりします。

その逆を発見して、それを止める選択へつながっていくこともあります。

「自分の席に座る」
こんなに小さな一手間なのだけれど、
奥深いものがあります。
恩恵は、大きいのです。

臆病なくせに、同時に、人生を逃さずに生きたいと願う、
欲張りな私には。

「自分の席に座る」ご興味ありますか?
ご一緒にいかがですか?


*写真は、うちの猫のコタくん。
私が自分の席に座るをやっている時、
時々やってきます。足の間にちょうど良く
収まっていますね。笑



〜個人セッションでお会いしたいです〜

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by masumihug | 2017-05-20 22:49 | 私のこと

龍口寺

画像は龍口寺ウェブサイトより


ところで、龍口寺はご存知でしょうか。

私の地元、藤沢にあるお寺です。

江ノ電の江ノ島駅のすぐそばにあって、

ちょうど、鎌倉行きの江ノ電が、道路へ出てくるところにあります。


先日、ふらっと散歩の途中に日除けに入りまして、
本堂でお参りし、そのまま上がらせていただきました。


外の暑さが嘘のような涼しさと、仄暗さと、静けさと、
広い開口部から森の緑が目に優しく、また外のどこからか
小さく水の流れる音も聴こえてきます。


そのまま畳に横になり、しばらく眠りました。


雲水さんたちも優しく何も言わずいてくれます。
なんとも気持ちの良い瞑想的な空間でした。


身近な存在のお寺ではあるけれど、

こんなふうに過ごしたのは初めて。


そもそも、なんでここのお寺へ吸い込まれるように

入ったのか、よくわからないのだけど、

龍口寺山門前の階段へ足を一歩かけのぼり始めた
ところで、背中から涼しい風が追い越して行きました。

風の通る道になっているみたい。

とぉっても涼しい風に、背中を押されたみたいです。


ここのお寺は、

きっと、良く出来てる。


本堂の畳に座って、呼吸していると、

安心して、自分自身が今感じている感覚と一緒に
居られます。


それでいて、五感も外へ向かって感度良く
開いていることに気づきます。

微細な物音も拾ってしまうマイクのよう。


ここに身を置き、呼吸をしていると、

身体の中、アタマの中に、
この部屋のように広いスペースが出来ます。


そして、やがて、

やはりこの部屋のように、

身体やアタマにいい風が通り、
ひらめきや発見の種がポンと飛び込んで
来そうな予感がしてきます。


何時間でもいられそうです。


そして、しばらくここで過ごした後、
外へ出てみると、
暑さの疲れは癒されて、
心身の身軽さを実感します。


世界がクリアに新鮮に見えています。


自分が、体験にオープンでいることに
気づきます。


今なら、何と出くわしたって応答できます。
そんな気分です。


この境地をいつまでも保存したいと感じます。


この境地、

ここへ行かなければ、それは味わえないんでしょうか。


そんなことはないと思います。


確かに、ここは特別な場所。

だけど、


ゲシュタルトの、ベーシックプラクティスの後や、
気づきのコンティニュアム、あるいは、
ハーモニー体操も、

辿り着く先は同じ。


そして、わたしは、こんな境地になれる方法や場所を、
ずっとずっと探してきたなぁと、今、思っています。

それは、長くそうじゃなかったからに

ほかならない。


どうしたら、刻々と移ろっていく自分の内側を無視せず、また、凌駕されず、

受け取り、味わい、表現していけるか。

どうしたら、嘘偽りなく自分自身でいられるか。

どうしたら、地に足ついた自分自身を実感できるか。

どうしたら、自分にくつろいでいられるか。

どうしたら、融通無碍に、変幻自在に、軽い存在で

いられるか。


その探求をし続けてきたなぁと思いました。

で、今もやってます。

終わることはないようです。


それを、縁あって出会う方々と共有したい。それが、
わたしの基本的な思いであることは確かなことです。



なんでかって言えば、そこによろこびがあったからです。


こんなことをテーマにして、

たくさんの人たちと出会って、共有して、

やり取りして、深く触れて、いくことが
なにより大好物です。

お会いできたら、うれしいです。





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by masumihug | 2016-07-21 09:36 | 所感

こんな気分なの?

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シティリビングと、日経新聞
同じ週に、
マインドフルネス瞑想の記事。

これは、時代の気分の現れ?

シティリビングの読者って、いわゆるOLさんってイメージ。
いや〜、いまどき、絵に描いたようなOLさんなんているのか??

日経新聞、これは、日曜版。
だから、普段は忙しいビジネスマン、
ビジネスウーマンが、家で寛いで読んでいるってイメージ。

そういう方々が、瞑想したい気分?なのかな。

う〜ん、わかる気がする。

わたしのことを思い起こせば、

2003,4年頃、

会社員で、追われるような毎日で、
あっという間に次の日が来て、
ついさっきまで、
このデスクでこのPCの前にいたような、
そんな毎朝。

そして、ちょうど、
原因不明の病気で入院から戻り、
それがきっかけで、
物質世界から、精神世界へ意識を
シフトさせようとしていた時期だった。

その頃は、こんなふうに瞑想が日経で
紹介されるなんて世の中じゃなかったけれど、

レイキや、エッセンシャルオイルの世界へ入っていて、
その恩恵にもっともっと浴したい!
もっともっとそれらのものたちと仲良くなりたい、!
受け入れてほしい!
って気持ちがあった。

瞑想の真似事なんてしていた。

けれども、それは、
すご〜く難しかった!

できたとしても、
そんな気になっていただけ。

目を閉じたら最後、
睡魔に凌駕されてしまう。

そうでなければ、
いつまでも冴え冴えのアタマが、
自分に向かって軍隊みたいに命令を出し続ける。

瞑想しろ!って。
ほら、目の前に、バラがあるでしょ!って。笑

そして、出来損ないの部下を叱り付けるように、
瞑想出来ない自分にイライラしてた!笑

笑い話でしかない。

実際、瞑想をして、
本当に自分に寛ぐという感覚に包まれたのは、
会社員を辞めた直後だった。
それは、とってもたやすかった。

やはり、モードがだいぶ違うのだ。

これは、誰もがそうだとは言わないけれど。
あくまで、わたしの経験と、そこからの考察です。

交感神経を優位にさせていなくては
会社員でいるモードを維持できなかった。
それはそれで、その時、生きていくための
選択だったし。

そして、瞑想状態にする為に、
副交感神経を優位にしていこうとしていた。

この、していこうとすることさえ、そもそも交感神経的な
発想なワケで。。

オーム真理教のあのおじさんが、
瞑想するぞ!瞑想するぞ!って連呼してたのを
連想してしまうんだけど、

そんな勢いでは、ムリ。笑

瞑想状態って、起こってくることだと感じています。

それは、逆に言うと、
環境と自分の状態の条件が合えば、
自然と起こってくること。

自分の状態の条件
というのが、
やっぱり、あの時のわたしが身を置いていたような
バリバリの会社員の状態では、かなり難しかった。

それは、周波数というか、
自分が存在していると認識している
範囲の帯とでもいうか。

だから、こんなふうに、
ち〜んと、ただ座っただけで、
一応リードしてもらったとしても、
瞑想の境地へ触れることができるかどうか。。
わたしは、懐疑的だ。

その時の、それなり、は、あるとは思う。
ないよりは、まし、だとは思います。

で、言いたいことは、
このマインドフルネス瞑想と同じような
境地、あるいは、もっと言うと、
気づきの感覚や体感を得るのなら、
別のアプローチがあるよってことなんです。

やっと、ここまで辿り着けました。
前置きが長くてごめんなさい。

手前味噌って言われそうだけど、
ハーモニー体操がそう。

身体を入り口にすること。

自分の身体に、ぴったり自分の気づきを向けていく、
そのアプローチで得られる感覚は、
マインドフルネス、
ひいては
「気づいている」「開いている」
いわゆる、Aha体験が起こる下地。と言える。

わたしは、動きをリードする言葉を発して
ファシリテートしています。
そして、
ワークする人たちは、
自分の身体とコンタクトしています。

意識、注意は、どんどんどんどん自分の内側へ
向いていきます。

知らず知らず。
これがいい。

そして、この恩恵が、すぐに体感できるのがまたいい。

身体の機能が、回復する。
だから、体感できる。

自分に注意を向けることによる恩恵を知るから。

まっさらな気持ちで、
初めての経験をするかのような感覚。へ入っていくことへ
徐々に躊躇がなくなっていく。

自分にこびりついた、もはや使い古しの信じ込みが、
消そうとしなくても、上書きされていく。

ワークが終われば、何を消して、何を採用したかなんて、
忘れているし、それでOK。

もしかしたら、時間差で、それがは!っと言語化されて、
更に理解が進むかもしれない。

理屈が欲しい人には、この体験は非常に大事だ。

「ハーモニー体操」っていうダサい名前がついていて、
身体を動かして練習するというような印象があったら、
それは、もったいない。

わたしが何故ゲシュタルトセラピーと一緒にやっているかって
言ったら、ゲシュタルトで起こることととても似ているから。

だけど、ゲシュタルトのワークに取り掛かるより、
気持ちはもっと楽にできる。

だから、併用してもらえたら、相乗効果があると
確信したから。

どうぞ、一度体験してみてください。

マインドフルネス瞑想に、ご興味がおありなら、
多分、ニーズに合うと思うんです。




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by masumihug | 2015-11-15 16:16 | ハーモニー体操

世界一の、夢うつつ

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世界一やさしいハーモニー体操。

の、その後で、
世界一最高の
夢うつつ時間。

あれほどやさしいアプローチ
にも関わらず、
ハーモニー体操の後、
しばらくすると、
どしーんとしたものが
やってくる。

そうしたら、それに任せて
横たわっちゃう。

身体が、多分、今発見した新しい
身体の使い方を、脳とやり取りし合ってる。

そういうことは、寝ている間に身体たちが
やってくれる。

だから、寝ていればいい。
と言うよりむしろ、寝るってことが大事。

と、私は、思っています。

果報は寝て待て。

一晩寝る、効果。

実は、ハーモニー体操と、私のセラピーは、
ちょっと似ている。結構重なる。

「なにか不具合を治す」というんじゃなしに、
今の感じにどっぷり浸る、
浸って、そこに丁寧に居ると、
身体が動き出す。

身体に任せてみる。
キーワードは、自分にとっての楽。

セッションで、自分らしく居る心地良さに浸る。

みなさん、一様に、その晩はぐっすり眠ったとおっしゃる。

それを聞くと私は、よかったと思う。
必要なことが起こってるはず、と、想像して。

おっと、ハーモニー体操の話しに戻ります。

この体操、とても瞑想的な時間を過ごせます。
そして、治そうとしないのに、知らぬ間に、
治っています。
少なくとも私の経験ではそうです。

フェルデンクライスの理論をベースにしています。
目は閉じて、リードする人の言葉に沿って、
自分の身体をゆっくりやさしく、探るように動かしていきます。

他に人が居ても、一人一人、自分一人の探究の時間。
お手本はなく、自分にとって楽な、動きを探ります。

おもしろいです。

現在、私、トレーニング中。
ゲシュタルトと、相性がとってもいいと直感したので
提供していこうと思っているんです。

どうですか?
ご興味、ありますか?





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by masumihug | 2014-07-24 04:44 | 個人セッション

会社を辞めた理由

今頃になって、
会社を辞めた理由がはっきりと分かった。
くっきりと言語化出来た。

私は、四六時中、愛を込めたかったんだ。
と、分かった。

辞める頃、感じていたのは、自分の無責任な姿勢だった。
そこにもう我慢ができなくなっていた。
よくそう言っていた。

裏を返せば、愛を込めたくて込めたくて、でも、込めがいがなくて、
苦しかったんだ。

自分の愛が込められてないモノには責任取れない。
責任を持ちたかった。
多分、生きることに。

会社が悪いのではないし、そこにいた私が悪いのでもないし、
ある時期は両者の関係が成り立っていたし。

でも、もうその時期は終わっていたって事が分かっていたのに、
自分は自分を騙して、そこにいた。辞めてしまったら、いよいよ
自分の人生を生きることにな
言葉にはならずとも分かっていたから怖かったんだ。

私の自我は、生活どうするんだ?と脅迫していた。

ある日、瞑想をしていて、物凄い多幸感に包まれたことがあった。
あぁ、これが愛なんだと感じた。根拠はないが、解った。
強烈で、そして、優しかった。

ここが、私が帰ってくる場所だとはっきりとわかった。
基準点だ。

その日の瞑想は、とても自由だった。
したことは、自分の気持ち良さ、心地良さを追っかけていくだけだった。
自然に涙が溢れて、自分がここに存在していることをただよろこんでいた。

それまで、瞑想をしても、なにをしても、何処を目指せば良いのか
多分分かってなかったのだと知った。

愛って、これか。。。
初めて知った。と思った。

愛する、愛される、の対象のある、それとは、違う。
自分自身がソレという感じ。

これが、基準点。
自分の愛の感じ。
戻ってくる場所。
Home
正気

ここから、何であれ、このスペースから発想したいと強烈に感じた。
その日から、加速した。

愛と責任は、表裏一体。

そして、一旦、そうなると、そっちの世界は、愛の込め大会だった。
皆、本当に愛を込め表現していた。
私は、足りないと感じた。私の込め方じゃ。
もっと込めていいんだ。

クリエイティビティとは愛のスペースから発想されるモノなんだと分かった。
毎日毎日やっていて強化される。やがて、それがフツーになっていく。みたい。

今、私が幸せなの、わかった。

今、愛しか込められるモノない。
だから、幸せなんだ。

その練習を、ひたすらしているし、もっとしたいの。
そういうことだったんだ。

私は、朝から晩まで愛を込めたかった。だから、辞めたんだね。
会社員だった頃、感じていたのは、
会社では愛を込めてはいけないと自分で自分を制限する苦しさだったんだ。

ある時から、愛を込めない、と決めていた。

このままじゃなくなってしまうと感じていたから。
搾り取られると感じていた。

だから、必要最小限のコトだけにしようとしていた。
片足だけにしようと決めていた。

でも、その一方で、人間として、愛を込めたくて、込めなきゃ死にそうだったんだね。
人って、そういうふうに出来ているから。

先日、会社員の友人と話をしていて自分のことを思い出した。
そして、急に気づいた。その核心の部分に気づいた。
そして、今の自分が、いつの間にか、愛を込めるか込めないかの選択など
どこかへ飛んでしまっていることに気がついた。

『経済的なこと』は、こういう場合の自我の常套句だ。

なにか、これは、自慢話し?のように聞こえてしまうかもしれない恐れが、
今、私、正直なところ感じているけど、そうじゃないよ。

会社を辞めたいと思っている人へ私が言いたいのは、
そのホントの思い、
自分の感覚をぐーっと追い詰めて行ってみてほしい。
自我が言うことには、一見説得力があるが、ホントにそうなの?
自分の願いの核心に触れてほしい。

『会社』を、もしかしたら、別の言葉に置き換えてもいいと思います。
あなたの、今、葛藤のあること。

人って、誰でも、愛を込めたくてしょうがない。
あなたの、その、ユニークで、ステキな愛の表現を、込めがいのある
ところで使ってね。

それを待っている人が、きっといるよ。

良かったら、『聞くセラピー』で、お手伝いをさせてください。





〜個人セッションでお会いしたいです〜

120分間、自分自身に最大の興味と関心を向ける
あなたのための時間です。
あなたがあなたと出会っていく時間になります。

 



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by masumihug | 2012-01-27 07:24 | 私のこと

わたしを知って、わたしを生きる。神奈川県藤沢市にて、心理セラピーを行っています。ホームページこちらです。 https://kiku-therapy.jimdo.com/


by masumihug